スーダンのパン抗議デモ、40年前に撒かれた種

Misato Okaneya
global-bee
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3 min readJan 14, 2019

[前編]のつづき。

スーダンでは、自給率が低くおそらく古くからの主食でもないパンが食卓に欠かせない存在となっている。その背景について前編で書いた。ところで今パンの値上げを巡って死者が出る抗議デモが続いており、政情が不安定化している。後編では、なぜパンを巡って今火種が吹いているのかを探る。

パン値上げ抗議デモの本当の原因

デモの直接的な原因はパンや燃料などの物価上昇が原因だが、実際にはその背後にある30年もの独裁体制と一向によくならない経済状況が、怒りの対象だといわれている。その経済状況をさらに深掘りしていくと、避けようもなく小麦補助金制度PL480に行き着く。

PL480は、長期ローンで小麦が輸入できる制度である。長期ローンであるとはいえ、返済しなくてよいわけではない。その返済期間は40年で、10年の猶予期間がある。2018年は、制度開始した1974年から数えて40+3年目にあたる。最初の小麦の返済期間が過ぎて返済しきれずに猶予期間に突入したか、年々積み重なる返済額に焦りを感じ始めたか、とにかく返済の厳しさが現実のものとして現れてきたタイミングなのではないだろうか。

制度開始から6年後に発表された論文では、既に制度維持の困難さと危うさが指摘されている。国の経済が伸びてお金が増えなければ、負債が雪だるま式に増えていつか立ち行かなくなることはわかっていた。1974年以降のスーダンは、南スーダンと分かれて石油資源を失い、他の産業も育たなかった。いま国にお金が無いという事実は、統計の数字を見るまでもなく、日に日に高くなっていく食料の価格やATMからお金が引き出せないことなどの日常の出来事から誰の目にも明らかだ。わかっていたのにここまで来てしまったのは、国際援助や好条件での食料輸入スキームによって、目先のことを優先して小麦需要を拡大させてしまったことが大きな要因だといえる。

国際援助の招いた40年後の結末

「スーダンの食料事情を助けるため」と思って国際社会がおこなったことが、国の食料供給を後戻りできない外部依存体質へと導き、40年後の暴動を生むことになろうとは何とも皮肉だ。(ちなみにPL480による小麦輸入元はスーダンに経済制裁を与えている張本人のアメリカであり、このあたりに親切だけでない思惑も感じる。)

40年の時を経て、パンはスーダンの食事の一部となった。日本の家庭料理としてカレーやハンバーグが市民権を得たように、パンにレンズ豆スープをかけたフェッタは、豊かでない家庭でも食べられる定番料理として定着している。補助金撤廃によりパンの値上がりと供給減少が避けられない今、フェッタすら高級品になることもありうる。これからさらに40年後、家庭の主食は一体どうなっているのだろうか。

レンズ豆スープをかけたフェッタを食べる

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Misato Okaneya
global-bee

このブログはアーカイブです。noteに引っ越しました。 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx 岡根谷実里 / 世界の台所探検家。世界各地の家庭の台所を訪れ、世界中の人と一緒に料理をしています。料理から見える社会や文化や歴史や風土のことを、主に書いています。