日本は無条件降伏したのか

田上 嘉一
偉大な牛
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5 min readAug 15, 2019

「日本は無条件降伏していない」という説があるのを最近知った。戦後、保守派論壇の首魁である江藤淳がそう述べていたらしい。

曰く、ポツダム宣言第5項は、「吾等ノ条件ハ左ノ如シ( Following are aour terms.)」として、第6項以下の条項に降伏条件を明示しており、無条件降伏 ( unconditional Surrender )」 なる語が用いられているのは第13 項の「全日本国軍隊ノ無条件降伏 (the unconditional surrender of all Japanese armed forces )」 という文言において用いられているだけだから、ということらしい。

ちなみに、こちらはポツダム宣言の原文である。

なるほど、そうすると旧帝国陸海軍は、連合国に無条件降伏しているが、日本国政府としては、あくまでポツダム宣言に記載された各事項を条件として降伏したということになるのだろう。

ポツダム宣言は1945年7月26日に公表されたが、これに対し日本は、 「受諾する用意がある」と回答しつつ、8月10日に連合軍に対し天皇の地位について確認を求めている。国体が護持されるかどうかが、日本側の最大の関心事であった。

この照会のために4日ほど日本の降伏が遅れた。この照会にはアメリカのバーンズ国務長官が回答した(「バーンズ回答」)。その回答文中に「天皇の統治権は連合軍最高司令官に従属する(subject to)」という一節があった。これは間接的に天皇の地位の保全を認めたものと解釈できたのだが、一部の陸軍軍人はこれを「隷属する」というように解したため、反発を強めた。「こんな条件では降伏できない、戦争を継続すべきだ」と息巻いている姿が、『日本の一番長い日』などにも出てくる。

江藤淳によれば、日本が「無条件降伏した」という神話が生まれたのはむしろ占領下においてのことであるという。本来条件付きの降伏であったポツダム宣言が、いつの間にか無条件降伏にすり替えられてしまったのは、アメリカの陰謀であると江藤はいうが、加藤典洋の『9条入門』(創元社)によると、どうやらそういうものでもないらしい。

連合国最高司令官は、言わずとしれたダグラス・マッカーサーであったが、彼は大統領になることを夢見ており、そのために日本の占領という実績を欲しがっていた。本国のトルーマン政権との微妙な権力の駆け引きがそこにはあった。と同時に、英ソ中といった、他の連合国に対してアメリカの権限を強化し、出し抜くための謀略も必要であった。マッカーサーは、アメリカ本国と他の連合国を相手にしなくてはならなかったのである。

マッカーサーは、アメリカの権限を強化するために、日本占領はポツダム宣言によるものではなく、あくまで無条件降伏にもとづいて行うものであるということにしようとした。こうして連合国最高司令官は、日本と他の他の連合国に対して圧倒的な優位性を得たのであった。他方で、アメリカ本国に対しては、ポツダム宣言遵守を理由に、本国の指示を無視し、自分の独立王国をこの極東の島国に築き上げようとしたのだった。それが彼にとって大統領への道として必要であるように思えていたのだろう。

この複雑に絡み合った思惑の海を遊泳したマッカーサーの手腕は見事と言わざるを得ない。もっとも、最終的にはトルーマンとダレスの前に敗れ去り、彼の野望は打ち砕かれてしまうのだが。

さて、無条件降伏にすり替わるきっかけとなったのは、些細なことだった。8月14日にアメリカ国務省が証拠隠滅防止のために文書提出を求めたところ、日本側はそうした義務はポツダム宣言にないとして拒絶した。これに業をにやしたアメリカは、連合国最高司令官の権限を「大統領レベル」に引き上げることとした。9月1日には、国務次官ディーン・アチソンの上申に応じるかたちで、9月6日にマッカーサー宛に「連合国最高司令官の権限に関する通達」(SWNCC181/1伝令第1号)が発令される。この通達文書の中には、天皇及び日本政府の権限が連合国最高司令官の下に服すること、連合国と日本との関係は、契約書ではなく無条件降伏に基づくものであることが記されていた。これによってポツダム宣言にあろうがなかろうが、恐ろしいことに連合国最高司令官は無上の権限を行使することができるようになったのだ。

アメリカが、突如として無条件降伏を主張し、連合国最高司令官マッカーサーの権限をポツダム宣言の枠外においたということを知ってイギリスやソ連は狼狽するものの、イギリスは結果的にこれに屈し、ソ連はこれに反発することで冷戦へとつながっていく。日本はまさに次なる戦いの最前線だったわけだ。

いずれにせよ、ポツダム宣言の条文を素直に読む限りは、無条件降伏ではないようにも解することができる。しかし、その後の権謀術策の中で、結果的に無条件降伏という事実が積み上げられていったのだろう。宮沢俊義の八月革命説にしてもそうだが、とにかく占領から新憲法制定、そして独立までの経緯はあまりに胡散臭く、純粋な理論ではどうにも説明がつかないことが多い。こうした闇は、巨大で綿密な謀略によってなしとげられたわけではなく、あくまで局所的な思惑によるつじつま合わせによって作り上げられたものだろう。それはその時点では必要だったのかもしれないが、結果的に戦後日本の正統性に大きな影を落としているし、いまだに主権の不明確さとしては残っている。8月15日にこうしたことを考えてみるのも、重要なことであろう。

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田上 嘉一
偉大な牛

法律家であり、以費塾門下の儒学者でもある。倫敦大学で Law in Computer and Communications の修士号取得。陸上自衛隊三等陸佐(予備)。TOKYO MX『モーニングCROSS』に出演中。