ホームスクーラーへ20の質問 / 8
ホームスクーラーのリアルを伝えるインタビュー
第8回目は、九州在住のよりおさん(息子・ゆうたくん)にお話を伺います。
①ホームスクールを知ったきっかけを教えてください。
幼稚園はどんな園がいいかなぁ…と、いろんな教育法について調べていた時。
幼稚園や学校に行かなくても、親子で学ぶ手段もあるんだなぁと知りました。
②考察期間について
就園する前から、興味関心に合わせて多くのことを学んでいて、読み書き計算もできていたし、正直、幼稚園に行く時間がもったいない気はしていました。
就学まで親子で学ぶのもいいなぁ、と漠然と考えたりしましたが、当時の私は義務教育を学校ありきで考えていたので、そのまま周囲と同じ小学校を選びました。
③ホームスクールについて、どんな情報を探しましたか?
学校に行かない子達はどうしているのか、フリースクールとは何なのか、ホームスクールとは?みたいなことを検索していたように思います。
④どのように情報収集をしましたか?
ネットです。
⑤得られて役立った情報・探しても得られなかった情報など
同じような環境にある仲間とのつながりは、なかなか見つけられませんでした。
今でも、SNS以外での身近な仲間を見つけられずにいます。
学校や周囲とのやり取りについて
⑥学校に通った間のお子さんの様子など
「僕は、小学校には行かないよ」
と、卒園前から宣言されていました。
でも当時の私は、その気持ちに向き合おうとせず、なんとかして通わせよう、学校は楽しいと思ってもらいたい、と必死でした。
発達障害との診断を受けていたこともあり、音や食べ物への過敏さや、コミュニケーションなどの様々な場面で、個別の配慮がないと学校生活は難しいと思い、支援学級を選択。
校区の学校を見学しましたが、とても落ち着いて学習できる環境ではなく、私の実家の校区ならどうかと調べたところ、支援学級はなし。
ならば新設してもらおう、少なくとも始めはマンツーマンだし、きっと手厚くサポートしてもらえるに違いない、そう期待して実家に転居しました。
教育委員会に足を運び、療育の先生からも必要性をアピールして頂いて、なんとか新設が決定。
ですが新設なのにも関わらず、担任になったのは、支援学級は初めてという転勤してきた再任用の先生。若干不安もありましたが、長年の経験値を信じてのスタートでした。
入学式はすんなりと参加できたものの、翌日の朝から早速の行き渋り。
帰ってきたらコレをしよう!とか、頑張ってきたらコレがあるよ!などと、帰宅後の楽しみを用意することで、なんとかして必死に学校に足を向かせる毎日でした。
後になって思えばですが、行きたくないという息子の意思をもっと早くに尊重してあげればよかったと後悔しています。
⑦特に心に残っているエピソード
「もう学校行かなくていいよ」
それまでは行かせなきゃ、と必死になっていた私が、心からこう息子に言えるようになった最大のきっかけは、担任とのこの出来事でした。
地域での支援学級の交流会に、担任と2人で参加した時のこと。
帰りのバスの乗客が多く、1番前に座れなくてパニックを起こし、
それを見た近隣の学校の先生に、ひどく叱られたそうで
「私もどうしていいかわからず、ベテランの先生だったので、対応はおまかせしたんですよー」と、担任が私に言ってきたんです。
え、あなたのたった1人の生徒ですよね?
一瞬で信頼を失くしました。
この人には息子は託せない、と思いました。
1番前に座りたいという息子のこだわりに、付き合ってあげるという選択はできなかったのか。
帰り道なので何かに遅れたり誰かに迷惑をかけるわけでもなく、バスを次の便に乗ることもできたはずで。そうできないにしても、初対面の他校の先生に対応をまかせるなんて、さじを投げたのと同じこと。唖然としました。
そういった細かい寄り添い、臨機応変な対応をしてもらいたくて入った支援学級でした。
それまでも、「もっとお母さんが強く言うべきじゃないですか?」とか「まずは学校に来れるようにしてもらわないと、私には何もできないです」とか、私を責めるような発言も多々あったし、偏食で給食はしんどいので、無理強いはやめて下さいと伝えてあったのに、あと一口、もう少し!などという指導が、息子の負担にもなっていました。
この出来事をきっかけに、登校を誘導するような息子への関わりをやめました。
「お母さんはどうしてそんなに僕を学校に行かせたいの?」
という息子からの質問にも答えられなかったし、ものすごい反発もあって、親子の関係が崩れてしまう寸前だった気がします。
⑧学校への説明や報告の際に「ホームスクール」という言葉は使いましたか?
