キューバの豆スープは平等社会の味

キューバに2週間弱滞在し、7軒ほどの家庭にお邪魔した。地域も所得も違うのに、どの家庭でも食事の内容がほぼ同じだったことに驚く。

毎日食べていた国民的家庭料理とも言えるのが、「ポターへ・デ・フリホーレス」というフリホーレス豆のスープ。人々には単に「フリホーレス」と呼ばれることが多いので、ここでもそう呼ぶことにする。

フリホーレスとご飯が食事のベースで、そこに肉と芋類が添えられる。野菜を切っただけの簡易なサラダが付くこともある。さて、なぜ富めるも富めぬも皆が同じスープを毎日食べているのか。

フリホーレスの食卓。豆は3種類ほどあり、黒色の豆(ネグロ)が安く、紅色(コロラド)は少し高いが美味だという。

配給制で皆に豆が行き渡る

キューバは未だ配給制がある。1959年のキューバ革命後、農地改革で米国プランテーションの土地を接収したりしたことから米国と激しく対立し、輸出入を停止される経済制裁を受けた。プランテーション栽培していた砂糖の輸出先にも燃料や食料などの物資の輸入元にも困ったキューバはソ連に急接近して社会主義陣営の一部となるが、1991年のソ連崩壊で物資の輸入も激減。本当に物のない時代になった。この時代に「すべての人の平等、ただし最も虐げられた人の開放」という革命の精神の下、少ない食料を効率的に分配するために生まれたのが配給制度で、品目や量が減ったとはいえ今も続いており、キューバ家庭の食卓を支えている。

配給手帳。米、豆、油、砂糖…と品目が書いてある。

この配給食料の中心となるのが、米と豆。豆は肉に比べてはるかに安価にたんぱく質がとれる。また、常温保存できることも利点が大きい。ソ連崩壊後は電気も十分でなく冷蔵庫の利用もままならなかったそうだ。今は各戸に冷蔵庫があるが、流通過程でのロスなど考えるとやはり常温で扱えることは素晴らしい。

市場で売られるフリホーレス、ネグロとコロラド。90円/kgくらい。

みんなで分け合う、というキューバ式社会主義の精神

キューバの人からは、独り占めするとか自分だけ抜きん出るというのではなく「分け合う」思想を強く感じる。これは革命の精神の根本であり、物のない時代が続いたことで強化されもしたのだろう。

個人農家は作物をすべて自由市場に売って儲けることもできるが、低い買取価格で政府に売ることもする。もちろん全量買い取ってくれて楽だからという理由もあるだろうが、「働いた成果を政府に納め、みんなで分配するのは当たり前だし名誉なこと」という言葉は偽りではない。政府が買い取った食料は、配給や国営の市場を通して市民の台所に安価で分配される。

(左)配給を受け取れる店 (右)市中の市場

大家族で食べるのに好都合

キューバでは、家賃や固定費を抑えるために3世代同居が一般的だ。無料の医療制度のおかげで老人は長生きし、若者は早い年齢に子供を生むので、とにかく大家族だ。そしてその人たちがひとつ屋根の下に同居しているので、当然生活パターンも多様だ。

お母さん、子どもたち、そしてその各自の子どもたちが同居する大家族。全員が食卓に揃うことはあまりない。

でもご飯とフリホーレスさえ作っておけば、各自好きなタイミングで食べられる。人数が多く食べるタイミングがバラバラの家族において、作り置きできるフリホーレスは合理的だ。逆に都市部の母子家庭や若者の一人暮らしではフリホーレスはあまり作らないそうだ。

残ったフリホーレスは冷蔵庫(上段)に。温め直してすぐ食べられる。

各自の好みに合わせた多様な食べ方ができる

フリホーレスに近い料理に、コングリというものがある。豆とご飯を一緒に炊いた「合体版フリホーレス」とも言えるものだが、どういうわけか家庭ではフリホーレスの方がよく作られる。理由を聞いてみるとそれぞれ好みを語りだし、要は作る側の都合というより食べる側の嗜好によるもののようだ。

コングリ。炊飯器で炊いたもの。

ある家庭の夕飯では、同じ食卓を囲んでいても、父さんはフリホーレスをご飯にかけて混ぜてまぜごはんのようにして食べ、お母さんはカレーライスのように食べ、娘さんはご飯なしで単体でスープとして食べたがっていた。大家族でも全員の好みに合わせて何通りにも食べられるのは、フリホーレスの包容力と言えよう。

「好きな料理は?」と聞くと8割型「フリホーレス!」と返ってくるのは、食事の選択肢が少ないからだけではなく、好きになれる食べ方がある料理だからでもあるように思う。

(左)カレーライス的盛り付け (右)お父さんは混ぜご飯にして食べるのが好き

フリホーレスはいろいろな意味で「国民的家庭料理」

大勢で食べられて栄養が摂れるという意味ではすいとんのようであり、みんな大好きという意味ではカレーのようであり、毎日のように食べるという意味では味噌汁のよう。

政治的、経済的、そして精神的背景を反映してあらゆる家庭で日々食されるフリホーレスは、まさに国民的家庭料理と呼ぶにふさわしい。