Day 14 — 普通って何だろう。~とある姉妹の在り方~

Natsu.m
henngeblog
Published in
Dec 14, 2021

置かれている環境によっては、自分のためだけにたっぷりと時間を使うことができない子どももいます。

子供時代とある当事者でありながら大人になるまで当事者であることに気付かなかった私の話をしたいと思います。

私は4姉妹の次女として育った。姉とは二つ違いだった。
子供のころ、姉は母に連れられて電車で何駅か移動して、さらにバスを乗り継いでどこかの大学病院へよく行っていた。私も何度か一緒に行った記憶がある。これだけ聞くと大層な病のように聞こえるが、姉は見た目にはとても健康だった。足は私より速いくらいだった。
ただ、目に見えないところが普通から離れたところにあった。
一つは治療で何とかなるものだったが、もう一つはどうにもならないもので姉は今もそれと付き合いながら生活をしている。

Image by Finegraphics

「今度からあなたがお姉ちゃんを小学校に連れてってね」

小学生に上がる時、母親にはっきりこう言われたのをよく覚えている。当時は頼られて嬉しいと言う気持ちが大きかった気がする。ちなみに小学校は家から走れば1分くらいの近さにあった。通学路には信号もなかったし、もちろん車の通りもほぼないようなところだった。

妹たちが小学校に上がる時は何も言われなかった。(当たり前すぎて覚えてないだけかも)

私はいつしか「しっかりして、手のかからない子」に仕上がっていた。

姉は高学年になる頃に別の小学校へ転校した。中学校も私とは違う公立校に行った。そのため、私に姉がいることは中学からの友達はほとんど知らなかった。
「2つ上の姉がいる」そう伝えると多くの子は、

「いいなぁ、勉強とか教えてもらえるんでしょ?」

と、本当に面白いくらいみんな同じようなことを言った。
「いやー、そんなことないよ」と、それ以上話が深くならないようにしていた。
なぜなら、姉とはテレビとかマンガの話はしても、勉強を教えてもらうことなど一切なかったからだ。姉は中学を卒業すると養護学校、今でいう特別支援学校に通った。私の姉は知的障がいを持っていた。

姉が障がいを持っていることは日常であり、特に気にすることではなかった。しかし、ある日感情を揺さぶられる出来事が起きた。

「おねえちゃん」と、姉に呼ばれたのだ。

あまりにも突然で、だけど姉はいたって真面目に私のことをハッキリとそう呼んだ。たぶん私は小学校高学年だったが、当時のことは詳細に覚えていない、この出来事は妹も記憶にあったようで「驚いた」と言っていた。
当時の姉も思うところや、彼女の感覚でも私たちの関係性に違和感があったのだ。それまで私はしっかり者であることを誇らしく思っていた。しかし、今思えば姉に「おねえちゃん」と呼ばれた衝撃から、自分の振る舞いや立場に疑問を持つようになった。なぜ私はしっかり者になろうとしているのか?(そして反抗期が始まった・・・)
あの頃の私は長女のような立場を求められていたし、時には母の代わりを求められていた気もする。しかし結局のところ、明確な理由や指示はなくそうゆう空気だったと言うほかなかった。それが当たり前のような環境だった。

時は変わり、私は大学に進学。なお、進学には猛反対されたが費用は自分で何とかすると言って入学時だけ親戚に頼り、あとは諸々の制度を駆使して卒業した。専攻は社会福祉学。
この学問を学んで自身が「ヤングケアラー」であったことは理解したがどこか他人事であった。この時、私はまだ別の当事者であることに気付けなかった。

参考:ヤングケアラーについて(厚生労働省)https://www.mhlw.go.jp/stf/young-carer.html

Image from photo-ac.com

姉は入居型の施設に入り実家を離れ、私も大学卒業で実家を離れ、社会人になった。

仕事を始めて年数が経ったある日、SNSで偶然「きょうだい児」という言葉を見つけた。

「障害のある人の兄弟姉妹」のことを平仮名で「きょうだい」または「きょうだい児」といいます。
参考:Sibkoto( https://sibkoto.org/about

「ああ、これだ。こんなに悩んでる仲間が世の中に居たのか。」

と、自分もこの中の一人だと強く思った。きょうだい児の当事者コミュニティの集まりがあると分かり少し悩んだがすぐに参加を決めた。そして実際に多くのきょうだいと話をした。
大人になったからこその悩みがそこにはあった。それらの多くは幼少期から積み上げられてきた家族関係によるものと、世間の無知からくるものだと感じた。
特に世間の無知は結婚出産のイベントの時に大きくのしかかった。私の周りでも実際に多くの人が悩んでいた。

Image by Liane Metzler

この言葉と出会って5年…親になって3年…改めて多くの人に「きょうだい児」と「ヤングケアラー」の存在を知ってもらいたいと強く思いこのことを書こうと思いました。
大人として、子どもに接する時にそうゆう家族の形で育っている場合があるということ。その時にその子が自分らしさを出せていない可能性もあること。別になにかをしなければいけないわけではなくて、そうゆうこともあるということを知ってもらいたいのです。この言葉を知っていれば、いつか考えることができるから。

私は子供のころ、「手のかからないしっかり者」であることを第三者から褒められ続けてきました。姉の一言で私は気づけましたがあのままどっぷり「しっかり者」を続けていたら今の私はない気がしています。あの頃の私のように自分らしさを忘れかけている子どもに気づきを与えることがいつかあなたに出来るかもしれません。

そしてもしも当事者の人がこれを読んでいたら、
まずは自分の人生を生きることに軸を置いていいんだよとお伝えしたいです。
支え合うことは必要だけど、家族のことだからといって家族のなかで完結する必要は全く無くて、誰かがすべてを我慢することもない。障がいを持ったきょうだいの事で悩んでいるのであれば、専門職の人につながり、相談し、支援してもらう。あるいは同じような境遇の仲間と分かち合うことで新たな選択肢を探す。
これは少子高齢化が進む日本においては自分の親の介護を考える時にも使える考え方だと思います。

自分にとって一番心地よい距離感や在り方を模索して欲しいなと思います。相手のことを考えるのはそれからでも遅くないと私は思います。ちなみに私はまず私が幸せになることを最優先事項としています。その上で手の届くところから周りを幸せにする手伝いが出来るようになりたいと考えています。

最後に、

私は長らく「普通」がいいと思ってましたが、クローンじゃあるまいし誰しもそれぞれ違うことが当然であって、誰しも普通なのだと最近は思います。「みんなちがってみんないい」ありきたりですが、この言葉が本当に好きです。

This article is part of the 2021 HENNGE Advent Calendar. An Advent calendar is a special calendar used for counting down the days till Christmas. 2021 HENNGE Advent Calendar presents one article by one HENNGE member per day for 25 days until Christmas, 2021

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