「頭を使う野球」とその先にあるもの ~汎用的野球人としてのイチロー~

Taku Imaizumi(nowism)
Falling Apple
Published in
9 min readApr 18, 2019

野球を通して世界征服を果たしたイチローに愛を込めて

0.概要

本記事では、イチロー選手が引退会見で発した「頭の使う/使わない野球」の先にあるものについて、様々な分野を例にあげながら考察していきます。

「頭を使わない野球が合理的なら頭を使う必要はない」という議論について一石を投じることを目的とします。野球に焦点をあてて書いていきますが、自身の関心分野に当てはめながら読んでくれれば幸いです。

1.イチローの引退とその引退会見

3月21日、偉大な野球選手の1人であるイチロー選手が引退した。

イチロー選手は、日本人野手初のメジャーリーガーとして、あまりにも多くの功績を残した。「柔よく剛を制す」その言葉を体現するような彼のプレイスタイルは、日米を問わず多くの野球ファンの心を魅了した。その点から、イチロー選手は「世界征服」を果たしたと言えるだろう。

イチロー選手は懇切丁寧な引退会見を行った。示唆に富んだ発言や時にユーモラスな発言が盛りだくさんだったが、多くの野球ファンの間で話題になったのは「頭を使う野球」という言葉だ。

引退会見を見ていない方向けに、その部分を引用する[1]。

Q:(イチローの引退に)悲しんでいるファンは何を楽しんだらいいか

A; 2001年に僕がアメリカに来てから、今は2019年。全く違う野球になりました。頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつような…(中略)…(野球は)頭使わなきゃできない競技なんですよ。でもそうじゃなくなってきているのが、どうも気持ち悪くて。(中略)

日本の野球は、頭を使う面白い野球であってほしいと思います。せめて日本の野球は、決して変わってはいけないこと。変わってはいけないことを大切にしてほしいと思います。

2.頭を使う野球とは

この「頭を使う/使わない野球」とは一体なんなのか?多くの野球ファンが考察してくれている。筆者が一番しっくり来ている考察は、人気アマチュア野球分析家であるお股ニキ氏のもの[2]だ。

私見を述べれば、以下の通りである。
野球界ではビッグデータ分析が進み、采配や技術に関して異様な早さでPDCAサイクルが回っている。分析をしているのは高度な技術を持つ数理統計学者であり、多くの選手はPDCAサイクルに立ち入らず、アナリストやコーチの指示を重視して研鑽を積んでいる。現在の主流は、「とにかく強い打球を打つことが正義」というパワー野球なっていて、些末な技術や思考は更に軽視されるようになっている。以上が、「(選手が主体的に)頭を使わなくなっている」の正体だと私は思っている。

だが、同時に多くの野球ファンは思ったのである。「スポーツにおいて重要なのは勝利である。頭を使わなくなった結果、より勝てるようになるのならよいのではないか。頭を使わないことが合理的ならそれでよいのではないか」と。

本ブログでは、競技の潮流が変わる視点を導入することで、上のような意見の反駁に挑戦する。

3.枠組みの変更によってリプレースされる選手たち

「頭を使う野球」のメリット、それは様々な状況にたいして臨機応変に対応できることだ。イチロー選手は2年ほど前インタビューで以下のように語っており、これは引退会見と同様の趣旨の発言に思える[3]。

2アウト三塁で(中略)速い球をショートの後ろに詰まらせて落とすという技術は確実に存在するわけ。でも今のMLBではチームによっては、そこで1点が入るよりも、その球を真芯で捉えてセンターライナーの方が評価が高い。ばかげてる。

この「速い球をショートの後ろに詰まらせて落とす」技術を達成するためには、多くの知識と経験が必要だろう。速い球にたいしてどのような角度とスピードでバットを出せば、ゴロ/フライ/ライナーになってどこらへんに落ちるか、すべてを把握して初めて成し遂げられる技術であろう。すなわち、イチロー選手は野球にたいして全知全能な神様的存在を目指していたのでないか。

スポーツというのは潮流があり、それに応じて必要とされる選手や技術が変わっていく。近年科学をベースにしたトレーニング技術の進展は、選手の身体能力を飛躍的に増加させた。松坂大輔選手が甲子園で150kmのボールを投げた際にはどよめきが起きたと聞くが、現在は160kmを投げる高校生もいる。投手の能力が変われば打者に求められるスキルもかわってくる、その流れについていけなければお払い箱となる選手もいるだろう。

また、ルールの変更によっても、必要とされる選手と技術はかわっていく。例えば、水泳の背泳ぎにおけるバサロ禁止という試合の見た目を大きく変えるものから、体操などの採点競技における配点の変更などという試合の見栄え自体には影響を与えないものもある。これらのルール変更は多かれ少なかれ、選手の成績やトレーニング方法に変化をもたらしてきた。また、カテゴリに応じたルールの変更も選手を苦しめたりする。高校野球では金属バットを使うが、金属バット特有の打ち方があり、プロ野球でそれを矯正できずに苦労する選手もいると聞く。

