EU首脳人事をめぐるメルケルとマクロンの静かな戦いとその先にある波乱

田上 嘉一
偉大な牛
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6 min readJul 6, 2019

長らく議論が続けられたEUの次期首脳陣が7月2日に決定した。6月30日から7月2日までの3日間に渡る臨時首脳会議で、欧州委員長にドイツ人のフォンデアライエン国防相、欧州中央銀行総裁にフランス人のラガルドIMF専務理事、EU大統領(閣僚理事会議長)にベルギーのミシェル首相、外交安全保障上級代表にスペインのボレル外相が就任することが、それぞれ決定した。

この欧州委員長、ECB総裁については、長く独仏間で綱引きが続いていた。欧州の女帝メルケルは、もともと欧州人民民主党(EPP)の会派代表であるウェーバーを推していた。他方で、大国ドイツが欧州トップの地位を取ることについては、EU内の均衡を欠くことになるとして懸念の声が上がっていた。同時にメルケルはECB総裁にもタカ派のワイトマンを押し込もうとしており、これに対しては南欧などが反対を表明し続けていた。ECB理事会では、ユーロ救済のための非伝統的政策に唯一反対するタカ派であり、ドイツ連銀の伝統的な保守本流である。このような人物に欧州の金融を握られてしまうことは、イタリアやギリシャなどにとっては悪夢以外のなにものでもない。他方で、対抗馬のクーレECB専務理事(フランス)うやビルロワドガロー仏中央銀行総裁(フランス)は、現総裁のマリオ・ドラギ同様金融緩和については柔軟な考えを持っていた。

なお、2014年から、欧州委員長には議会選で最大勢力を得た会派が推す候補がつくというルールができている。欧州委員長はEUの政府とも言える欧州委員のトップ、つまり行政府の長である。議会多数派の候補者がこの地位につくことは議院内閣制の考え方に近いと言えるだろう。このルールに従えば、今回の欧州議会選でも最大会派を占めたEPPが推すウェーバーとなるのが道理である。

ここでウェーバー就任に待ったをかけたのがマクロンだ。そもそもマクロンは上記のルールそのものに対して反発している。さらに、ウェーバーには、かつて反ユダヤ主義を隠さないハンガリーのオルバン首相を強く推してきたという汚点があることが災いした。ドイツにEUを牛耳られることを良しとしないマクロンは、こうした点を指摘しつつ、対抗馬として、GAFAの天敵として知られるべステアー欧州委員(デンマーク)やEU離脱交渉などを行ってきたバルニエ首席交渉官(フランス)を推薦していた。

メルケルとマクロン。二人はEU改革を行い、米中の二大巨頭に対抗していくという面においては重要なパートナーではあるが、どちらが欧州をリードしていくかという局面においては、静かな戦いを繰り広げるライバルであった。

6月25日、26日に行われた欧州議会選挙。その後のマクロンの動きは実に素早かった。27日にはスペインのサンチェス首相、28日はオランダのルッテ首相、ポルガルのコスタ首相などと会談。G20の合間を縫うようにして、マクロンは賛同者を募りメルケル包囲網を構築した。「欧州委員長にはカリスマ性と経験がある人物がふさわしい」と述べた。これはウェーバーの経験不足を懸念する声があることを受けての牽制なのだ。

これに対して、女帝メルケルは、民主的正統性を主張してあくまでウェーバーを支持。しかし、女帝の咆哮もむなしく、28日のEU首脳会議で新委員長は最大会派からではなく加盟国首脳が選ぶ方針が決定されてしまう。女帝に挑む若き将軍が一歩先んじたかたちとなった。

EUの組織は極めて複雑だ。これを正しく理解している人は殆どいないだろう。

この記事を参考にしてほしい。

今さら聞けないEUのしくみ ーEUの機関と「民主主義の赤字」ー

EUの人事は単独では決まらない。欧州委員長、EU大統領、ECB総裁、外交安全保障上級代表などの各ポストをめぐって、大国・小国、北欧・南欧、東欧・西欧のどの加盟国が取るのか、非常に繊細なバランスの上に成り立っている。もし仮に欧州委員長をドイツ以外の国から選ぶとなると、ECB総裁はワイトマンとなる見込みが高かった。

ECB総裁はこれまでオランダ、フランス、イタリアと続いてきた。欧州の金融・通貨を安定させるため、ECB総裁を自国から出すのはドイツの悲願である。しかし、上述の通り、緊縮路線のドイツからECB総裁を出すことは南欧諸国の反発が極めて強い。欧州委員長とECB総裁。「二兎を追う者は一兎をも得ず」どころか、ウェーバーかワイトマンに固執すれば、いずれも失いかねない状況にあった。

ここで女帝は、誰もが思いもよらなかった奇手を打つ。ドイツ国防省のフォンデアライエンを欧州委員長にするという案をひねり出したのだ。女帝が本来意中に思い描いていたウェーバーを押し通すことはすでに不可能となってしまったが、それでもドイツからこのポストを輩出することは、1967年に退任した欧州経済共同体(ECC)初代委員長ハルシュタイン氏以来のことである。万が一ドイツがこのポストを失うとすれば、本国ドイツにおける女帝の椅子自体がぐらつくことにもなりかねなかった。

フォンデアライエンは長年メルケルを支えてきた古参の腹心である。しかし、昨年秋に首相から退くことを表明したとき、メルケルが後継者として指名したのはクランプカレンバウアーだった。そのため、メルケルはフォンデアライエンのために別のポストを用意する必要があった。メルケルはこれで腹心をEUのトップに据えることにまんまと成功したわけである。

これはマクロンとしても悪い妥協策ではなかった。マクロンはウェーバーをそのまま欧州委員長にせず、女性をトップに据えることに成功したという印象を勝ち取ることができた。

女帝と若き将軍は再び手を携えることができた。それはいい。欧州の安定のために独仏の連携は不可欠である。しかし問題はそれだけでは終わらない。そもそも安全保障を担当してきたフォンデアライエンは、つくとすれば、外交安全保障上級代表のはずであった。欧州議会の各会派が候補として推薦している人物でもない。このようなかたちで独仏首脳が密室で決定することに民主的な正統性を見出すことは難しい。ただでさえ、「民主主義の赤字」が欧州懐疑派の論拠となっていることで屋台骨がぐらついている状況である。これは彼らにつけ入る隙を与えたようなものだ。

振り返ってみれば、今回の人事はあくまでコップの中の嵐であった。しかし、EUの問題はコップの外にあるのだ。欧州の混迷した状況は今後ますます深まることだろうし、今回の件がターニングポイントとなる可能性すらあると思われる。

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田上 嘉一
偉大な牛

法律家であり、以費塾門下の儒学者でもある。倫敦大学で Law in Computer and Communications の修士号取得。陸上自衛隊三等陸佐(予備)。TOKYO MX『モーニングCROSS』に出演中。