
知らない人となんとなく話をする。
これが自然に発生する環境ってほんま素敵やわ。
笑顔はにじみでるもの。
目的地に向かう途中の電車待ち。30分。
その駅で外に出て一服しとったら、同じようにただただ一服してるおっちゃんと談笑。
そのおっちゃんは駅の隣町の人やった。
ただただこの駅前の景色が好きで、わざわざ車でここまで来て、一服をしながらその好きな景色を全身に浴びているらしい。
たったそれだけ。ただ好きな場所で、ただボォーっとする。
そんな小さな小さなことをしてるそのおっちゃんからは、大きな大きな笑顔がこぼれとった。
至福の時間ってこういうことなんかもなー。
好きなこと。やりたいこと。幸せ。
なんか勝手に期待値を上げすぎて、ハードルをあげてしまっている気がする。
大きなことじゃないと、そういったらアカンように感じてしまっていた。
実はすぐ目の前にある、自分がふっと表れるような、解放されるような、溶け出すような、そんな「一瞬」のことでええんちゃうかな。
そこを勘違いしたまま、なんか「すごいこと」を求めとったら、あんな自然とに滲み出るような笑顔にはなれんやろなと思った。
頑張って、「無理」をしてるんでしょ?
「頑張ってる」ってポピュラーな「承認欲求」を満たす方法やからやっかいやねん。
楽しむと頑張るって違うやん?
楽しくないことを無理してやるのが「頑張る」って感じがする。
楽しけりゃ「楽しい」って自分の中で完結することやのに、楽しくないから理由をやたらと求める。
辛いから自分で自分を認められないから、人に認めてほしくてまた頑張っちゃう。
そんな自分以外のものに、自分を委ねてどないすんねん笑
自分以外のものに認めてもらう必要なんてないし、そのための理由もいらん。
他人基準ではつまらないことでも、世間基準では意味のないことでも、自分の心がなんか震えるものなら、それは自分にとっては正しいもの。
自分のことに、世間的な正義か悪かなんてもってきたらアカン。
「自分にとっての幸せ」が、他人にとって、世間にとってどうなのかってのは自分には関係あらへん。
自分が勝手に楽しむ。その溢れ出す幸せ感に触れた人は勝手に楽しくなる。
「幸せそうな自分」ってのが相手に与えられる最高の価値。