ところで、大昔の野球には四球という概念がなく、無制限にボール球を投げてもよいルールだった。このルールのもとでは現代野球とはまったく違うバッティング技術が要求されるだろう。

野球は選手人口とビジネスの大きさも相まって、この潮流の変化が激しいスポーツだ。現在メジャーリーグでは、毎年多くのルール変更(例えばコリジョンルールなど)が行われ、また試合に大きく影響するようなルール変更(例えばマウンドの距離を変更するなど)が検討されている。これらのルール変更は、現在のメジャーリーグの枠組みにたいして対症療法的にトレーニングしていた選手をリプレースしていくだろう。枠組みの変更に強い選手になるためには、野球にたいして全知全能であることが一番である。イチロー選手は日米で息の長い選手生活を送ったが、彼の野球についてすべてを会得したいという欲求が長い選手生活に寄与していたとみて間違いないだろう。

「常に強いライナーを打つ」野球は、2019年のメジャーリーグ枠組みにおける最適解にすぎない。他の国のリーグやアマチュア野球でも最適解とは限らない。プロ選手は枠組みが移り変わるなかで、10年20年と適応し続けなればならない。そうした時に現在の枠組みにたいして対症療法で応じ続けるのには限界がある。そこで求められるものが、頭を使った上で得られる汎用的な野球能力なのだろう。

4.将棋における人工知能の登場

少し話題がそれるが、大学でコンピューターサイエンスをかじった身として、どうしても触れたい話題がある。それは、囲碁や将棋といったボードゲームにおける人工知能の台頭だ。人工知能は単に人間よりも強くなったというだけでなく、今まで人間の間で有力とされていた戦法について、定量的に評価を与え、大きく影響を与えている。例えば、将棋における矢倉という戦法は、昔はウルトラスーパーメジャー戦法だったが最近はてっきり見かけなくなってしまった。

このように将棋における人工知能はある程度正確に正解を教えてくれる。しかし重要な点は、対局者は対局中に人工知能の判断を仰げないことだ。だからこそ、人工知能が提示する評価値や新しい定石がどうして推奨されるのか、深い理解がなければ実践で恩恵を受けることができないのではなかろうか。そして、最新の情報にキャッチアップできなければ、当然、時代から必要とされなくなってしまう。

野球と将棋、スポーツとボードゲームはまったく別種であるが、同様の現象が起こるのではないかと思っている。近い未来、野球においても人工知能が評価値を判断するようになるだろう。配球などといった実戦面でも、トレーニングのメニュー作成など日常面でも、人工知能が良し悪しを教えてくれるようになるだろう。そして、将棋と同様に野球も実戦に人工知能を持ち込むことはできない(ルール変更があるかも知れないけど…)。だからこそ、人工知能の恩恵を真に受け取るには、選手自身が頭を使っていく必要があるのではないだろうか。

イチロー選手が人工知能時代のことを考えて、「頭を使う野球」発言をしたとは思わないが、野球データの分析はコンピュータ将棋とまではいかないまでも、画期的な進歩を遂げている。頭を使う野球と将棋における人工知能の到来は、根底的な似たようなトピックなのではないかと思っている。

5.野球星人が攻めてきた!さあどうする??

長々と書いてしまったが、最後に1つたとえ話をして終わりにしようと思う。

「野球星人が攻めてきた。野球星人と地球代表で1試合して、負けた場合は地球が植民地にされる!ただし野球星人がどんな野球をするか事前データはない!さあ誰を地球代表に選ぼうか??」というものだ(将棋でたまにされるたとえ話である)。

野球星人は、どんな速さのボールを投げるのか、どんな変化球を投げるのか、どんなスイングをして、どれくらい足が速いのかがわからない。もしかしたら、見たことのないような魔球を投げるかもしれない。そんな時、頼りになるのは常識にとらわれずにどんなボールでも打ち返せそうな選手。地球の野球にとらわれずに野球そのものを俯瞰しているような選手だ。そして、それはイチロー選手だと私は信じている。

さて、本ブログの設立目的は「世界征服にちょっと近づく場所」ということだった。

本記事では、イチロー選手が日米で長期間活躍できた一因として、常に頭を使う野球をしていたことを挙げた。宇宙規模で野球の本質を捉えて戦い抜く決意と覚悟と努力は、世界征服を成し遂げるために必要な要素だろう。
我々は(野球だけでなく一般的な事象に対しても)現在の枠組みにたいして対症療法的に向き合い、スキルを磨きがちである。しかし、それだけでは限界が来ること、本質を捉えることの重要性を、頭を使う野球とイチロー選手は教えてくれている。

[1]HUFFPOST 「厳しさが、野球の魅力」イチロー引退会見【一問一答③】(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5c93bd7ce4b0d991e33dfd36)

[2]本が好き イチローが引退会見で言った「メジャーの野球は頭を使わなくなっている」の真意【第1回】 https://honsuki.jp/series/omatacom/16494.html

[3]日本経済新聞 イチローが語る「頭を使わなくてもできる野球」とは https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43156650R30C19A3000000/?df=2

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