学校にTeacherではなくEducatorが必要な理由。

2027.11.2

少し前のお話になりますが、落ち着いたので書きます。今年8歳になる娘が、梅雨頃から学校に行きたくないと言い出し、どうしたものかと困ってしまいました。私は小中学生の時に、担任の先生やクラスメイトとうまく行かないと感じる事の多い子どもだったので、そういう悩みを抱えているのかなと心配し、学校にも相談しました。でも、友だちとも仲良くやっているようだし、勉強についていけないという事でもなさそうだし…最初は理由がわかりませんでした。娘自身も何が嫌なのか説明出来ないようでした。

思い当たる節があるとしたら、娘の春休みに合わせてニューヨークへ2週間短期留学させた事です。家族みんなも同行して現地の友人宅に1ヶ月ほど滞在しました。娘がマイクロスクールに行ってる間、仕事をしたり、下の子を連れて観光したりという感じ。スクールから帰ってくると、毎日興奮して目を輝かせながら、その日あった事を話してくれる娘。

普段は自分の好きな事を好きなところから学習するようで、合間には、プロジェクトごとに集まって、共同作業を行います。映画制作とロボットハンド製作を選んで、毎日帰ってきてからも、あれやこれや私にヒアリング。先生に聞いてこいって言われたの?と聞くと、「先生じゃないよ!Jessie!いや、ママにデザインの事聞けばいろいろ知ってるかなと思って。」

…!この時はちょっとびっくりしました。私がデザインのお仕事をしてる事は何となくわかるかなと思ってたんですが、ロボットハンドの外装としてのデザインと、何のためのロボットハンドかというコンセプトについても自分で考えたい様子。なので、二人でソファに座りながら、昔のSF映画作品を見たり、ロボットデザインの会社を見て質問を投げたりしました(botのようなものですが、音声アシスタントが結構質問に答えてくれます)。

この経験がとても衝撃的だったようで、新学年になり、日本の学校での学習方法に8歳ながらギモンを感じていたようでした。確かに日本では、Teacher=あることについて知っている人が知らない人に情報を伝える、教えるという意味合いが強いです。しかし、先ほどのマイクロスクールのJessieはEducator=学習者自身の力を使い、方向付けし、磨きをかけ、発展させるという役割を担っています。

もっと広い見方をする教育者はいつの時代もこのことをよくわかっていました。2000年前、初期の優れた教育者のひとりであろう哲学者のソクラテスは、「教育とは人という器をいっぱいに満たすようなものではなく、炎に火を付けるようなものだ」と言いました。英語の教育 (education)ということばは「引き出す」を意味する、ラテン語のeducareから派生したことばです。つまり、学習者がすでに知っていることを使い、方向付け、磨きをかけ、発展させ、すでに知っていることと、これから学ばなければいけないことの間に架け橋をつくるのです。https://www.anaheim.edu/japanese-news/1952-instructor-educator-nunan2-jp.html

色々と探して、AltSchoolというアメリカの代表的なマイクロスクールが運営するAltSchool Open(AltSchoolのプラットフォームを使ってパーソナライズド教育を行うことができる)に参加している学園に体験に行ってきました。娘はとても楽しかったようで、悩んだのですが、娘が自分で考え、自分で行きたいと言った、そちらの学校に転入させることに決めました。限りなくサポートできたらなと思っています!学校での様子はまたお伝えします〜。

マイクロスクールはオルタナティブ教育と呼ばれる教育機関の一種です。小規模な学校で、一人一人に合わせたカリキュラムを提供し、パーソナライズド教育を実現させています。

「10年後の働き方」第7章<事例40>スクールエンジニアで紹介しています!

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