kokoima実践レポート ―精神看護と居場所づくりのハザマで― / 第四回:いざ!地域へ!

大阪は堺市香ヶ丘町の商店街で営まれるコミュニティカフェ「Cafeここいま」。

ここは、主に日常生活に手助けを必要とする精神障がい者が緩やかに地域生活を営んでゆくための活動を行う、NPO法人kokoimaによって運営されるカフェだ。本連載ではこれまで3回に渡ってこのカフェが開設するまでの一連の取り組みについてレポートしてきた。まず第一回は、このカフェに集う主役とも言える人たち、すなわち浅香山病院精神科病棟に長期入院する患者さんたちと、カフェ店主でベテラン看護師である小川貞子さんらスタッフ、そして地域住民とのやりとりについて紹介した。

第二回はこのカフェ開設以前から浅香山病院の内外で開かれていた、患者が被写体となりながら写真を介して自分の人生譚を語る“ナラティブ”写真展「ココ今ニティー写真展」について紹介した。この活動以後、前述した「患者」という言い方を改め、写真展を主体的に企画運営するチームの一員=ココ今ニティーメンバーという意味で、以後この「メンバー」という呼称で彼ら彼女らを紹介することとしよう。

そして第三回は、浅香山病院病棟から少し離れた院内の一室にて開設された「ココ今サロン」を紹介した。ここでは、メンバーたちの「治療」の場とは異なる「別の居場所」として日常的に集える環境が生まれ、また筆者が行った表現(音楽)ワークショップなどを通じて、外部とのコミュニケーションを図ってきた。しかし一方で、サロンとは言えあくまで院内であり、外部との交流が創発的に生まれるに至るには課題も多い。そのようなプロセスを踏まえて、小川さんを軸として看護師、研究者、医者、その他様々なスキルを持つ面々が集まり、メンバーが将来的には浅香山病院を退院し、地域生活を営むための具体的な方法を探るプロジェクトチームが組まれる。筆者もそこに参加してきたわけだが、いよいよ本連載最終回となる第四回では、この流れから地域でのカフェ開設・NPO法人設立に至るまでの試行錯誤と覚悟、そして様々な仲間たちとの共感と恊働の痕跡をレポートしていきたい。

■どんな「場」を求める? 物件探索珍道中

第一回でも書いたが、プロジェクトチームの初期の議論では、メンバーが地域で「住む」ことを直接的に実現する場づくりを想定していた。つまり「家」である。2015年春〜夏にかけての当時の会議資料には「ココ今ハウス構想」と題されていて、それがグループホームのような形をとるのか、シェアハウスというニュアンスが近いか、あるいはメンバー各々が個別の部屋を借りつつもみんなで集えるスペースを別途借りるか、などが議論されてきた。形態の違いこそあれ、ポイントとして浮かび上がってきたのは住まいでありながらも集える場があり、かつその場が地域に開かれている(あるいは地域に働きかける)という点。くわえて、小川さんたち看護師から度々あがってきた意見は「“施設”ではない」という点だった。メンバーたちがその場で何かしらのアクションを起こすことで、地域住民も集まりたくなるような場。かつ、あくまで「普通(?)の家」であり「施設」ではない場。一言で理想を語っても、それは具体的にどういう場になるのだろう。議論を重ねてばかりだと埒があかないので、まずは堺市内の様々な地域や物件をあたりつつ、「走りながら考える」という方法をとった。以下は物件探しにまつわる会議資料に残されたメモの一部である。

地域探索の活動報告

•2015年5月5日 来栖・小川

堺市阪堺線沿い/綾ノ町あたり、堺市榎木元町

都市の過疎化現象・・・ほんまにそうやわ。

•2015年5月9日 北村、廣田さん 小川

大阪狭山市駅から徒歩1分 スーパーあり

築36年文化住宅

10戸(ワンルーム) 母屋付きで販売! 全部で116坪

面白い仕掛けができそう!

町としての喧騒感あり。

条例でパチンコなし

•2015年5月12日 廣田、小川

南海高野線沿いを探索

寂れてる。商店街の店がつぶれ、更地が目立つ

(「ココ今ハウス構想研究会第二回資料」より一部転載)

・物件内覧 大阪狭山市駅歩3分

築24年目 木造2階建て

改修がこまめにされていて、室内がきれい

デザイン性がある

利回り 8.9〜12.0%

(「ココ今ハウス構想研究会第三回資料」より一部転載)

