
相手のことを知りたいっていう欲望や知ろうとする行動はときに、【相手のことを理解しようとする】とズレが生じることがある。
それは、
- 相手を知らない自分の不安を、押し付けてしまう
- 自分の不安を相手に埋めてもらいたいがために、相手に自分が望む反応を一方的に求める
そんな相手のことなんて実は何も考えていない態度が、「相手のことを知りたい」って表に出てきているだけなように感じるときがある。
やっかいなのは、自分は相手のことを理解しようとしているんだ!なんて都合のいい【理由】をそこに捏造してしまうことなんやと思う。
ぼくは相手を「心配」したことがある。
相手を「落ち込んでいるから」「元気がないから」「大変そうだから」なんて【勝手に相手をおとしめて】その自分が勝手にそう判断した【隙】につけ込んだことがある。
大丈夫?
何かあったの?
【本当は】どうしたの?
ぼくに対する相手の態度の「気に入らない部分」を、
実は何か理由があってそういう態度をとっていて、実は何かあるんじゃないか?
と自分の不安を埋めようとしたことがある。
相手のためを思っている。
そんな捏造した大義名分が、相手に自分の不安を押し付ける行動に結びついたことがある。
相手のためを思っている。
だからそれに応えてくれないと、【やってあげてるのに感】を感じて不満がでてくる。
自分の不安(不安が不安を呼ぶその連鎖反応ごと)を一気にその人に埋めてもらおうとする、依存をしていたんやと思う。
ぼくがこれを書くきっかけになったのは、相手が、
「あんたの考えを私に押し付けないでくれ!」って言ってくれたから。
きっとそう言ってくれていなかったら、未だに「相手のことを思って」もっともっといろんな人にそんな態度をとっていたかもしれない。
いや、たぶん今までそんな態度やったような気がする。
相手のことを全部知ることなんてできない。
「知ろうとする」ことと、「理解しようとする」ことは違う。
相手を理解しようとすることとは、相手の「自分が知らない部分」も受け入れるってことなんやと思う。
知らないままでもいい。それでも相手は【自分に従って】そうしている。
それをまるごと受け入れようとすることが、理解するってことなんやと思う。