アメリカのホームスクーラー①
こんにちは。ホームスクールジャパンライターのうみです。
私はホームスクールを研究している者で、私自身はホームスクールで育った/育てた経験はありません。
ホームスクールとは、学校に子どもを通わせるのではなく、(主に)家庭で親が教育をするという教育スタイルです。
家庭が単位なだけあって、そのスタイルは多様なのが特徴ですよね。
だからこそ、正解はなく、毎日が失敗や試行錯誤の繰り返し。
日本では、まだなかなか情報が得られないホームスクール業界に、少しでも情報を提供できたらいいな、と思っています。
今日は、ご縁があって出会ったアメリカの友人のお話をします。
彼女は現在、NYにあるサドベリースクールのスタッフをしており、彼女自身はホームスクールとサドベリースクールで育っています。
ホームスクールをしていた理由は、カリブ海育ちの父親の「アメリカ政府の力が強く、白人主義でルールの多い学校に子どもを通わせたくない」というものでした。
彼女の場合、両親はフルタイムの共働きであったため、
図書館に行って一人で勉強していたといいます。
ときどき森の中に探検に行って、植物や生き物をじっくり見たりする時間が好きだったといいます。
彼女の住む地域では、1/10人の子どもがホームスクールをしていたため、2日に1回程度友人と会っていたそうです。
しかし彼女は「一人の時間が多くて、さみしかった。もっと友だちが欲しかった。」そうで、15歳のときにバイト代を貯めてサドベリースクールに通うことにしたそうです。
彼女はこう振り返っていました。
「なんでも自分でやらなきゃいけないから、自信がついたの。」
その言葉の通り、
日本に興味を持った彼女は、17歳のときに日本に行くプログラムを自分でつくり、決行したのです。
「自由の中でやさしさは育つ。幸せな人はまわりを幸せにする。」
そう語る彼女が放つおおらかさや優しさは、私の心をあったかくしてくれました。
多くのホームスクーラーは両親のどちらかが働きにでて、
どちらかがファシリテーターとして家庭にいるという場合が多いのですが、彼女は自分自身で勉強していたということに驚きました。
図書館や森を利用し、彼女が深めていった学びや自主性は
計り知れないものでしょう。
日本留学プログラムを自分でつくった、というのもこれまでの彼女の経験からくる自信があったからこそできたのでしょう。
アメリカの例ではありますが、学校外でのびのび育ったホームスクーラーのエピソードでした。またホームスクール育ちの友人のエピソードを紹介していきたいと思います^^