・いい感じなのは百舌鳥八幡駅周囲

大阪狭山市駅周辺と同じような雰囲気として

・団地と素敵な古民家風の空き家がいっぱい・・・金剛

人口 大阪狭山市 5万7千

富田林市 7万ちょっと

高齢化率は、富田林市が3~4%高い

介護保険のデイケア、施設がごろごろできてきている

(「ココ今ハウス構想研究会第四回資料」より一部転載)

2015年6月、地域探索中のプロジェクトチーム 左から看護師の北村素美恵さん、小川さんと旧友であり経理回りに強い下田健二さん、看護師の廣田安希子さん。南海高野線 百舌鳥八幡駅からはじめて、徒歩で3時間経過、白鷺駅にて休憩の様子。この後、お隣の初芝駅周辺へ。

当たり前のことだが、このような地域・物件探しの旅では、不動産屋や大家にこちらの「事情」を語る必要が生まれてくる。そもそも長期入院経験のある精神障がい者が地域で自立した生活を営むような住居モデルがほぼ存在しないなかでこれらの背景を伝えることは容易ではない。岡山市内で精神障がいのために住居が見つけられない人たちの入居支援を行っている、阪井土地開発株式会社の阪井ひとみさん※1にアドバイスをいただきつつ、物件を借りる際の様々な「戦略」を得るも、会議の場で物件探索の報告がなされる際に、どこまでいっても「決め手」がないという状態になってしまう。地域が先? 物件が先? それとも・・・? そして次なる出会いが香ヶ丘という浅香山病院に極めて近い地域に、改めて目を向ける契機となる。

■「地域」はどこにある? 「まちの不動産屋さん」との対話

前述したような決め手なき悩みの中でも、とりわけどの地域をターゲットにするかという課題には一際骨を折った。精神障がい者が暮らしやすい土壌があり、かつ理想の物件が見つけやすい地域とは・・・? ここで「走りながら(物件をみながら)考える(議論してゆく)」という方法に一度ストップをかけ、ある方に相談をしてみることにした。大阪市阿倍野区昭和町にて、「まちの不動産屋さん」として活動する丸順不動産三代目社長の小山隆輝さん※2だ。小山さんは、昭和町エリアの長屋や古い建物のリノベーション・利活用を通じて、デベロッパーが行う再開発とは別の方法で、地域に根ざしたまちづくりを積極的に行ってきた方である。小山さんに会いに行った理由はふたつ。ひとつは前述した阪井ひとみさんとの対話からも彼の名前が挙がってきたこと。もうひとつは筆者が以前から文化事業や執筆を通じて提唱して来た「住み開き」(自宅を代表としたプライベートな場の一部を無理なく他者に開放する取り組み)※3を、家を通じたまちづくり事例の一環として評価してくださっていた縁からだ。一方で彼は、知的障がい者向け生活訓練所として社会福祉法人への物件の賃与や、多機能型デイサービスを営みたいというNPO法人の誘致も手掛けられてきた。ここは相談しない手はない。

筆者からアポを取り、2015年8月、小川さんと筆者で小山さんに昭和町まで会いに行く。快く迎えてくださった小山さんに私たちのビジョンと進捗を伝える。対話を進めるうちに私たちのどこに「芯」があり、と同時にどこが未だ「ブレ」ているのかが明るみになってゆく。そのブレを端的に言えば、私たちは本当に「地域」をしっかり見てきたのだろうか? 物件の入手という目先の目標だけに捕われてなかっただろうか? ということだ。彼の助言は以下のようなものである。

「“地域”で活動をするのであれば、物件よりも前に重要なのは、その地域の強力な支援者、バックボーンになってくれる人を探すこと。」

この助言の背景には様々な意図があるが、そのなかでもシビアな問題としては、精神障がい者が住まう場という存在が、今の日本の地域社会ではなかなか快く受け入れられないという、悲しいかな厳しい現実があるという点。だからこそ地域住民のなかで理解者と関係性を築き、受け入れてもらえる地道な努力こそが、物件取得以前に必須なアクションであると。ましてや、まったく縁のない地域での活動ということであれば、なおのこと慎重さを求められるであろう。この助言は、まちづくり的な仕事にも関わってきた筆者にとっても実に腑に落ちるものだ。続いて小山さんはこう尋ねられた。

「なぜ浅香山病院の近くで考えないのか?」

この問いかけは盲点だった・・・と、言えれば良かったのかもしれない。しかし、実はそうではなかった。その可能性があることは初めからわかっていた。にもかかわらず、見てみぬふりをしてきたのだ。小山さん訪問の直後に、小川さんが記した当時の会議メモを振り返る。