特に「ホームスクールします」と伝えたことはありません。
⑨PTAはどうしましたか?
活動が任意だと知らず、入学と同時に役員に立候補していました。
当時の私は、親ならやらなければならないことと思い込んでいたので、どうせやるなら前向きに、それが息子がお世話になる先生や学校への恩返しとさえ思っていました。
任期が終わりに近づいた頃「任意」だと知り、知れば知るほど納得のいかない団体だと感じたので、年度の終わりに退会しました。
⑩教育機会確保法が施行されてから、何か変化を感じることはありましたか?
全くありません。
⑪親族や周囲の反応について教えてください。
不登校になり始めた当時は実家暮らしだったので、毎朝毎朝行きたがらない息子の様子や、泣きながらも試行錯誤している私の姿も見られていたので、親族からのプレッシャーはあまりひどくはなかったように思います。
ですが、漠然とした、学校行かないなんて、大丈夫なの?、将来が心配ね、という見られ方は今でもあると思います。
⑫他のホームスクーラーと繋がるきっかけになったこと
⑬普段の過ごし方を教えてください
2つ下の弟が学校に行っているため、生活リズムは通常の小学生とほぼ同じです。
ほとんどの時間を、PCやiPadやゲーム機で費やしますが、それでも1日24時間じゃ足りない!と、忙しそうにしています。
本人の意思を尊重し、外出に無理に付き合わせたりはしませんが、長年のお付き合いのある療育機関には、毎週とても楽しみに率先して通っています。
⑭お昼ご飯はどうしていますか?
たまに私の都合で、今食べて欲しいとお願いすることもありますが、基本的には本人から依頼されて、私が提供するスタイルです。
時間も決まっていません。
PCに夢中になっているときは、何も食べないまま夕方になり、ふとお腹が空いていることに気づく、なんてこともたまにあります。
⑮お勧めのサイト・コラム・ブログ・本など
「嫌われる勇気」岸見一郎
「ゼロ」堀江貴文
この2冊を読んで、人生観が変わりました。
息子との接し方、考え方も、良好な方へ進めたように思います。
⑯お子さんの性格や好きなこと・自分を表現するツールがあれば教えてください。
Minecraft、Fortniteなどのゲーム。
実況動画など見ながら、自分ならこんな演出にする、こんな茶番を入れる、こんな編集にしたい、こんなルールにしたい、などたくさんのことをイメージしているようです。
以前、学校で、自己紹介を兼ねてMinecraftを紹介する時間を作ってもらったのですが、初めて入る教室やお友達にも物怖じせず、自ら挨拶をして教壇に立ち、一通りの説明からその後の質問タイムまで仕切っていて、とても生き生きとして楽しそうでした。
その日の夜、どうだった?と感想を聞いたところ「体育館でやるんだと思ってた」と言われ、
普段は恥ずかしくてレジにも行けないくらいなのに、好きなこととなると、とことん突き進めるんだなぁと、
私自身のいろいろな不安が吹っ飛んだように思います。
⑰親子の距離感はどんな感じですか?
学校に行かないことを、私が受け入れるようになるまでは、ひたすらいい方向にと勝手にコントロールしようとしていましたが、今では向き合うのではなく、横に並んで…
ということを意識するようになりました。
⑱学習について迷いやポリシーはありますか?
こんなおすすめあるよ〜なんて情報提供することはありますが、やるかやらないかは息子次第。
やりたがらないことは無理強いしない、そう決めています。
ひらがなもお手本がないと書けなくなってしまいましたが、
本人が必要性を感じて学び直したい!と思った時が学びの時
と信じて、見守っています。
⑲ホームスクールを始める前から今現在までの間で何か変わったこと
やりたいことだけに時間を注ぐようになりました。いま自分に必要なものだけを。
そして私自身の生き方も変わりました。
⑳ホームスクールがきっかけで出会った人々との交流の中で感じること・思うこと
息子の判断は正しかった、間違いではない、いろんな生き方があっていいのだと、とても勇気付けられます。
よりおさんへの質問は以上です。
よりおさん、ありがとうございました!