
ぼくは常に先のことを考えようとしてまう。
先のことなんてわからないと頭では理解しとっても、つい先のことをわかろうとしてしまう。
そうやって結局は「わからない」ってことに頭をもっていかれて、今の目の前にある愛おしいもの、美しいもの、自分の心がふっと軽くなるような、解放されていくようなその瞬間を見過ごしてしまっていた。
心の濁りを、先のことで解決しようとして今を置き去りに、心を濁していた。
死んだ後のことを考えたら「先のことを考える」なんてたかがしれてる。
自分には今しかないねん。そしてきっと、今を生きる全ての生命は身軽なんやと思う。
ただ今を生きる。そのシンプルな中に、自分を縛る枷は何もないんやから。
先のことを考える。そうすることで他人やら状況やら、在るんか無いんかもわからんような、
ほんまは「自分が生きること」には関係のない様々なもんを勝手に自分で自分の身体に巻きつけて複雑にして動けなくなってとるだけなんよ。
ありきたりな言葉やけど、いつ死ぬのかわからんし実際にいつか死ぬ。
そうして自分が死んだとき、その先はいったい誰がぼくの代わりに、ぼくの先のことを考えてくれるんやろ?
そう思ったら、「先のことを考える」なんてのも、結局は有限なこと。
どんなに先のことを考えたって、人生の締め、【その瞬間、今】で終わんねん。
いつまでも「先」なんてない。
「先のことを考える」ってことさえも、いずれは終わってしまうものなんやから……ようはそんなこと、どうでもええやんか。
目的地なんてない旅。
人生は旅に例えられるけど、
- 目的地に向かう手段としての旅なのか
- 目的地なんてないけど、旅することそのものが目的なのか
によって全然違った意味になる。
前者の楽しみに行くための旅だと、その目的地が本当に楽しめるものなんか?って考える必要が出てくるやん?
楽しめなかったらその旅路は全て無駄になってしまうねんから、そりゃ一歩踏み出すのもためらったりしてまうよ。
そんな旅路は最短距離で行きたいって思うねんから、そりゃ計画するし、なんなら「無いほうがいいもの」やねんから、途中は楽しくもなんともない。
どこでもドアがあればいいなーなんて、旅路を全否定してしまう材料になる。
そりゃ人生楽しめないわ。
ぼくは後者でありたいって思う。
どこにたどり着くのかわからんけど、だけど旅そのものが楽しい。
そうやって今・ココを楽しんでいたらたどり着くどっかは、
自分が楽しんだ延長にあるところやねんから、どこでもきっと楽しめる。
目的地なんて決めないし、どこだっていい。
そんな身軽に、ただ楽しむバカでありたい。
なんのために?なんてどうでもいい。
常に終わっていってしまう今を、ただ楽しんで終わらせていくことがぼくの目的。