【私の建築談義】 -006 建築家 大島芳彦さん(HEAD研究会リノベーションTF)

TANII Miyu
HEAD Journal
Published in
Mar 3, 2024

ラ・トゥーレット修道院・サマルカンド・ラティス青山

シリーズ『私の建築談義』はその人のルーツやターニングポイントとなった建築を語っていただくことで、その方の独自の目線や考え方を読者の皆様に発信するという企画です。この企画を通して、HEAD研究会やそのメンバーの活動に対してさらに興味を持っていただきたいと考えています。(HEADジャーナル編集部)

大島芳彦さん
大島芳彦さん

大島芳彦(おおしまよしひこ)株式会社ブルースタジオ 建築家・クリエティブディレクター 建築企画・設計を中心にプロパティーマネジメント、ブランディングなど横断的な手法を用いて不動産の再生、有効活用事業に取り組む。全国各地では自治体とともにリノベーションまちづくりのワークショップの開催や地域再生構想の立案を手がける。大阪工業大学工学部建築学科 客員教授。一社)リノベーション協議会 理事副会長。2016年「ホシノタニ団地」でグッドデザイン金賞受賞。2015年「リノベーションスクール」で日本建築学会教育賞受賞。2022年「北条まちづくりプロジェクト-morineki-」で都市景観大賞(国土交通大臣賞)受賞

取材日時:2022年7月11日17:00~

場所:zoom

「暮らしの中でいろんなことをシェアして、それが美しく物語のように繋がっていく」ル・コルビジェ/ラ・トゥーレット修道院(1956年)

ラ・トゥーレット修道院外観(作成:ジャーナル編集部)

Q1:ラ・トゥーレット修道院とご自身の関わりについて。

私はアメリカ、ロサンゼルスの南カリフォルニア建築大学(SCI-Arc)の大学院に学びましたが、この大学の分校はスイスのルガーノの近くヴィコ・モルコーテという小さな村にありました。ティチーノ州にあるイタリア語を話すエリアです。私はそこで2年目のサマーセメスターを過ごしました。ヨーロッパのど真ん中であったこともあって、その時色々な建築を見に行く機会がありました。その中で、フランスのリヨンの近くにあるラ・トゥーレット修道院へも学校の仲間たちと訪れました。色々な建築をヨーロッパで見ましたが、中でもラ・トゥーレット修道院を見た時の衝撃が忘れられません。ヨーロッパ、特にフランスではコルビュジエの建築はたくさん見ることができて、教会だったらロンシャンの礼拝堂、住宅だったらサヴォア邸やユニテ・ダビタシオンなど結構有名なものはあるのですが、当時の私にはラ・トゥーレット修道院が何よりも印象に残りました。

Q2:印象に残ったのはどんな部分ですか。

ここは修道院なので、修道士たちがここで暮らしているわけです。教会と違うのは人が共同生活をする場所という部分です。ヨーロッパの各地には修道院が所々にあって色々見に行きましたが、ラ・トゥーレット修道院ではその立地とは裏腹の都市的な生活環境を感じました。

ロケーションはリヨン郊外の風光明媚な田園風景が広がる丘陵地のとても美しい丘の上に建っています。ロンシャンのように優雅で彫刻的なフォルムではなく、マッシブでキュービックな構成の建物です。上の方に並んでいる小さな窓はそれぞれ修道士たちが暮らす部屋に繋がっており、ワンルームマンションのように小さな部屋がずらっと並んでいるんです。その下に食堂やチャペルがあり、修道士たちの生活の営みがパッケージされ、いわばシェアハウスのように暮らしているわけです。生活する一つのユニットはとても小さく集合住宅のようになっているのですが、それ以外の、例えば礼拝堂や食事、運動をする環境のような、みんなでシェアする異なる機能がこの中にはあり、その関係性は見事に物語のように繋がっているわけです。

