被教育者の思い 第二回〜真のキャリア教育とは〜

Hazuki Nishioka
Generation Z
Published in
7 min readJun 9, 2019

私は今、教育を受ける側、つまり被教育者の立場にあり、高校卒業後大学へ進学することを考えると、少なくともあと数年は被教育者であり続けるでしょう。

そこで、日々教育について考えることを、被教育者の立場として、数回に分けて記事にしていきたいと思います。あくまで一被教育者としての意見ではありますが、何かが変わるきっかけになればと願って。

前回は、第一回として、子供と大人の信頼関係について述べ、教育の本意について問いを投げかけました。

今回から、様々な側面に分けて、現代教育について分析・考察をしていきたいと思います。

そもそもキャリア教育って…?

題名の通り、キャリア教育に関して話を進めたいのですが、「そもそもキャリア教育って何?」という説明から。

一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育 -平成23年 中央教育審議会-

また、「キャリア」の意味を明確化しておくと、「人が、生涯の中で様々な役割を果たす過程で、自らの役割の価値や自分と役割との関係を見出していく重なりや積み重なり」であり、広義的に「働くことの関わりを通しての個人のつながりとしての生き様」を指すようになったようです。

20世紀後半におきた地球規模の情報革新により、様々なものの国際化が爆発的に広がり、日本にいる私たちの日常生活にまで様々な変化をもたらしました。そのような社会環境の変化は子どもたちの将来にも多大な影響を与えることから、子どもたちが「生きる力」を身につけ、加速化していく社会に流されることなくたくましく対応し、社会人として自立していくことができるようにする教育を求めたことが、キャリア教育の導入につながりました。

要するに、将来社会に流されないよう生きるために様々なことを身につけましょう、という理念の教育です。

企業が学校で出前授業によって、社会と学校のつながりを作ったり、卒業後の進路について具体的に考えたりするのが一般的ではないでしょうか。

キャリア教育の現状

以前(私の知っている限り、私がまだ幼い頃)は「キャリア教育」なるものが、学校教育の中で取り沙汰されることもなかったように思います。将来を見据えて、とか、将来つきたい仕事について考える、ような教育は行われていましたが、少なくともキャリア教育という言葉がこれほど頻繁に使用されるようになったのは、ここ数年の話です。

私が全ての学校について知っている訳ではないので、一概には言えないが、キャリア教育は結局方法化されないまま、曖昧に、模索しながら進められているのではないでしょうか。キャリア教育という言葉がトレンド化し、先行してしまった。また、結果(ゴール)を求めたが上に、キャリア教育の本来の目的・教育自体の意味が薄らいでしまっているように感じます。

文部科学省によると、

普通科の生徒は、自分の将来の生き方や進路について考えるために、「自分の個性や適性を考える学習」「進路選択の考え方や方法」「将来の生き方や人生設計」「学ぶことの意義や目的」について指導してほしかったとしている。
また、卒業生は、在学中に「自分の個性や適性を考える学習」「進路選択の考え方や方法」「社会人に必要なモラルやマナー」「産業や職業の種類や内容」を指導してほしかったとしている。

「進路選択の考え方や方法」「進路に関する情報の入手方法とその利用の仕方」「希望する進路の実現可能性」については、比較的高い割合で「よく学習した」としている。一方、「産業や職業の種類や内容」「自分の個性や適性の理解」「将来の生き方や人生設計」については、「よく学習した」としている割合が低くなっている。

個人の特性や適性について、将来の生き方や人生設計について学習しておけばよかったと感じている、つまり悩んでいる学生が多く、キャリア教育は方法化されてしまった型の中で体系化され、学生は自分自身と向き合い考える時間を持つことなく、流動的にキャリア教育自体を済ませているように感じてしまいます。

ただ「将来就きたい仕事」を考えるのではなく、「将来の生き方」を考えることがキャリア教育の根本であるはずなのに、それについては触れられていないような気さえしてしまいます。

だからこそ、多くの人が社会に出た後、それを学びたかったと思うのでしょう。学生にとって情報化が進むことにより、情報は以前に比べて格段に得やすくなった今、「考える」キャリア教育こそが根底となってくるのではないでしょうか?

「考える」キャリア教育

私の学校でも中3の時に、キャリア教育を一環とする授業がありました。自分が将来就きたい職業について調べて、「仕事人インタビュー」をする、というもの。

少し長期間のプログラムでしたが、私には少し無意味なもののように思えてしましました。原因は二つありました。

①誰もあまり真剣に取り組んでいない。

②ただ、こなしてる感が強い

(どちらも私の場合なので、一概には言えません。)

確かに、現在働いている方のお話を伺うのは、勉強になり、とても楽しかったです。私はオーケストラで楽団員をされている方にインタビューをしに行ったのですが、そこではかなりの刺激を受けました。

問題は、その事前学習と事後学習で、そもそも「誰にインタビューしたいのか」というところから始まっていました。正直に言えば、将来自分が大人になった姿も想像できないのに、どんな職業について、働きたいのかなんて、具体的に考えられるはずがなかったのです。インタビュー後も、聞いた話をまとめて、学年の前で発表するだけ。発表することばかりが走ってしまって、そこでどんなことを学べたのか、時間をかけて考え言語化することができませんでした。先生方も、積み重なる職務でキャリア教育に関して割ける時間と熱量が足りなくなってしまうのも仕方なかったと思います。

どんな職業に、何故、就きたいと思うのか。

そこまで考えられて、やっと自分のキャリア形成のための教育になると思います。

職業だけではありません。高校卒業後の進路についても同じことが言えます。

大学に進学するのであれば、どんな大学があって、そこで何を学べるのかは調べれば、大抵答えを得ることができます。

ですが、何人の人が自分が大学に行く理由を深く考えたことがあるのでしょうか?

世の中には、多すぎるほどたくさんの選択肢があります。大学進学だけではありません。

それを全て知った上で、判断できているのでしょうか?

大学に行く意味を見出せずに、大学に行ってしまっては、せっかくの4年間を無駄に過ごしてしまうことになりかねません。

社会人になるまでの間、つまり学生の間は、「自分のためだけに行動していい期間」だと私は思います。「自分が」、何をどうしたいのか、しっかり考え、自分を、自分が居るべき場所に導くことができる人間こそが、今の時代に求められている「人間性」なのではないかと思うのです。

そのために、キャリア教育でも、「なぜ?」を大事にした時間を持つことが大事だと思います。

他にも、社会の仕組みについてもっと深く知ることは、独立した大人として生きていくために、もちろん必要不可欠です。

自分がどう考えるのか。

こういったことを深く考えられる時間を、中高生という進路に初めてちゃんと向き合う期間に取り入れられれば、この加速化していく社会に対応できる「軸を持った」人間に成長できるのではないでしょうか。

そして、それこそが、現代流のキャリア教育になり得るのではないでしょうか?

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