私たちが考える発達障害とは?偏りを活かし和える社会とは?ー偏りを活かし和える社会とは、いい感じの社会ー

身体だって個人差がある、ならば脳だって

身長、体重、顔、足の長さ、肌の色、手の大きさ・・・周囲を見れば、一人として同じ人はいない。それぞれの人が、特徴を持ち、個人差がある。また、身体的能力だって様々ある。足の速い人、遅い人、動きが俊敏な人、腕力のある人・・・様々ある。

一方で、私たちは、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感(人によっては第六感があるという人もいるかもしれないが)を脳を通じて認識している。また、脳の言語中枢を通じ言葉を習得したり、右脳を通じて絵画を描いたりする。多くの人は、目の前の食べ物を食べた時に同じように味覚を共有したり、服の触り心地を同じように共有したりしているという暗黙の了解があるようだ。文字については、勉強をすれば同じように見えて同じように読むとも思っている人が多いようだ。

本当にそうなのだろうか?筆者には疑問がある。身体に個人差があるように脳の52箇所が同じということがあり得るのだろうか?発達障害が昨今、報道され、空気が読めない、落ち着きがない、一方である分野には天才的な能力を発揮するということが指摘される。筆者は、むしろ、脳の52箇所それぞれが一人一人個性がある、そういうイメージで考えている。その個性が際立った状態が発達障害ではないか?と考えている。

脳の認知形態の個性という考え方

脳の認知形態の分類については、医師やカウンセラーで見解は異なるが、以下のサイトが参考になる。

https://jibun-compass.com/nintitokusei

本田式認知テストでは、見た情報を処理するのが得意な「視覚優位」、読んだ情報を処理するのが得意な「言語優位」、聞いた情報を処理するのが得意な「聴覚優位」の三つに分類している。その上で、写真で記憶するカメラタイプ、人の顔を覚えるのが得意な三次元映像タイプ、読んだ情報を処理するのが得意な言語映像(ファンタジー)タイプ、言葉をみるのが得意な言語抽象(辞書)タイプ、聴覚言語タイプ、音で情報を処理するサウンドタイプの6種類に分類している。

詳しくは、別記事の「定型発達者」について特集した記事に記載するが、発達障害とはたまたま少数派の脳の認知形態をしている、という考え方もできる。

http://labaq.com/archives/51732331.html

イギリスでは、脳の認知形態に合わせた勉強法という考え方がハイスクールで導入されている。視覚タイプ(見て覚えるタイプ)、聴覚タイプ(聞いて覚える)、運動タイプ(体を動かして覚えるタイプ)に分類している。日本で行われている、黒板をノートに写すスタイルの学習は、視覚タイプに適した学習法だと考えられる。運動タイプの場合は、体験から学ぶのが得意だとも考えられる。

私たちは、発達障害を脳の認知の個性だとも考えている。

何でも卒なくこなすことが要求される日本社会

日本社会、特に日本企業では卒なくこなすことが要求される。総合職として採用され、営業、経理、人事、総務などあらゆる場所を渡り歩くことが想定される。ある日本のIT企業では、営業とエンジニアの仕事を2、3年から交互に異動させるとのこと。日本企業において「即戦力」とは、色々な部署を卒なくこなせることを指すことが多い。

例えば、就職活動の面接の本には、

「しっかり挨拶ができ、ビジネスマナーが身についてる」

そうしたことが企業の即戦力として要求されると記載されている。日本型雇用を考えれば、あらゆる部署で卒なくこなすことが要求されるからこそ、挨拶、ビジネスマナー、空気が読めることが要求される。全員スーツを着こなし、しっかり挨拶し、ビジネスマナーがしっかり身についていることが理想とされる。

全員がスーツを着たスーツを着た光景、しっかり全員が挨拶できる光景、ビジネスマナーが身についている光景、それこそが私は「四角いスイカ」が並んでいる光景と考える。「偏りを活かせる社会」とは対局の光景だ。

「偏りを活かし和える社会」とは「いい感じの社会」

ある発達障害を抱えたエンジニアが、外資系企業で働いていたら、日本企業にいた時よりはるかに楽しかったと語った。彼女の部下はインド人だという。

「インド人って、『仕事ができました』と報告しても、大抵の場合、概要ができましたっ て感じで、日本人の場合と定義が違うからちゃんと部下を管理しないといけない」

と語っていた。無論、インド人の話は、部下のインド人がたまたまそういう人で、インド人全体がそうだという話ではない。

彼女は、日本企業にいた頃、暗黙の了解、企業で要求される女らしさ、という部分に悩んだそうだ。彼女が現在所属する外資系企業は、外国人比率が極めて高く、多国籍であるため、そもそも日本社会で共有される「普通」も「暗黙の了解」も存在しない。そのため、空気は読めないがスキルが高い彼女にとっては非常に居心地が良いのだ。その外資企業には、LGBTも普通に働いている。

あらゆる価値観、思想、国籍、宗教、身体的特性、セクシャルの人が「常識」「普通」によって縛り付けられることなくのびのびと生きられる社会だ、と考えている。しばしば、こうした社会について、メディアでは「多様性が認められる社会」と表現される。

ただ、私たちはあえて「多様性」という言葉は使わない。「多様性」がある種の押し付けになることを危惧するからだ。当然、社会には子どもからお年寄り、あらゆる価値観の方がいて、「多様性」を押し付けるには難しい価値観を持っている方もいる。押し付けることなく、誰しもがのびのびと生きられる社会を「いい感じの社会」と考えている。「いい感じ」を誰しもが享受できて始めて「偏りを活かし和える社会」になると考えている。