私は今仕事の中で住宅系の仕事では共同住宅のプロジェクトを多く手がけています。経済成長の時代、近代的な住環境として最も大事とされたものの一つにプライバシー、セキュリティがあります。今でもそれは間違っていないのですが、あまりにもプライバシー、セキュリティがつきつめられていくと人は孤立していきますよね。さらに便利なオンラインのテクノロジーによって人々の直接的な関係は疎になっていく。都市的な生活環境にはさまざまなそれに起因する問題が出てきてしまう。例えばお年寄りの孤独死だとか、都会のマンションの室内で猟奇的な殺人事件が起こっていても誰も気づかなかったとか、恐ろしいことがいっぱい起きているわけです。孤立は高齢者ばかりではありません世代関係なく若い人たちも子育て世帯も街の中で孤立し、それが問題になっているんです。だからこそ「シェア」の発想から生み出される社会の仕組みはシェアリングエコノミーのような経済面だけじゃなく、人と人が役割を分かち合う福祉的な社会の実現も含めて、社会環境をより人間らしく豊かにするためのアイデアとして重要です。私がラトゥーレットを訪れた当時(1995年)はシェアハウスなんて呼ばれる家はこの世になかったわけですが、この修道院では暮らしの中で本当にいろんなことがシェアされていて、それが全て美しく物語のように繋がっていたんです。生活のいろんなシーンがあるじゃないですか、祈る静かな時間とか、楽しく食べるとか、あとは自分一人の空間で自分自身に問いかけるメディテーションに近いような時間とか。それが離れ離れではなくて、全部シームレスに繋がっていたんです。それがすごいなと思いました。

そして修道院であるが故に、暮らしの物語は神秘的な世界とも繋がっているわけです。ラ・トゥーレット修道院の礼拝堂は光がものすごく美しいんです。こんなに眺めのいい風光明媚なところにありながら、礼拝堂の中は外の景観をシャットアウトしています。空間には各所にスリットが入っていて、差してくる光にはいろんな色があったりするのですが、光との対話は神との対話なんです。景色が見えて美しいのではなく、光の変化をここで感じるわけです。一方で食堂にいくととにかくひらけていて、丘の上から遠方の街並みを望むような場所だったりします。ここには多種多様でドラマチックなシーンが存在していて、それぞれの要素が暮らしの環境に融合しているわけです。修道士たちの人間らしい日常と宗教的な非日常が共存しているんです。それにはいたく感動しました。

ラ・トゥーレット修道院礼拝堂内観(作成:ジャーナル編集部)

Q3:学生時代と今で見方が変化した部分はありますか。

今になって考えてみると、人と人が場をシェアしてポジティブに暮らしていくためには同じ価値観を共有していないと無理ですよね。「コミュニティ」って大切で素晴らしいとはいうけど、実は苦手意識をもってる人の方がたくさんいるんです。田舎の村社会が嫌で東京に出てきましたみたいな人とか。それってそのコミュニティの中で価値観を共有できなくて辛く感じてしまうということなんですが、一般的には価値観というよりも目先の「しがらみ」やルールのようなものが辛くなってきてるんですよね。なので暮らしのビジョンであったり生き様みたいな大きな方向性や価値観を共有できる人たちが同士が一緒にいることで、切磋琢磨したり工夫した先の新しい暮らし方やカルチャーが生まれ、生活の楽しさが生まれると思うんです。当然ですがラ・トゥーレット修道院は宗教施設なので、そこには哲学とか倫理観が一緒の人しかいないわけです。だからこそ、理想的でクリエイティブな住環境のシェアが成立しているのだと思いました。

「貴重な文化は日常の中にある」サマルカンド

サマルカンドでの大島さん(提供:大島芳彦さん)

