ファッションは、場合の数である。

詠み人知らず


ファッションというものは、所詮、場合の数である。

私たちは普段、自分が自分の着たい服を着ていると思っていても、結局は限られた選択肢の中から選んで組み合わせているに過ぎない。

オシャレな人やダサい人、モードな人、クラシックな人、ポップな人。
組み合わせによって差異が出るので一見、UNIQUEな(固有な)ものに思えるが、それらはただ数ある組み合わせの一通り分だ。

そもそも、ファッション製品は一点もので無い限り、基本的にUNIQUEなものではない。
利益をあげるために大量複製生産が必要なことを考えると、どんなに個性的なファッションの人でも、アイテム1つ1つを見れば、必ず同じモノを持っている人がいることになる。しかも、それはかなり多くの人数である。

だが、普段私たちが街中で自分と全く同じファッションの人に遭遇することはほとんどない。選択肢が無数にあるからだ。それらを組み合わせるのだからなおさらだ。
それゆえ、私達は自分のファッションがユニークであると勘違いしやすい。「服で自分を表現する」なんて言う人もいるくらいだ。

もちろん、外見はその自分が他者からどう認識されるかを担う一番重要な要素だとは思う。ただ、与えられた選択肢の中から稀有な組み合わせを選ぶことが“自分を表現している”ということなのかというのは疑問である。

私は“表現する”ということは自分で何かを創造するということだと思う。
与えられたものの中から選ぶのではなく、自ら選択肢を作っていくということだ。

これはファッションだけに限らない。

私達が生きていく中で、自分の意志で行動しているように見えて結局は制限された中で考えさせられているという状況は多々ある。

どんな時も、ある程度マクロな視点を持ち、無意識に選択させられないようにしたいものだ。

ダラダラとくだらないことを書き連ねみたが、要は何が言いたいかと言えば、ファッションなんかで人をバカにするような女なんてこっちから願い下げだということだ。

Email me when 独白 / A Monologue publishes stories