私たちはいかなる憲法を持つべきか

田上 嘉一
偉大な牛
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5 min readOct 1, 2018

東京MXにて毎週日曜日正午から放送している『サンデーCROSS』に出演してきた。今回が最終回とのことで、非常に残念だが、その分豪華なゲストで骨太の議論をすることができた。

自民党の安藤裕議員、立憲民主党の山尾志桜里議員、東京外国語大学総合国際学研究院教授で世界の紛争問題に取り組んでいる伊勢崎賢治さんに京都大学大学院教授で内閣官房参与の藤井聡さんというメンバー。

2017年5月に安倍総理が唐突に言い出した自衛隊明記の加憲改正だが、論理と言うよりもとにかく改正という事実をつくりたいというものが透けて見えるような、いかにも中途半端な案であることは、各氏が指摘しているとおりだ。論理的には2項を削除するのが妥当だが、平和の象徴である9条の条文に手を付けるとなると、護憲派の厳しい抵抗にあい、説明をしつくすことができないと見ているのであろう。なんとも情けない話ではある。

伊勢崎さんが、「国防軍だろうと戦力だろうと自衛隊だろうと、英語にしてしまえばすべて『Force』である」というコメントがなされ、全員でうなずいていたのだが、あくまで戦力不保持をうたう9条2項の文言があるため、「戦力」には当たらないが「実力組織」であるという摩訶不思議な詭弁を成り立たせているのが、平和国家なる我が国の実情である。「自衛隊」という文言を憲法典に書き込めば、確かに自衛隊という組織そのものについての違憲の疑いは払拭されるだろうが、じゃあ現実の自衛隊が保有する武力が戦力なのかそれとも実力の範囲内なのかという論争は終わることはないわけである。

巷間言われている通り、9条1項は、パリ不戦条約や国連憲章2条4項の焼き直しなのであって、この内容については、世界中のすべての国が拘束されているし、ドイツや韓国、イタリアをはじめ、同様の規定を憲法典に規定している国はいくらでもある。問題は戦力不保持、交戦権否認をうたっている9条2項にあることは論を俟たない。

この日は、山尾議員が掲げる「立憲的改憲」についても議論を行った。俺がこの改憲案に持っている疑問はいくつかあるが、その一つに「なぜ集団的自衛権を否定して、個別的自衛権に限定しなくてはならないのか?」ということである。

日米安保を維持しつつ集団的自衛権を否定することは非現実的である

立憲的改憲案に対しての俺の基本的な批判は上記の記事を読んでもらえれば良い。

近代思想をたどっていけば、立憲主義も憲法も手段に過ぎず、その終局的な目的はあくまで人権保障である。そして国家の最も重要な責務は、国民の生命、財産を守ることにあるのだから、国家はありとあらゆる方法を駆使していかに効率よく多くの生命財産を守ることができるかについて考えなくてはならない。

その意味で、個別的自衛権に限定するのか、集団的自衛権に限定するのか、双方とも行使するのかはそのときどきの情勢に応じて考えるべきであり、憲法で不行使に固定するのは合理的な政策とはいえないだろう。

世界最強国のアメリカであっても、単独で自国の防衛を考えておらず、他国との同盟関係を築くことによって安全保障政策を立てている。スイスやノルウェーのような国もあるが、日本とは置かれている状況が大きく異なるだろう。第一、集団的自衛権の不行使を厳密に行使しないのであれば、論理的には、軍事同盟である日米安全保障条約を破棄しなくてはならないだろう。朝鮮国連軍との地位協定も破棄しなくてはならない。あまりに現実をみない空理空論であると言わざるをえないだろう。

繰り返すが、国家の最大の責務は国民の保護であるのだから、そのための手段としての選択肢は多いにこしたことはない。それなのに極めて有効な、それゆえに各国が用いている、集団的自衛権を最初から放棄してしまうということは、政治家として責務を放棄してはいないか。なぜ日本は単独で国を守るといったような高いハードルを越えなければならないのか。合理性が見当たらない。

いずれにせよ、中途半端で意味のない安倍加憲案を実施するくらいであれば、憲法改正自体しなくてよい。また立憲的改憲にも納得できない点が多々ある。石破議員が提唱するような、というよりも本来の自民党の案であった2項を削除して戦力たる国防軍を追記するような改正は、筋としては通っているし、日本が一人前の国家になるためには必要なことであるとは思う。とはいえ、解釈改憲で集団的自衛権まで認められるまでになったのだし、さらに多額のコストをかけて憲法の文言を取り立てて変更する意味合いは、政治的に薄いように思える。

むしろ2項削除は中国や韓国を刺激することは間違いない。中国はその点をことさらに取り立てて、それを理由に海軍力を強化するかもしれない。無駄に突っ込みどころを与えるような愚を犯すべきではない。

憲法そのものを変えても安全が確保されるわけではない。安保法制では断念されたが、むしろグレーゾーン法制の整備、イギリスやオーストラリアやインドなどとの連携を強化させることのほうがよほど重要である。その意味において、最近の俺は戦略的な護憲派となりつつある。

なお、集団的自衛権を認めることによって、対米従属を強めてしまって、アメリカと一体化してよその戦争に巻き込まれるという言説がある。これはこれで現実味があるようではあるが、さすがに論理の倒錯というべきか、それこそ非常に情けないことをいっていることになってしまう。

日本としては、情勢の変化に鑑みつつ、メリットとデメリットを丁寧に勘案した上で、日米地位協定改定などしぶとく交渉していくしかない。この点についてはまた別の機会に書こう。

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田上 嘉一
偉大な牛

法律家であり、以費塾門下の儒学者でもある。倫敦大学で Law in Computer and Communications の修士号取得。陸上自衛隊三等陸佐(予備)。TOKYO MX『モーニングCROSS』に出演中。