Q4:サマルカンドとご自身の関わりについて。

私は学生時代の大半は建築そのものに興味を持てませんでした。なので影響を受けた建築家と言えるような人はなかなか思いうかばないんです。空間や物質だけが作品化されてしまったような特定の建物ではなく、その周辺も含めて人々の生活環境や社会環境そのものに興味があったんです。私は学生時代の数年間はバックパッカーで日本にいる方が少ないくらい色々な場所に行っていたのですが、それは建築を見にいっているわけではなく、むしろ自分にとっては非日常の異国の日常生活の中に身をおきたかったんです。例えばパリに行ってもルーブル美術館とかエッフェル塔には目もくれず、マーケットの路地を歩き回って地元の人たちと同じものを食べたり、意味もなく地下鉄で何の変哲もない郊外を訪れてみたり、日常生活の中に入り込んで色々なインスピレーションを得て楽しんでいました。

世界中いろんな町を訪れましたが、その一つにウズベキスタンのサマルカンドという街があって、ここでは今でも忘れられない貴重な経験をしました。私は大学の卒業設計の敷地にサマルカンド郊外のアフラシャブの丘を選び、ここに大ユーラシア歴史博物館を設計することにしました。リサーチのためにひと月くらい現地に暮らしました。現地で出会ったタクシーの運転手さん家族の家に転がり込んで暮らしていたのです。ウズベキスタンはソビエト連邦の国の一つだったのですが、その時はソ連がちょうど崩壊し、共和国として独立してまだ間もないくらいの時期でした。共産主義の国だったのが民主化した直後だったんです。共産圏において労働者はみんなちゃんとした家を持っているのですが、国家の体制が変わったことによって当時のウズベクの人は外貨を稼ぐために外国人を家に泊めるという行為が合法とも違法ともつかず横行していたんです。一泊1ドルの約束でした。それがきっかけなんですが、一旦家に受け入れてもらったらその後その家では私のことをまるで自分の子供のように大切に扱いもてなしてくれました。何か見に行きたいと言ったらいつも車で連れて行ってくれたり、タクシー代も取らずに。家族の知り合いの結婚式にも連れて行かれたりしましたね。なぜそのようなことが起きたかというと、イスラムの精神、教えが彼らの暮らしにあったからなんです。異邦人、旅人は無条件にもてなすべしという寛容な精神なんです。サマルカンドは砂漠のオアシスなんですが、中央アジアのど真ん中に位置していて、大昔からラクダに乗った隊商たちがこの地で休む、歴史的にそうしてきた街なんです。湾岸戦争以降イスラムには暴力的で怖いイメージが浸透してしまっているけど、本来イスラムはキリスト教以上に寛容な宗教であり哲学なんです。サマルカンドでの経験はまさにこれでした。一旦受け入れた旅人である私に対しても異国からやってきた隊商と同じように大切に接してくれたのでしょう。

サマルカンドの家族と大島さん(提供:大島芳彦さん)

Q5:印象に残ったのはどんな部分ですか。

一つは先ほど説明した驚くべき寛容なイスラムの精神です。もう一つはこの地域がさまざまな文化の融合を一つの文化として成立させているという点です。ウズベキスタンは東西の文化、南北の文化が交差する場所なんです。東に行くと中国があり、西にはトルコなんかもありますがその先にはヨーロッパがあるわけです。南にはイラン、つまりペルシャがあり、またインドという文化大国があるわけです。北にはロシア、シベリアがあります。それぞれの大きく異なる文化がちょうどここで重なる場所なんです。ユーラシア大陸の文化って本当に多様なんですが、その多様性がここには渾然一体存在しているわけです。そもそも私がこの地を大ユーラシア歴史博物館の敷地に選んだ理由はそこだったわけですが、それを身をもって感じました。ここでは常識も非常識も存在しなくて、全てを優しく受けとめる寛容さはその街の生い立ちゆえなのでしょうね。

