拝啓、エヴァン・ウィリアムズ 〜LINE BLOGと日本のMediumについて〜

Dear Ev Williams
About LINE BLOG and Medium in Japan

鶴岡八幡宮@鎌倉へお参りに行ってきた

Mediumを書きはじめて4日目、「これで三日坊主を乗り切ったぜ」とTwitterに書いた直後、LINE BLOGが一般リリースされた。僕は過去にスペシャリストという枠で登録していたが、開設しないで放置していた。理由は「このプラットフォームは閉じている」と感じたから。

プラットフォームが閉じていて、結局のところ著名人の活動報告にしか使えない。もっとオープンにクリエイティブなコンテンツが生まれる場を期待する僕には既存のブログと変わらなく見えた(プッシュ通知を除いて)。

それとくらべて、Medium創業者の Ev Williamsはるかにワクワクする未来を語っていた。そこにはシリコンバレーで発祥し、世界中へと伝播された自由と対話とクリエイティブを愛する精神が宿っていた。

著者がどなたであれ良いストーリーには関心が払われるようにすること。シンプルであり、まず言葉ありきであること。有意義なフィードバックを得ることで本質に沿うようにすること。

今の日本のMediumのユーザーは、こうした理念に共感しているように思える。彼が創業したBloggerやTwitterの恩恵を受けてきた僕は、現在の日本語のウェブでは感じることのできない可能性を味わってみようとMediumを書きはじめた。

以来、この4日間のMediumでの日本語のコミュニケーションは素晴らしかった。一昔前のはてなブログのような「志向性の共同体」を思わせる暖かさがあった。ヒラリー・クリントンの選挙後のコメントがフィードに流れ、やろうと思えば僕がそれを翻訳できることにも強く惹かれた。

Mediumは、いま僕が考える理想のプラットフォームを体現している。このままMediumでコミュニケーションを続けていけば、過去に感じられたあのインターネットへのワクワク感が取り戻されるのかもしれない……。

そんな想像を膨らませていた矢先、LINE BLOGが一般公開された。

日本人なら全員が知っている通り、LINEのスピードは凄まじい。

けんすう氏はLINE BLOGの戦略を讃えているが、これに加えてLINEはMessengerにはじまりBOTにLIVEにPAYにTAXIにとなんでも揃えている。上場によって得た資金も潤沢にある。今の日本の若者への浸透度からすれば、これに代わるプラットフォームは生まれないだろう。

LINEはグローバルなウェブとは切り離された独自の世界を構築しつつある。閉じた世界でのネットワークの広がりに、ウェブの精神を愛した者は一抹の寂しさを覚える。でも、日本をはじめとするアジア圏の多くのユーザーがいま欲しているのは、こうした空間なのだろう。

けんすう氏が語るようにMediumがうまくいっていないのかは僕には分からない。ただ、僕はここ数日「日本語」タグのついた記事すべてを読んでいたが、流れてくるストーリーは1日せいぜい50本程度。これでは僕が運営する学びのコミュニケーション・プラットフォームとたいして変わらないし、LINE BLOGが抱える著名人2000人とは比べるまでもない。

いちばんの問題は、Mediumをひらいても、おもしろい記事がぜんぜん見つからないこと。英語タグはそれなりに整理したけど、日本語のタグが付いた投稿がすくないから状況はたいして変わらない。見たい記事を探しに行かないといけないなんて石器時代か。

良質なストーリーに偶然出会うのもいいけれど、いま感じるのはMediumからの見当違いな押し付けだ。書き手ではなく読み手としての僕は、今は亡きGoogleReaderのような読み手のための機能がほしい。

英語圏では強引に有力な書き手を集めることで解決した問題なのだろうが、フォローによるカスタマイズされたフィード生成の機能がないのは、Mediumの日本語ネットワークに人を呼び込む上で致命的な欠陥だ。ここには英語圏のウェブで暮らす人の発想の限界を感じる。

LINE BLOGが発表される直前、僕はMediumのEvangelistのごとく社内でその素晴らしさを熱く語っていた(かなり伝播した)。これからもしていきたい。クリエイティブなコミュニケーションができて、グローバルなウェブとローカルなウェブの中間層となるMediumのような場は大切だと思う(特に英語に堪能でない僕のような人間にとって)。

だが、LINE BLOGが登場して、僕が無邪気に思っていたほど日本語のMediumの道のりは平坦でも短くもないと気がついた。僕の誤りはMediumに短期的な期待をしすぎたことだ。いきなり理想郷がドカンと降ってくるわけはないのだ。

はじめは「逃れの場所」として機能すれば十分なのだと思う。荒れ地になったようにすら思えるウェブに、そうした場があることで救われる人は決して少なくない。すくなくとも、僕はその一人だ。

今いる場所への違和感を抱いた人が集まり、コミュニケーションを重ねる中で、次第に成熟したコミュニティーへと育っていく。それは Ev Williamsがイメージした理想と比べればゆっくりとした成長かもしれないが、実現すれば意味あるコミュニティの形成だと思う。

日本語で、自分が理想とするコミュニケーション・プラットフォームを立ち上げた者として、僕はMediumで得た学びを自分のホームでのコミュニティづくりに活かしていくつもりだ。ありがとう Ev Williams。この短期間で、ここまでの学びを得られたことには、感謝してもしきれない。

ただ、これからも日本語でMediumを使い続けたい僕としては、英語圏外で孤立するMediumユーザーがもっとコミュニケーションしやすくなる改善を強く望む。でないと、日本語のMediumの盛り上がりはLINE BLOGに負けっぱなしになってしまうよ!

この声が言語の違いを超えて届くといいのだけれど。


なんてことを新入りMediumer(?)なりに考えてみたのですが、皆さんはいかがでしょうか?