邦題をめぐる冒険

野村雅夫 NOMURA Masao
フレーズクレーズ
8 min readMay 15, 2016

その4 邦題の魔術師、ラジオに現る

今年2016年はビートルズが武道館公演を行ってから50年というメモリアルイヤーだ。それを記念して、東京のInterFM897ではゴールデンウィークにビートルズの7時間特番“KKBOX presents Here Comes The Beatles”をライブで放送し、僕はDJとして全体の進行を担当した。

もし今年ビートルズがメンバー揃って再来日公演を行うとしたら、どんなセットリストを組むのか。そんな妄想企画を立て、漫画家の浦沢直樹や映画監督の園子温、そしてROY (The Bawdies)といったミュージシャンなど、総勢50名のビートルマニアにイベンター気分で選曲をしてもらったのだが、番組が進むに従ってビートルズの魅力がどんどん多面的に浮かび上がってくる様子は好評を博し、「ビートルズ再来」という公式のハッシュタグはTwitterのトレンドワード入りを果たした。

ジョン・レノンの等身大パネルや来日時の貴重な資料の数々が並べられ、ちょっとしたミュージアムへと様変わりしたスタジオには、入れ代わり立ち代わり豪華ゲストが登場し、聞いているだけで耳が火傷しそうなほどのビートルズ愛を披露してくれた。その中で邦題というトピックで興味深い話を披露してくれたのは、日本におけるビートルズ初代ディレクターだった高嶋弘之である。彼は日本デビューシングルとなった“I Want To Hold Your Hand”(1963年の曲で日本では翌64年発売)に『抱きしめたい』という邦題を付けた張本人だったのだ。話をうかがうと、この「超訳」には企みがあったようだ。当時の日本語タイトルに多かったのは、たとえば『悲しき街角』(デル・シャノン、1961年)のように日本語の響きとして情緒のあるもので、ビートルズの放つロックンロールにはそのテイストはそぐわないと考えた。そこで、直訳すれば「君と手をつなぎたい」となるところを、もっと単刀直入に、いや、もっと先へ進んで『抱きしめたい』としたというのだ。確かに「手をつなぎたい」よりは「抱きしめたい」の方がよっぽど迫力があるし、思い切って主語も目的語も排してしまっているおかげで、言葉の響きがスッキリとして曲のイメージとも符合する。ちなみに、日本盤のB面は“This Boy”(1963年)となったのだが、高嶋氏は『こいつ』という豪胆なタイトルを当てていて、ひらがな三文字の破壊力が視覚的に強烈だ。ただ、こちらは曲の内容を踏まえると、同じひらがなにこだわるなら「おいら」とした方が良かったかもしれない。もちろん、半世紀以上経った外野から後出ししてもしょうがないのだけれど。

80歳を越えてなお矍鑠(かくしゃく)としている高嶋氏は楽屋でもすごかった。『ノルウェイの森』(1965年)に話が及んだので、そのエピソードも記しておきたい。これも高嶋氏が付けた。恐らく最も有名にして邦題の功罪について考える際に引き合いに出されるものだろう。もし英語のテストなら、訳としては完全にアウトだ。何しろ、原題は“Norwegian Wood”で「ノルウェー産の木材」を意味するのだから。英語が得意ではないという高嶋氏は「意味を取り違えた」と断った上で、内幕をこう話してくれた。ただただ曲に耳を澄ませていたら、「ノルウェイの森」のイメージが去来したのだと。「仮にそれが間違っていたとしても、リスナーは邦題をもとに詩の世界が浮かぶだろうし、僕はその手助けをしていたのだ」と。これは重要な証言だと思う。というのも、話が個人的になって恐縮だが、僕が初めてビートルズを聞いたのは小学校高学年の頃。父親が持っていたカセットテープのベスト盤で、『ビートルズ バラード・ベスト20』という1980年に編まれたコンピレーションだった。A面の1曲目は『イエスタデイ』(1965年)。いくらなんでも、これはどこかで聞いたことがあったので、逆に当時の印象はよく覚えていない。そして、2曲目が件の『ノルウェイの森』だった。英語なんてまったくわからなかった僕は、なけなしの想像力を駆使。「ヨーロッパの森」ぐらいのぼんやりとした捉え方で、まるでおとぎ話にでも耳を済ませるようにジョンの歌声に接していたものだ。だから、あの曲を解釈するにあたり、高嶋氏の「誤訳」である「森」という単語は、“a little help”どころか“a big help”として強烈な効果を持っていたと言える。その後、高校生になってギターを弾き始め、『ノルウェイの森』を自分で演奏するようになって初めて、曲のストーリーやノルウェイ製の安い松材を使った家の様子を思い浮かべられるようになるものの、それでもなお森のイメージは僕の脳裏に息づいていた。だから、人によっては高嶋氏の仕事を過ちだとして切り捨てるようだが、僕にはむしろ感謝の念があるのである。村上春樹の小説の愛読者としても。

