言葉の力で認識は変わる

ビリーフ解放に取り組んでみて気づいたこと

最近いろいろあってビリーフ解放に取り組んでみることになった。独力でだが。


どうも最近、自分はいろいろなものに縛られているなと感じてきていた。いや、正確には自分で自分を縛っていた。

期待には応えなければならないとか。ネット上での活動は家族に知られてはならないとか。恥とされるような行動は他人に見られてはならないとか。色恋沙汰には足を踏み入れてはならないとか。

自分では自由でありたいと叫びながら、そんな「義務」や「決まりごと」に縛られている自分が嫌だった。

ところがつい最近、これらが単に自分の思い込みに過ぎなかったことを知った。

いや、冷静に考えれば当たり前のことなのだ。誰もそんなことを決めてはいないのだ。でもそれが「決まりごと」なのだと勝手に確信していた。

これが「ビリーフ」ってやつなのかとこの時知った。


さて、良い機会だからついでに取っ払ってしまおうと考えた。

ビリーフは気づきさえすれば手放すのは難しくないという。しかし、どうやったら手放せるのかが分からない。

認識を変える必要がある。正しい認識を言い聞かせる必要がある。

そこで考えついたのが、「〜〜しなければならない」→「〜〜しなくてもよい」、「〜〜してはならない」→「〜〜してもよい」という言い換え(というのは正確には違うか)。

「〜〜しなければならない」「〜〜してはならない」という考えが過ぎったときに、即座に上記のように言い直す。これで認識を変えてそのまま上書きしようという作戦。

実際やってみるとこれがいい感じに心を軽くしてくれる。単純だがなかなかいい方法かもしれない。このまま続けていこうと思う。


それにしても、やはり言葉の力は強い。言葉ひとつで認識が変わる。良くも悪くも変わる。同じ言葉を浴び続ければそれが「当たり前」のものになる。ある意味これは怖い。

言葉は間違いなく人に影響を及ぼす。成長もさせるし傷つけもする。生かしもするし殺しもする。

気をつけて取り扱いたい。


ちなみに私は、宝塚やミュージカルでも有名なオーストリア皇后エリザベートに憧れている。

彼女は何者にも縛られない自由な女性であった。それ故に家族や他人を振り回しもしたが、彼女は義務を拒絶し自由を貫いた。やはりその生き方は、眩しいものがある。彼女のように生きたいものである。

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