Q6:現在の活動との関わりについて。

20年以上にわたって私が変わらず持ち続けている「リノベーション」の発想による場づくりやまちづくりの理念とは、空間資源のみならず今すでにその地域に存在している様々な社会資源を発掘して再編集し、使いこなすことによって未来をつくっていく、ということです。つまりどの街においてもその地域固有の「日常」の価値の尊さに気づくということが大事なんです。これまで続けられてきたまちづくりとは、今までの文脈を断ち切り、日常を書き換え、他のまちと比べたときに無いものをなくしていく開発をするのがまちづくりとされてきました。例えばハコモノの大規模公共建築やロードサイドの大規模商業施設、つまり特別な場を作ることが豊かさの象徴でした。つまり自分達のありふれた日常の価値を切り捨てていってしまったのが今までのまちづくりでした。でも、そういった地域性とは無縁の非日常ってどんどん消費されてしまいます。一般的に衰退している言われている地域では、産業が衰退して高齢化が進み、若い人は街を出ていってしまって観光資源もない、大型モールも撤退した、みたいに大抵そんな感じの卑屈な理由でプライドを失った状況にあります。そこでまた無いものねだりをしては意味がない。本来のその地域だけの魅力、価値っていうのは、そこに暮らしてきた人々が培ってきた当たり前の日常の中に眠っているんです。それに気づくセンスと見立てが大事なんです。

「エリアを知ることで潜在的に求めているものを知る」大島芳彦/ラティス青山(2004)

ラティス青山外観(提供:大島芳彦さん)

Q7:ラティス青山とご自身の関わりについて。

自分の仕事の中で大きな転機になった建築です。あるゼネコンの本社だったオフィスビルを2004年にクリエイターズビレッジ・ラティス青山としてSOHOと商業の複合施設にコンバージョン(用途変更)しました。計画当時都心では「オフィスビルの2003年問題」という状況が起きると話題でした。2000–2003年は景気が低迷している時代で、建設業界もすごく不調で不動産価格も落ち込んでいました。そんな中にもかかわらず都心では2003年に大規模な開発が六本木や汐留、品川、丸の内で一斉にオープンすることになり、都心の古い中小のオフィスビルは空きだらけになるのではないかという問題です。この建物もここを本社としていたゼネコンが倒産し、買収されたことによりすでに空きビルになっていました。わずか2,000㎡に満たないこのビルは、もはや用途変更と言ってもオフィスなのか住宅なのか、という単純な判断ではなく、しっかりと周囲のエリアの動向を調査、マーケティングした上でここならではの複合的な用途に変身させ、独自のコンテンツを纏わせなければならないと考えたのです。そこでラティス青山プロジェクトでは建築設計だけでなく企画、マーケティングや竣工後のプロモーションまでも担当し、どういう商品で誰をターゲットにするべきかを定めた上で、デザインをして、価格設定をして、さらに住む人の募集まで全て自分たちで行いました。

ラティス青山内観(提供:大島芳彦さん)

Q8:印象に残ったのはどんな部分ですか。

私たちの考えるリノベーションとは、ハードの修繕、営繕以前に、対象建物はその地域、マーケットにおける存在意義を失っているからこそ使われずにいると考え、そもそも変化を遂げた地域の状況の今を見極め、その中においてどんな役割を建物に与えるべきかということを考えるということです。市場が先細りする時代においては建物を綺麗にしたから使われるということでは無いですよね。今の用途が地域での役割を失っていたら別の機能に用途変更しなければいけないわけです。つまり建物以上にエリアを知ることが大事なんです。成長したり衰退したり生き物のように目覚ましく変化する都市の中で、点である建築っていうのはある意味翻弄されるわけです。このときそれに気づいたことによって、とにかく地域のリサーチを足を使って必死にやりました。それまではマンションや賃貸住宅の一部屋のリノベーションなど比較的小さい仕事しかしていなかったので、大抜擢でこのように街を意識するべき大型プロジェクトを任せられ、それまでは建築デザインの力で再生できると思っていたことがそれだけじゃ絶対成立しないと感じたし、稼げるビルにするという要求もあったので地域を知らなきゃいけないということをかなり実感しました。