ちなみに、村上春樹は『村上春樹 雑文集』(2011年、新潮社)で『ノルウェイの森』の邦題についてこんなことを書いている。少し長くなるが、邦題論のみならず翻訳論としても真をついているので引用しておこう。

「翻訳者のはしくれとして一言いわせてもらえるなら、Norwegian Woodということばの正しい解釈はあくまで<Norwegian Wood>であって、それ以外の解釈はみんな多かれ少なかれ間違っているのではないか。歌詞のコンテクストを検証してみれば、Norwegian Woodということばのアンビギュアスな(規定不能な)響きがこの曲と詩を支配していることは明白だし、それを何かひとつにはっきりと規定するという行為にはいささか無理があるからだ。それは日本語においても英語においても、変わりはない。捕まえようとすれば、逃げてしまう。もちろんそのことばがことば自体として含むイメージのひとつとして、ノルウェイ製の家具=北欧家具、という可能性はある。でもそれがすべてではない。もしそれがすべてだと主張する人がいたら、そういう狭義な決めつけ方は、この曲のアンビギュイティーがリスナーに与えている不思議な奥の深さ(その深さこそがこの曲の生命なのだ)を致命的に損なってしまうのではないだろうか。それこそ「木を見て森を見ず」ではないか」

さて、ビートルズ特番生放送中の高嶋氏に戻ろう。興が乗って50年ほど若返った気分だとのたまった彼は、ジョージ・ハリスンの歌う“While My Guitar Gently Weeps”についても言及した。この曲が発表された68年には邦楽部門に移っていて、ザ・フォーク・クルセダーズや由紀さおりを手がけていたから、ビートルズの邦題を付けることはなくなっていたのだが、もしその権利があったらどうしていたのかという話だ。「“I Want To Hold Your Hand”もそうなんだけど、タイトルが長いとアナウンサー泣かせなんですよ。だから、カタカナでそのまま邦題としてしまった後輩を未だにいじめているんだけど、僕なら『ギターは泣いてる』としたね」。なるほど、簡潔にして的を射ている。話はさらにリンゴ・スターがボーカルを取る“Octopus’s Garden”(1969年)にも及んだ。この曲が大好きだという高嶋氏。「もし邦題を付けるなら、どうしてましたか?」という僕の声に、満面の笑みで「タコちゃんの庭」と答えてくれたのだが、今のところ邦題はこちらもカタカナ表記で(所有格を省いて簡略化した)『オクトパス・ガーデン』となっている。「タコちゃんの庭」と呼ぶかどうかは、読者諸賢それぞれの判断に委ねるとしよう。

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KKBOX presents Here Comes The Beatlesの特設サイトでは、浦沢直樹が「ビートルズが時空を超えて2016年にタイムスリップしたら?」をテーマに描き下ろしてくれたオリジナル漫画が無料で読める他、総勢50名のビートルマニアたちが選んだセットリストとそのコメントを肉声で聴くことができるので、ぜひ覗いてみてほしい。

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野村雅夫 NOMURA Masao
フレーズクレーズ

ラジオDJ/翻訳家。Ciao! MUSICA (FM802)。897 Selectors(InterFM897)。音力 ONCHIKA(ytv)。イタリア文化を紹介する京都ドーナッツクラブ代表で、映画や小説の翻訳も行う。訳書『1日3時間しか働かない国』『罪のスガタ』『見えないものたちの踊り』など。