イギリス、食と料理のまわりで起こっている気になりごと

Misato Okaneya
global-bee
Published in
7 min readDec 31, 2017

イギリスで、会社の現地スタッフと「食や料理の周りで気になっていることって何?そしてその根本にある課題って何?」を考えるワークショップをした。その後週末にひとり街を歩いていて、はっとすることが多くあった。
最近、発展途上にあるアジアの国々に行くことが多かったので、それらの国々との対比で、先進国的な課題が一層鮮烈に感じられた。しかし掘り下げてみると、先進国と新興国とで一見異なるように見える事象も、実は根本にある人の心の営みは共通なんだな、というのが窺えたのもなかなか面白かった。イギリスで特に印象的だった、食を取り巻く3つのトピックを挙げてみる。

1. 膨大な量の食品包材プラスチックゴミ

イギリスのスーパーでは、数年前から生鮮食料品がプラスチックで覆われるようになったそうだ。
ファーマーズマーケットで買い物したらゴミなんて出ないのに、スーパーで買い物するとゴミだらけになる!と憤慨しているスタッフがいたのでスーパーに行ってみたら、たしかに生鮮食料品コーナーに行っても野菜や肉の姿が見えない程にプラスチックだった。日本のスーパーも似たようなものかもしれないが。
野菜はプラ袋で包まれ、肉は真空パックにされて再利用不可の黒いトレーに載っている。変化の背景には、鮮度保持と手間の削減による購入促進などの商業的理由が強いようだった。イチゴやベリーのような柔らかいものは量り売りのために触られると品質悪化も著しいので、その理屈も一理はある。しかし、紙などではなくプラスチックを使うことには環境面から反発が強く、数々の署名活動や投書が行われている(例1, 例2)。

イギリスのスーパーの野菜売場と肉売場

2. 極端な食の嗜好の増加

ベジタリアン、ビーガン、パレオダイエット、グルテンフリー…食の嗜好は多様化が進んでいる。特に、動物由来の食品を一切摂らないビーガンは、かなり市民権を得てきている。カフェやレストランに行ってもかなりの確率でVマークのついたメニューが載っているし、加工品にもついている。週末に行ったVegan Festivalは、有料イベントにも関わらずVeganの人とVeganに興味のある人とが集まって大盛況で、関心の高さを感じた。若い女性だけでなく、ムキムキの男性や親子連れも結構いたのが意外だった。

肉もケーキもバーガーも、全部植物性。バーガーを作るムキムキ男性もビーガン。

ビーガンが流行る背景としては、食肉生産の大規模工業化に対する倫理観・環境観からの抵抗があるようだった。ストレスフルな育て方をさせてまで肉を食べたくない、という主張がビーガンという形として現れている。
食の嗜好が多様化の問題点として上がったのは、食卓の分断。自分の食べられるものを確保するために料理のモチベーションは上がりうる一方で、家族や友人と囲む食卓のシーンでは各人に合わせて料理することが合理的でなくなってくるので、出来合いのものを買ってきたり別々に食べたりすることになる。

日本でも同様な生産の状況はあるのに、欧米(特にイギリスとアメリカ)でこういったdietが広がるのは、環境意識や倫理意識が高い社会であることと、(誤解を恐れずに言うと)元々の食文化の土台が脆弱だということが、ものの記事ではよく挙げられている。例えば日本だったら魚の乱獲問題があるからと言って魚を食べない食生活は無理だし、フランス料理では文化の一部としてフォアグラをいただいている。

犠牲があることを認めつつ生命に感謝して押しいただく社会と、犠牲があるから食べるのをやめようという社会。生産(生命)と消費(食卓)の距離が広がると、極端な思想に振れやすくなるのかもしれない。

ちなみに、イギリスの食文化全体についてあてはまることだが、禁欲を是とするプロテスタントの教義のため食を楽しむという文化がない、という説が個人的にはかなり納得感がある。環境や生物に良くないなら、食べることをやめよう、と極端な思想に振れやすいのかもしれない。
ちなみに他のプロテスタントの国は、アメリカ・ドイツ・オランダ・北欧。食の豊かさにおいて評判の高くない国々が並ぶ。

3. 簡便な食のオプションの増加

Uber EATSにあたるものとして、イギリスではdeliverooが多用されている。deliverooは、ニューヨークからロンドンに引っ越した創業者が、まともな食事をデリバリーで得られないことに衝撃を受けて創業した。世界中のレストランを家庭に繋ぐことをミッションとしている。

写真はdeliverooサイトより

流通インフラが整った日本ではコンビニ、食が手軽に稼げる手段であるアジアではストリートフード、欧米ではデリバリー。それぞれ形は違えど、安くて美味しくて便利なオプションがあるのならばできれば料理はしたくないというのは各地共通であることが窺える。
興味深いのは、アジアの新興諸国では概ね「ストリートフードは不健康で不衛生だからよくない」という共通認識があるのに対し、イギリスでは「デリバリーはパッケージフードよりましだから一概に悪とはいえない」と判断が揺れていたこと。人々の受け止め方が違うから、料理に見出す意味も異なるんだろうと感じた。

4. 料理のメディアコンテンツ化

この議論は、「料理への関心は低下しているのか?」という話題から始まった。
テレビでは料理ショーが流れ、ソーシャルメディアには料理動画が溢れていて、消費するコンテンツとしての料理への関心は高まっている。しかし一方で料理をするようになっているかというと、料理ショーを見ながらソファでdeliverooで取ったピザを食べていたりする。料理への関心は高まっているが、アクティブな生産行為からパッシブな消費コンテンツへと変化している感がある。これは、各国で感じるし全世界的な風潮のように思える。
そしてメディアに現れるきれいで完璧な料理のイメージに慣れると、自分で料理をしてもがっかりするだけだし喜ばれもしなくなる。そうしてより一層料理の受容者になっていく。

クックパッドの料理写真は汚い、というユーザーの声は日本だけでなくイギリスでもあるらしい。茶色くって、自然光でもなく少し暗くて、時々ピンぼけしてて。それがリアルな食卓な訳だけれど、わかっていてもやっぱりがっかりするし意欲は削がれる。技術の力でイメージと現実のギャップを橋渡しできないだろうか、という話が上がった。

動画サイトとクックパッドUK、写真の差は歴然。

総括

タイで同様のワークショップを実施した時と比べてイギリスで興味深かったのは、個人の生活の中での関心事を離れてグローバル規模の話題が多く上がったことだった。欧米は環境意識や倫理観が強いというけれど、食の生産や流通の歪みに対する反感がその裏にはあるようだった。
タイではもっと日々感じる食の安全や衛生の問題に関心が集まっていたので、自分の生活から一歩引いた大きな問題に課題意識を感じるのは、食うに困らない先進国的で欧米的な傾向なのかもしれない。

一方、楽ができるなら楽したい、頑張っても褒められないのであれば料理はしたくない、というのは環境は違えど人間共通なんだなというのはすごく素直に納得できる真理だった。

--

--

Misato Okaneya
global-bee

このブログはアーカイブです。noteに引っ越しました。 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx 岡根谷実里 / 世界の台所探検家。世界各地の家庭の台所を訪れ、世界中の人と一緒に料理をしています。料理から見える社会や文化や歴史や風土のことを、主に書いています。