この時は青山一丁目界隈をくまなく歩き回り、いろんなビルやマンションを片っ端から見て周り、実際の使われ方はもちろん、入居している事業者の属性まで可能な限り調査しました。そういうことをしていると、この界隈では表通りの大型オフィスビルとは裏腹に、背後のエリアでは都心でありながらマンションの一室などで「暮らすように仕事をする」独立系クリエイティブワーカーのオフィスニーズがとても高いということがわかったんです。スーツを着て都心に出勤して仕事が終わったら郊外に帰るみたいな暮らしじゃなくて、仕事とプライベートが分け隔てなくつながっているような暮らし方を欲している人が相当数いるということがわかったんです。用途変更と言っていますが、暮らしの一部や生き様としてのワークスペースやオフィスのようなものが必要なんだとリサーチをしていて気づきました。ラティス青山は完全なる共同住宅ではなく。オフィス的共同住宅であり、それ以外にはフォトスタジオやアートブックストア、そしてコミュニティーのハブとなるカフェなどそこで仕事をする人たちの暮らしの様々なシーンを担う複合用途ビルになったのです。

私たちはこれをクリエイターズビレッジとして、空間デザイン、プロモーションをしました。クリエイターはフリーで活動している人が多く、ここに集ういろんなクリエーターがコ・ワークすることによって何かが生み出されるという状況が生まれたのです。そんな価値観の人々が多いこの界隈も、実際は古い小型の雑居ビルとかワンルームマンションとかそういうものしかなくて、一緒に仕事をするメリットがあるにもかかわらず関係性を構築するきっかけがほぼなかったんです。ラティス青山は、その後の再開発に至るまでの約10年間にわたって青山1丁目界隈においてクリエイティブな人たちが集いそのシナジーによって様々な活動が生まれる場になりました。このニーズは当時最初からわかっていたわけではなくて、エリアをしっかり知ることによってその潜在的ニーズを読み解くことができたんです。これをきっかけに、しっかり仮説を立ててそれをもとに調査をしながらコンテンツを考えるという演繹的思考回路が私たちに生まれました。

ラティス青山に生まれたコミュニティとは2017年に建て替えられるまでの十数年間、ブルースタジオでは不動産管理、継続的な客付け担当としてその後もコミュニティーが変化していく様をずっと見つめることができました。その後周りにはタワーマンションがかなりでき、都心居住も一気に進んでいったりしたわけです。2003年の青山1丁目は週末に人が全くおらず、夜も結構怖い感じだったのですが、その後どんどん小さな店ができて、いい街に変わっていきました。それは、この地域に多様な暮らしが生まれてきたからでしょうね。自分達のプロジェクトがきっかけでまちが変わっていく様子を追いかけることができた経験。それはとても貴重な体験でした。

建築を見るうえで大切にしてほしいことー

Q9:学生の私たちに建築を見る上で大切なことを教えてください。

好奇心を大切にしてください。好奇心こそが全ての根源になるんだと思うんです。建築に限らず人は好奇心を失ったとき死への階段を降り始めるんじゃないかと僕は思っているくらいです。好奇心を持つと同時にそれを知ろう、深掘りしようとするアクション、前に踏み出すフットワークが大事で、初対面のときアンテナが反応したその瞬間の感性を大切にしてほしいです。そうでなくてはこれからの時代が何を欲しているかってことを読み解くことはできないし、全てが後追いになってしまいます。建築とは未来に対する投資なので、建築の仕事をしていく上では、誰も見たことのない30–40年後を予測してどういう空間、場があるべきなのか考えなければいけないわけです。常に先んじて、自分の感性を信じ掘り下げて、社会に対して提案できる建築家になってもらいたいです。

お話を伺ってー HEADジャーナル編集部

大島さんは学生時代に興味を持った人々の日常空間やその価値に対して、学生時代から現在まで一貫して活動されていることがとても印象的でした。さらにそのご自身の気づきや考えを活動を通して社会に広められています。私たちも学生時代に感じている興味を失わずに今後活動していければと思います。

取材・文責:上野山波粋、谷井美優

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