祖父の戦争手記「私の日ソ戦」
シベリヤ抑留 三年 (第八回)
伊藤伸男
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私はこの第四ラーゲルに移されてからは考え込んでいた。何か見えない物で縛られている様な気がしてならなかった。四回もダモイから外されている。よし、それならばと帰る為に、これからは共産党を誉めあげてやろうと思い、行動を起こした。収容所内では、そのころ盛んに民主主義、民主主義と叫ばれはじめていた。三年目ともなると、物も少しは出始めていたので、紙と色鉛筆を貰って来て、食堂のテーブルの上に置く。小さなついたてにコラムを書き始めた、皆の目を引きそうな短文で医学博士で軍人、動物学者のバイコフ著「大王」の本の中より引用して、
「リスは大自然の法則(掟)に従って生きている。もし、この法則に従わずに、くるみ林から外に出て行けば、たちどころに食に窮して亡びるであろう。天下の流れは今は共産主義にあり。同士よ。目覚めて頑張ろう。」とか、
「弱肉強食の世界に生きる大王の虎とて、森の猪を食べ尽くしてしまえば、やがては虎とて食に窮して滅亡して行くであろう。共産主義は今や天下の正道を行く流れである。同士よ。目覚めて頑張ろう。」などと書き、色鉛筆で小さなリスや虎の顔などを画いて皆の気をひくようにした。「大王」は若い頃読んだ虎の一生を書いた本である。
このようなことをしていたら直ぐに反応があった。「伊藤は来月から地区講習を受けよ」と伝達があった。地区講習とは午前中だけ一ヶ月間、作業に出ずに構内の教室で講義を受ける事だ。内容は、共産主義とは?資本主義とは?ということと、史的唯物論であった。これを一口で言うならば、共産主義社会とは、皆平等でお互いに助け合いながら、平和なる社会を創ること。資本主義社会とは競争の社会で、お互いに競い合いながら発展させて行く社会である。史的唯物論では、「歴史は偉人や英雄が出現して世の中が変わって行くと言うことを全面的に否定しておいて、まず、鉄が発見され、鍬ができて、農作業が発展し、世の中が変わって行く。蒸気機関が発明されて、工場ができ、大量生産ができるようになり、資本家とか労働者が現われ、世の中が変わって行く。」というものであった。そして結論は皆、共産主義が優位なりと結び付けられていた。
この地区講習の上に地方講習があり、三ヶ月間何もせずに講習を受けた。ここを終わってきた者達はがらりと人が変わってくる。オルグ(活動家)だ。この連中ににらまれたら大変だ。もし、吊るし上げにでもあえば、人民裁判と同じで、地獄に落ちたようなものだ。言い訳はもう通らない。この地方講習の上にまだ中央講習などというものもあった。なんだか今までの見えない糸が見えてきたような気がする。
そうこうしているうちに三年目の夏も終わり、霜の朝を迎える。九月に入ってしまった。また冬になってしまったら、港が凍ってダモイもなくなる。今年もだめかと思っていたらダモイの伝達が出た。名前を読み上げられる。私の名前が告げられた。何回も何回もダモイを外されていた私には夢心地、夢心地。嬉しくて、嬉しくて、一晩中その夜は眠れなかった。踊り出したい気持ちであった。
やがて貨車に乗せられ、ナホトカ港へ。晩秋のナホトカ港は茶色な土がむき出しの殺風景の港であった。二、三日待って船に乗る。そして船員より今の日本は台風が通過した後で鉄道はずたずたに切れている。そしてまた海上は波が高いので気分の悪くなった者は、早めに申し出てくださいと言われた。ゆっくりと船室に横になり、今までのこと、これからのこと、いろいろと思いをめぐらせて時を過ごす。
朝方、「おーい、日本が見えたぞ。」という声を聞いた。私は甲板に上がっていった。そこには緑の山が海岸にせまっている舞鶴港が見えた。霧雨が降っている山の下の海岸の道を番傘が三つ、四つ通って行く。小学生の傘と思われる。
我が祖国よ。有難う。有難う。何物にも代え難い大事な祖国。何度死と向かい合いながら夢見たことか!ただ涙が込み上げてくる。昭和二十三年九月二十三日、ついに日本本土に上陸した。二十六歳の秋に復員することができた。
(続く)
2017年で94歳になった祖父、伊藤伸男の戦争手記をMediumで公開することにしました。彼は、青年時代から満州鉄道で働き、日ソ戦で戦い、終戦後は3年間シベリア抑留を経験しました。「思い出したくないことだけれど、戦争体験が風化しないように記録に残しておくことが、若い人たちへの責務だ」と考えて筆をとったそうです。20年ほど前に書かれた手記ですが、世界情勢が不安定な今、また多くの人に読んでもらえたら、と思っています。
※句読点、段落、漢字等は原文のまま掲載しています。
「私の日ソ戦」をKindleで公開しました。Mediumで公開されている内容に加え、祖父が幼少期〜青年期までを振り返った「青竹記」も付いています。(さらに縦書きなので読みやすいです。)

