結婚制度の解体は近代国家を変えるか

田上 嘉一
偉大な牛
Published in
4 min readMay 22, 2019

今朝の東京MX『モーニングクロス』の人気コーナー「オピニオンクロス」で同性婚の法制度化に関する議論がなされていた。そのくだりで、「そもそも異性婚とか同性婚の問題もあるが結婚制度自体がすでに社会に適合しなくなっている可能性があり、結婚制度そのものを解体すること」について議論が発展していた。

結婚制度自体についてはそのとおりで、およそ明治民法によって現代の結婚制度が導入されてから、約120年にわたって大きな変更はなされていない。一方で家族のあり方というものはその間大きく変わってきているので、確かに結婚という制度に固執する必要はないかもしれないのである。

この論点との絡みでいうと、2013年12月25日に民法が改正されており、嫡出子と非嫡出子の相続分が均等とすることが定められた。法改正以前は、民法900条4号但書の規定により、非嫡出子の相続分は嫡出子の1/2とされていたが、この規定が憲法14条に違反するということで削除されたのである。

これはあくまで子供の相続分に関するものであるが、その背景にはやはり婚姻関係にある夫婦間の子を重視するという考え方があり、つまり法定婚を中核において家族というものを考えていくものが根底にあった。

さて、仮に結婚制度を根底に据えないとすると、その先には自由恋愛社会というものが待っているのだろう。つまり、異性であると同性であると問わず、誰もが自由に恋愛を楽しむことができる。その相手は必ずしも特定の相手に縛られなくても良い。結婚制度があれば、当然他の相手との性交渉は不法行為を形成するし、離婚事由ともなるので、乗り越えるべき壁として法律が機能する。しかし自由恋愛社会となれば、不倫という概念自体が消失し、誰と何をしようが咎められるいわれはなくなるのである。

そうなるとどうなるか。仮に異性間の恋愛をベースにおいて考えると、どうしても生殖機能の差異によって、複数の女性と付き合う男性が増えるだろう。逆の例も一定程度は存在するだろうが、他の哺乳類の生態から類推してもそうなる可能性が高い。

日本の2017年度の統計では、男性が6,104万人、女性が6,439万人とのことなので、若干女性のほうが多いようだが、もし仮に男性が複数女性と付き合うようになれば、男性があぶれることになるだろう。それはつまり、子孫を遺すことができない男性が増えるということになる。

我々が共同体を維持しようと思うのは、自分だけではなく、自分の家族、とりわけ子や孫にも平和で豊かな暮らしを享受してもらいたいという願いがあるからだろう。そのために税金を払い、国を守るためだったり、道路や橋を作ったり、というようなことに使うことを許容しているのである。

近代における国民国家というのは、それまで国家や国民というものを意識していなかった人たちが、「俺たち」という概念を共有するにいたって初めて成り立ってきたという歴史がある。そして多くの国家で採用されている議会制民主主義という制度は、それを支える分厚い中間層なしには成り立たないものだ。仮に大半の男性が子孫を遺すことができないような状態に陥ったとき、国家機能を維持することは本当にできるだろうか。すでに多くの課題が指摘されている議会制民主主義を継続することができるだろうか。

もちろん社会の制度が変わった場合にはそれに合わせて種々のシステムを変えていくことが必要である。すでに継続維持が難しくなっているシステムを延命させることが目的となってはならない。法律を始めとする社会の制度は、人々の暮らしを豊かにするためにあるのであって、逆であってはならないのは自明である。

ただ、ここで言っておきたかったのは、結婚は家族とはなにかという人々の暮らしの根幹にダイレクトに関わる制度であるため、ある一面だけを見て変えることは思わぬ副作用を引き起こしてしまうことがありやしないか、そのことをしっかりと検討した上で変更する必要があるということである。

--

--

田上 嘉一
偉大な牛

法律家であり、以費塾門下の儒学者でもある。倫敦大学で Law in Computer and Communications の修士号取得。陸上自衛隊三等陸佐(予備)。TOKYO MX『モーニングCROSS』に出演中。