Takehisa Sibata
6 min readMar 29, 2019

発達障害と健康の問題ー健康的なコミュニティをつくるには

1.疾病になりやすい発達障碍者

発達障害の方は、偏食が激しい、生活習慣が不規則、そもそも色々なストレスに弱い・・・色々な特性を抱えている。また、多くの精神疾患の背景に発達障害から生じるストレスが背景にあるとされる。私も当事者会に何度か足を運びましたが、実は、若くして糖尿病などの生活習慣病に苦しむ発達障害の当事者が多くいた。不健康な生活習慣の背景に、発達障害やそれに伴うストレスや二次障害が背景にあった。

以下のようなケースを見聞きした

・衝動性が強いため、アルコール依存症やニコチン依存症を抱えている。

・生活習慣を身につけるのが苦手で、歯を磨く習慣がなく、虫歯が多い。

・摂食障害を抱えている。

・発達障害の無理解に伴う対人トラブル等からパニック障害を抱えている。

・二次障害に伴う精神疾患を抱えている。

・暴飲暴食で体調を崩した。

また、アメリカでは、自閉症の平均寿命が36歳と言われている。自閉症の子どもは溺死や事故死のリスクが極めて高く、大人になってからは自殺率が高い。躁うつ病や統合失調症などの精神疾患を併発しているケースが多く、健康面でも厳しい状況となっている。

2カナダの家庭医のレポートよりーどう医療は発達障害と向き合えばいいか?

https://www.hphnet.jp/whats-new/1807/

https://www.hphnet.jp/sys/wp-content/uploads/6e98d41048410bff4b329de67baeb3ff.pdf

カナダの家庭医協会が発行している「医師のためのベストアドバイス」では、生活習慣病などの各種疾病において、幼児期の発育、発達障害、女性、LGBT、貧困といったことが各種疾病の背景にあるとしている。発達障害や精神疾患が不健康な生活習慣の背景となっており、それで病気を患うということが指摘されている。

家庭医とは、内科、婦人科、外科、と分けずに総合診療を一人の医者が行うタイプの医師である。海外では、日本のようにいきなり内科や外科、婦人科に行くのではなく、まずは、地域の家庭医に行くのが普通である。そして、地域の家庭医に行き、そこで対応できる病気はそこで対応した上で、対応できない専門的な病気についてはそれぞれ外科や婦人科、胃腸科といった専門的な外来にまわす、ということをおこなっている。

家庭医は、ただ病気を診ることができるだけではなく、病気の背景となっている生活習慣や心理的状況、家庭環境についてアドバイスすることができることが求められている。オンタリオ州のガイドラインでは以下のようなことが記載されている。

・糖尿病について。低所得者は高所得者より糖尿病になりやすい(男性10% vs5%女性8% vs3%)精神疾患

貧困線以下で

暮らす人たちは、カナダの平均より58%高い率でうつになる。

・医療費の支払いが厳しい場合は、まず、税金を申告したことを確認し、医療費助成を受けること。

・障がい者の場合は、障がい者控除や障害年金などを受給しているか確認し、教育したり介入したりすること。

オンタリオ州のガイドラインでは、「患者の健康状態や障がいの状態を正確に説明し、総合的かつ詳細な情報を提供することが、私たちの医師としての義務です。医師は、所得保障プログラムの受付係ではありません。」とまで記載されている。

日本の精神障害の医療では、精神障害の治療と精神障害に伴う各種疾病を分けて治療する傾向があり、総合的に診るということが行われていない。また、総合的に診た上で福祉制度と連携するという要素もまだまだ弱い。精神障害と他の疾病の治療や福祉制度との連携は、今後、重大な課題となるであろう。

3.「人生、ここにあり」が示した健康的なコミュニティづくり・しごとづくり

https://www.youtube.com/watch?v=3AZleEjaiZw

「人生、ここにあり」という映画を皆さんご存知であろうか?イタリアで10年ほど前に大ヒットした映画である。1978年に、イタリアでは、精神病院が廃止され精神病患者たちは「元患者」として地域や家に帰されることとなった。ただし、家に帰されたとはいえ、まだまだ慈善的に割り振られた切手貼りの仕事といったものしかなく、コミュニティは整備されていない。

そんな時、精神障害も知らない、町の熱血肌の労働組合活動家のネッロが、

「左翼とは、すなわち、市場である」

と大演説をぶちまけ労組を追われ、切手貼りの仕事をする協同組合に飛ばされてきた。ネッロががいいたかったことは、人間らしい社会をつくるという左翼の理念を実現する場所は、市場経済である、ということである。

この協同組合には、切れやすい青年やUFOから年金がもらえると信じている統合失調症の方、虚言癖のある方、人と話さないが仲間になりたい自閉症の方、愛人が100人いると妄想している方などさまざまな方がいた。

その精神障害者たちに、アートの才能があることにネッロは気づいた。いや、精神障害を知らない素人だからこそ気づいたのであろう。寄木張りを製作することを提案した。アーティスティックで市場から高い評価を受ける。そしてなにより、社会に参加することになり、元気になり、投薬量が減少し、恋愛するようになった。 地域で信頼を勝ち得た障害者たちは元気になったのである。

地域で受け入れられること、仕事をすること、を通じて障碍者たちが自信と尊厳を勝ち得るようになった。仕事をし自信を獲得することが、ただお金を得ることではなく、健康になっていくことなのである。施設で暮らすことよりも仕事をして他人に役立つこと、貢献することのほうが幸せだ、と感じやすい、そうした人間の特性そのものを描いている。

この映画から学べることは以下であろう。

・障がい者の方が、「役に立った」「ありがとう」と言われるような”得意”を活かした仕事をつくることで、健康になることができる。

・そして、仕事をつくる地域社会をつくっていくことで、地域全体がより温かい社会になる。

・人間は、ただ疾病がある状態ではなく、人に認められてこそ真の意味で健康になることができる。

おわりに

発達障がい者の健康について今回は論じた。1と2では、発達障碍者がいかに疾病になりやすいか、そしてその対応をどう医療は向き合えばいいかであろう。そして、3では「人生、ここにあり」という映画を通じて、いかに心身ともになるには仕事が重要か、である。

コミュニティが、発達障害者の健康のリスクを気を配ること、そして同時に”得意”を活かす

環境をつくっていくこと、それこそが「生きやすい社会」になるであろう。