病院の近くは嫌だった。

長期入院者であるメンバーにとっては、病院が「地域」になっているのかもしれない。でも、そのことを受け入れることは「そこしか知らない(知り得ない)、そこしか選択できない」という事実を受け入れることになってしまう。と同時に、病院の近くでは、私たち(看護師)が・・・ワクワクできない。それは病院の影響力を期待して、病院の傘下で活動していると地域の方々から思われるのが嫌だからだと思う。病院とは連携しつつも、そこではできない新たな実践の可能性を探りたいだけにそう思われながら活動をするのは辛い。

小山さんには「病院の近くは古い文化住宅が多く、これだと思える物件がないと考えている」と答えてしまった。そう思っているのは嘘ではないが、本質ではなかった。本当はわかっていたのに、あの場では答えられなかった。

(資料「2015・8・6 臨時会議の結果」より、ニュアンスをとどめつつ一部筆者が改稿して引用)

熟達の小山さんには、こちらの心中のモヤモヤがよく伝わったことであろう。「“イメージ”で語らず、病院の周辺を実際にリサーチされてみては? 皆さんの見方と不動産屋の見方では違うので、私も一緒に歩いてみてもいいですよ」とまでも言って下さった。浅香山病院周辺エリアにどうしても関心を向けられなかった一方で、この地域であれば、外出や買い物などを通じて患者さんが地域に受け入れられてきた側面もある。もちろん看護師の存在も信頼されているであろう。地域に根をおろしてきた人たちが信頼を得る活動を積み重ねた結果として「今」があるのであって、外からの参入で地域に根ざす活動がそうそう安易にできるものではない。小山さんの「なぜ病院の近くではダメなのか?」という率直な質問は、これらの意図を含めた極めて的を射た助言だったのだ。

■共感と恊働から「場」がつくられてゆく

ここから、十数回に及ぶ浅香山病院近隣地域のリサーチが始まった。南海高野線浅香山駅の近くにある香ヶ丘商店街の立地の良さや、徒歩県内で生活行動が完結できる利点なども改めて確認できた。しかし何にもまして大切だったのはこの地域で志を持って活動をしているキーパーソンとの出会いだった。具体的には、亀井哲夫さんを始めとした「雑魚寝館」※4の方々との出会いだ。雑魚寝館とは、住居の一部を淡水魚専門のミュージアム兼カフェとして運営しているスペースで、淡水魚をモチーフにしたアート作品の鑑賞や鰻をふんだんにつかった様々なメニューも楽しめる場所として知られている。また、こういった取り組みを通じた浅香山界隈のまちづくりにも積極的に取り組んでいる。そして、これももう縁としか言い様がないのだが、この雑魚寝館の館長の亀井さんが、筆者とまちづくり活動や前述した「住み開き」での縁で、以前からつながりがあったのだ。縁が縁を呼び、小川さんたちは早速、雑魚寝館へ。私たちの思いに賛同してくれた亀井さんたちから、次は関西大学堺キャンパスの人間健康学部教員の安田忠典氏や彼の学生たちとの出会いへと繋がってゆく。これらの出会いが「腹を決める」大きなきっかけとなったのだ。

2015年11月。浅香山病院に程近い、南海高野線浅香山駅前の香ヶ丘商店街の築50年の物件2棟を賃借。会議を重ねた結果、まずは「家」の前にメンバーと地域住民が交流できる「コミュニティカフェ」の運営から始め、そこから地域での信頼関係を強固なものにしてから元来目標にしてきたハウス構想を実現させよう、という結論となったのだ。向かって右側は元お菓子屋で10年間シャッターが閉まった状態。4畳半の和室がついているのが特徴だ。向かって左側はたこ焼き屋さんで、かつての看板も残っていた。ここからは大改修。地元の大工さんの指導のもとまずは天井のペンキ塗り。そして、クロス張り、床張り、入口の戸がないので玄関をつくる、和室やトイレの改修などなど。メンバーも病院から駆けつけ汗を流し、関大安田ゼミの学生たちにも協力いただき、セルフビルドを通じて日に日に場が生まれ変わっていった。※5

改修過程を地域に開いていたこともあり、通りかかる人々から様々に声をかけられる。

本日も、沢山の人たちに「ここでなにするの?」と聞かれました。「17年住んでいるけど、ゆっくりできる喫茶がないのよね、うれしいわ」とか、タバコ加えた酔っぱらったおっちゃんたちは「軽食出すのか?」禁煙ですよと言うと「え~!」 聞かれた人たちには浅香山病院を退職した看護師であること、精神障がい者の人たちが来ますよ、大丈夫ですか?「ここはその人たちが沢山住んでる。ええよ」 感激! そのたびに心が震えます。

(「kokoima フェイスブックページ」2015年11月10日の投稿より)

