フィレンツェ伝統革工房「ブルスコリ」、5代目社長は日本人女性
イタリア・トスカーナより、イタリアの裏話やモノづくりの現場などについてレポートしていきます。
伝統技術を受け継ぐ工房は、「職人の町」フィレンツェにおいても数は少なく、その多くは後継者不足で悩んでいるのが現実です。そんな工房のひとつだったのが、このブルスコリ。100年以上続く家族経営の革工房ですが、家族の中に後を継ぎたい人はおらず……4代目が廃業の覚悟を決めたときに偶然現れたのは、なんと若い日本人女性でした。
ブルスコリは1881年、活版印刷業と製本業を営む工房として、エジスト・ブルスコリによって創業されました。2代目・フランチェスコは製本・装丁業に特化して、その存在を世界的にも広めていきます。4代目のパオロが看板を引き継いだのは1958年、メディチ家の蔵書などを収めたラウレンツィアーナ図書館の装丁本修復を一手に引き受け、1966年のアルノ川氾濫の際も、歴史的装丁本の修復に奔走。同業者が次々に廃業していく中で、フィレンツェの装丁本製作、革への金装飾職人として唯一無二の存在となりました。
ブルスコリも会員である「Associazione Esercizi Storici Tradizionali e Tipici Fiorentini(フィレンツェ独自の歴史伝統的事業協会)」は、このようなフィレンツェの老舗、伝統技術を持つお店や会社が60以上集まった協会で、フィレンツェ特有の歴史ある事業・活動を評価し、守り、伝えていくために2014年に設立されました。つまりフィレンツェという芸術の町においても、伝統工芸や昔ながらの経営を続けていくのは、とても困難なことなのです。ブルスコリも例外ではなく、70歳を超えた4代目の跡を継ぎたい子供たち、また姪っ子・甥っ子たちは、1人も見つからなかったのでした。伝統技術だけでも誰かに引き継ぎたいと、パオロさんはフィレンツェ市など行政にもいろいろ提案するものの実現はせず、2014年の秋に廃業する決意を固めたのです。ところが……
工房を不動産として賃貸しようと広告を出したところ、借り手として現れたのは若い日本人女性、齊藤美菜子さんでした。折しも、革職人の学校を卒業し、自分の工房を探していたのです。意気投合した2人は不動産の貸し手・借り手から師匠・弟子の関係となり、2016年1月、齊藤さんは正式に「5代目社長」として、ブルスコリの看板を背負うことになります。
フィレンツェに20年近く住んでいて私が感じるのは、フィレンツェにはいわゆる「堅物」のような人物も多いこと。しかも職人だったら尚更のはず……いくら後継者が欲しかったとはいえ、若い日本人女性を受け入れるには相当な葛藤があったのでは? と、パオロさんに質問してみました。とても印象的だったのは、「葛藤はまったくなかったよ! この仕事に興味を持ってくれただけでもありがたいし、とても優秀だったから」と、一瞬の躊躇もなく答えたこと。一方、日本人女性という立場でフィレンツェの伝統工芸と老舗会社を引き継ぐことにプレッシャーや不安はなかったか? と齊藤さんに聞いてみると、こちらも「なかったです! やりたいことだったので、楽しくて仕方がないという感じでした」と即答でした。国籍や年齢を超えられたのは、「どうしても引き継ぎたい」という、まさに伝統工芸への同じ情熱を共有できたからに違いありません。
しかし、さまざまな機材を買い取らせてくれたのにもかかわらず、はじめは買取を拒否されたものがあります。それは、創業した1800年代後半から継承し続けてきた取っ手付き押し型1,500個と、ローラー300個など。工房の壁に並ぶ姿は圧巻で、パオロさんが愛着を持ち、どうしても手放したくなかったものです。しかし、齊藤さんが熱意を込めて仕上げた、現在のブルスコリを代表するバッグ「Finta Libreria(=フェイクの本棚)」を見せたところ、その情熱に打たれて買取を許可してくれたとのこと。「うちの妻が家に持っておくのはひとつで十分と言って許してくれなかったから、仕方なく譲ったんだけどね」とパオロさんは照れ笑いを浮かべますが……
現在は、先代までが作っていなかったバッグや財布など、齊藤さんオリジナル作品が7割を占めますが、齊藤さんがいつも心掛けているのは、 昔からの技術をそのまま同じ工程で行うこと。ブルスコリを以前から知っている人が 新しい製品を見た時にも、同じ技術が使われていると感じられる物を作ること。 数少ない金装飾の職人として、製品を通じてフィレンツェ伝統技法を伝えること。この本棚バッグの誕生には、ブルスコリの歴史や伝統工芸に対する齊藤さんの熱い想いがこもっているのです。それが、「この押し型だけは譲りたくない」と思っていたパオロさんの心をつき動かしたのでしょう。一度懐に入ってしまうと一気に親しくなれる、それがまたフィレンツェ人らしくて微笑ましい、とても素敵なエピソードです。
日本ではファッションアドバイザーをしていた齊藤さん。その仕事を通じて、身に付けるものがひとつの話題になる、ということを常に感じていました。「若いひとに、職人が素敵な仕事だと知ってもらいたい。目をひく珍しい製品、楽しい製品があるとそこから会話が生まれ、そこから職人っていいな、と志す人が増えたら……そんな製品を作っていきたい」と、イタリアでも職人離れが進むなか、職人の気概を感じる言葉もこぼれます。
パオロさんとの運命的な出会いから4年、順風満帆のように見えますが、昔からの顧客からの依頼を齊藤さんが受ける際に「あなたがやるの?」という疑心暗鬼の目で見られたり、前述の伝統歴史的事業協会を紹介する新聞記事では「近年では伝統を守っていない店もある」と、取材もなく名指しで批判されたことも。しかし齊藤さんと話していると、そんな心が折れそうな出来事もモチベーションに変え、邁進するたくましさを感じました。現在ではフィレンツェの工房を飛び出し、日本の百貨店に出店したり、オーダー会を開いたり、活躍の場は広がるばかり。フィレンツェ伝統技術、そして職人という仕事の魅力を伝えるため、ブルスコリ5代目の日本人社長は、今日もフィレンツェの工房で奮闘しています。