被教育者の思い 第一回〜大事にされすぎな子供達〜

Hazuki Nishioka
Generation Z
Published in
4 min readSep 24, 2018

私は今、教育を受ける側、つまり被教育者の立場にあり、高校卒業後大学へ進学することを考えると、少なくともあと数年は被教育者であり続けるでしょう。

そこで、日々教育について考えることを、被教育者の立場として、数回に分けて記事にしていきたいと思います。あくまで一被教育者としての意見ではありますが、何かが変わるきっかけになればと願って。

英才教育で早めに学習を進めた方がいいとか、ネームバリューのある大学に受かるためにはここの塾に通わせた方がいいとか、大人たちの間で子供の教育に関する議題は日ごとに取り上げられています。どうしたらもっと子供達に良い教育が提供できるか、活発な議論が繰り広げられているようにも感じます。そんな中で、一つの考えが浮かびました。

私たちは大事にされすぎなんじゃないだろうか。

果たして、大人と子供の間に信頼関係は築かれているのだろうか。

学校を例に挙げてみましょう。私たち生徒は各々先生側・学校側に不満を抱くことがあります。「生徒によって態度が違う」「親には良い顔ばかりで、話を聞いてくれない」「班を自分たちで決めさせてくれない」などなど、挙げ始めればキリがないかもしれません。何故そうなるのか、考えれば理解できることも多いですし、逆に生徒が不満に思う理由も納得できます。しかし、中には、知らず知らずのうちに生徒自身の積極性・主体性をも危うくするような事態が起きていることはないでしょうか?

私自身、今まで何度か、前例がないからという理由で校外での活動について快い対応をとってもらえなかったこともあります。何故、納得しがたい理由で、リスクを冒すことを恐れるのか。その理由を考えてみると、「生徒と先生(学校)の間に十分な信頼関係が築き上げられていないから」という結論に至りました。

揚言してしまうと、教育現場において最も尊重されるべきは教科の勉強ではありません。もちろん勉強は、この時期にしておくことが最低限ですし、それが将来の社会生活の上で、必要不可欠です。ですが 、多教科の勉強は「社会で生きていく」こと自体に直接関与しません。社会において、独立した人間として生きていくためには、他人と密にコミュニケーションをとれることが前提となります。他人との人間関係を上手く扱うことにおいて、信頼関係を築き上げることこそが、最も重要かつ最初に取り組むべき課題の一つでもあります。

学校は小さな社会です。そこにおける人間関係の構築は、将来外の社会に出て同じことをするための、予行練習になります。逆に、外ではしてはいけない失敗をすることだって可能です。社会人や学生も含めて、世の中では人間関係について悩む人がほとんどです。人間不信に陥ってしまう人も多いと耳にします。公私を問わず、信頼関係の育成を行うことが急務になっているのではないでしょうか。

ルールや、子供がする事など、大人が子供に対して数々の助言を与えることにより、大きな影響を及ぼしています。親は自分の子供の将来が心配ですし、大人からしてしまえば、子供たちを制約することで物事が楽に運ぶように感じるのも事実です。ですが、そのままでは子供はそれに依存したまま、大人になってしまうことになります。自分で考えて意思決定をせず、行動できないまま、大人になってまたそれを子供達に押し付けるようでは、それは子供達のためにはなっていません。もし、子供達が自分で意思決定・行動できるようになれば、それほど大人にとって楽なことはありません。もちろん最初の決断はリスクもあり、容易ではないでしょう。失敗だって起こり得ます。ですが、それが決して取り返せないなんてことはないはずです。まだ大人ではない学生時代において、取り返しのつかないほどの失敗を起こすことはないと私は思います。

一度、子供達に任せてみませんか?

まずは自己判断に対する責任感を芽生えさせ、子供同士、そして大人と子供の信頼関係を育むことこそが、これからの社会で生き抜くための教育に必要不可欠になってくるのではないでしょうか?

誰のための教育なのか、根本的な問いが今、密かに現出しているような気がします。

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