また、浅香山病院からも嬉しい手が。

浅香山病院理事長から「営繕と相談して、病院が使用していない家具や電化製品を使ってもいいよ」とのありがたいお言葉をいただき、机・いすなど遠慮なくいただきました! 高橋明理事長に感謝です。

(「kokoima フェイスブックページ」2015年11月26日の投稿より)

こうして、Cafeここいまの場づくりのプロセスからは、様々な共感と恊働が生まれていったのだ。

病院から駆けつけたメンバーや関大生たちと壁拭き作業の途中で。

そして場づくりはカフェ開設のみならず、その運営主体となるNPO法人設立の動きへと加速してゆく。事業理念や目的、そしてその第一弾の手法であるコミュニティカフェの運営。諸々の方向性が定まってゆくにつれて、自ずと法人格の種類もNPO法人に落ち着いた。堺市市民恊働課の相談コーナーを数度活用し、定款を整え、看護師仲間やつながりの生まれた地域住民に、会員への参加を呼びかける。

そして2015年11月19日19時。堺市浅香山小学校内にある浅香山公民館にて、NPO法人kokoimaの設立総会を開催した。入会会員総数57名(正会員41名、賛助会員9名、サポーター会員7名)、うち総会への出席会員数41名。筆者も理事就任を兼ねて出席。地域に愛される公民館で多くの人たちに見守られるなか、いいスタートを切ったと思う。

2015年11月19日に浅香山公民館にて開かれたNPO法人kokoima 設立総会の様子。

20時からは徒歩で改修途中のCafeここいまのお披露目会へ。そこではこれまでの事業化へのあゆみを収録したDVDとパワーポイントが上映され、改めて「“此処”で“今”から、始まるのだ」という意識をみんなで共有した。その後は本連載第一回で書いたように、Cafeここいまの日常が始まり、現在もメンバーと地域住民が様々な関係性を編み合いながら、次のステップへの模索をしているところだ。

設立総会のあとは、みんなで歩いてリノベ途中のCafeここいまへ。事前に準備されたポトフとおにぎりを食べながら、これまでの道のりを共有しあう。

■後記。精神看護と居場所づくりのハザマで

全四回にわたって執筆して来た本連載、いかがだっただろうか。精神科病棟に長期入院している患者さんが主体的に取り組む写真展、そこから「患者/看護師」、「ケアされる/する」という関係を超えてともに写真展運営にとりくむ「メンバー」へと変化していくなか、浅香山病院内でのコミュニティサロンやそこでの表現ワークショップ、そして地域生活の足がかりとしてのコミュニティカフェの開設へ。このプロセスには、治療や看護といった医療という枠組みのなかで培われて来た経験や専門性と、同時にその専門性や分野の常識のなかでいつしか埋もれてしまった「お互いがひとりの人として関係し合う」というコミュニケーションの現れが、時に手を結び、時に拮抗しながら融合してゆく有り様が浮かび上がって来る。そして、本連載ではとりたてて強調しなかったが、筆者の専門である「表現」という観点からみれば、なぜその一連のプロセスのきっかけが「写真展」だったのか、そのことをよりあぶりだしていくことも今後の課題であると考えている。筆者は2016年4月からCafeここいまにて月一で「kokoima 暮らしと表現の私塾」という、メンバー対象のワークショップを実施しているが、そこでは文学や音楽や映画などをきっかけに、「(地域)社会のなかで生きること」について言葉になりきらない言葉をみんなで紡いでゆくことを大切にしている。これは無論、「治療」でも「看護」でもない。しかし、他者が生きることに関与し、お互いが影響を受け合ってより良い生へと導き合う試みを広い意味での「ケア」と名付けることができるのであれば、紛れもなくこの実践は「表現を通じたケア」であると考えている。ここでそのことを語りきることはできないので、今後のkokoimaの動きに関しては、ウェブマガジン「教養と看護」(日本看護協会出版会)※6にて近々に開始する筆者の連載を参考にしてほしい。

そして最後に、ぜひ読者の皆さんには直接、Cafeここいまの現場に足を運んでいただき、ご自身の感性でこの場で起きているコミュニケーションを受け取り、またどこかでその実感を言葉にしてほしいと切に願う。

※1 http://www.citizen.co.jp/coy/archive/2014_01.htmlなどを参照。

※2 http://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00186/などを参照。

※3 https://www.amazon.co.jp/dp/4480878491などを参照。

※5 http://zacconekan.netなどを参照。

※5 ちょうどこの改修時期から立ち上げたkokoimaフェイスブックページには当時の様子が 丁寧にレポートされているので参考いただきたい。https://www.facebook.com/kokoima.kaorigaoka/

※6 http://jnapcdc.com/LA/