ホームスクーリング2年生、学校へ行く。
学校に行き始めたホームスクーラー:教育の選択肢と今後について
我が家の2年生、かいりが急に学校に行くと言い出し登校をスタートしています。10月の初めに行きはじめて、もうかれこれ1か月。
いろいろと生活や心境も変わったので、そのあたりをレポートしたいと思い、筆を走らせています。
僕の親としての考えをだらだら書きちらしてます。笑
我が家のホームスクーリング
そもそも我が家のホームスクールがどんなもんだったかと言うとアカデミックよりのホームスクーリングでした。
あくまでも体感ですが、現在の日本のホームスクーラーはアンスクーラーが多いのかな?
が、そんな中で僕は「環境設定を積極的に行い」「強い興味を引き出してとがった人材の素地を育てる」ことを意識して取り組んでいました。なので、ホームスクール=英才教育といった位置づけで我が子にはホームスクールをしてきたつもりです。
学力的な能力アップは当然のことながら、興味の見つけ方、目標設定の仕方、生活力、人生の見方、実現力、行動力の重要性、それらをひっくるめたコーチング…といったようにホームスクーリングでした話は本当に多岐にわたります。
今後日本で認められ普及されていくであろうホームスクーリングは「誰でもできるよ!」という受け皿・福祉的な扱いよりも「選ばれた子に向けた」という教育的な関心のほうが高い(注目が早い)ような気がしています。
最終的には両方のアプローチが交差していくことで社会的に理解が浸透するものと考えていますが、ポジティブな側面で注目が広がると、「ホームスクール=すごい子たち」といった表面的な印象も与えやすく、「いいかも」と思ってもらいやすい。結果、子どもたちの学習機会・選択肢の広がり、学歴差別の解消などに近づくのではないかと思います。
我が家も「環境の変化に敏感だから」とか「学習傾向に特性があるから」といった療法的なアプローチがスタート地点では必ずしもなく「この子の良さを引き出したい」という教育的な動機がありました。
なのでホームスクールは親子ともども「がっつり」やっていたと思います。
大変なこともあったね…
そこではやはり、子どもは「上へ上へ」と引っ張られるので楽しい反面、毎日頭が「ぷしゅ~~~」といった感じ。いやだったわけではないと思いますけど、毎日頭をめちゃめちゃ使って、大変だったことは確かですね。笑
行動も思考も範囲が広がってきた。
外への興味+ホームスクール疲れ
もともと集団行動で吐く、などHSC(Highly Sensitive)な一面もあった年長~1年生初期。
「まぁ、僕も自宅勤務にできるし、英才教育としてのホームスクールやってみよう」ということでホームスクールがスタートしました。
もともと性格的に保守的な彼は、「変化」を嫌う傾向がありました。
食べ物ややることをはじめ、何か新しいことを急にやるというのは苦手。反対に決まったことを習慣化してしまえばコツコツできるほうだと思います。そんな特性もあったため、「自分のペースで」人よりすごいことを、と思ったのを覚えています。
始まってみると、アカデミックよりのホームスクーリングの色合いが強く出てきました。やればやるほど吸収するので僕も面白くなって。
一般的な小学生よりは勉強していたと思います。毎日、英国数の我が家で言うところの基礎科目はやりましたし、調べ学習なども積極的にやってきました。
それが、どんな心境の変化からなのか、自ら社会性を求めて外に出ていきました。本当に。急に。笑
行くきっかけとなったのは、習い事を通して地域に同学年の友達ができたことによる学校への興味が多いと思います。
「おいでよと言われた。」だそうです。
それと僕を含め周りの大人がスクーリングチョイスについて頻繁に話していたことが挙げられます。「学校という場所の経験も無駄ではないよ」といった話もちらほら出ていました。そういった「選択肢」について耳を傾けるようにもなったのかな。
あとは後述しますが、ホームスクール疲れもあったかと。
行き始めたことによるメリット
毎日帰ってきた後は、「楽しかったー。今日は~~があってね。」と話してくれています。一番楽しいのは何なのかよくわかっていませんが、家庭での学習に少し息が詰まったように感じていたのかもしれません。のびのびしているように見えます。「学校の先生からもはじめからいたかのようになじんでいます。」とのこと。コミュ障じゃなくてよかった。
友達も爆発的に増えましたし、朝もしっかり起きて身支度をととのえ、「行ってきまーす!」と出ていく彼は活き活きとしています。
今まで「まぁ、9時にスタートすればいいね」といった父親のゆるい生活スタイルよりかはよりシャキっとしたというか、メリハリが出たと思います。これはいいことですね。
また、僕がが「必要なものや連絡事項は教えてね。学校のことは自分ですべてやること。」といままでの ホームスクーリングのセルフコントロールのスタンスを踏襲していることから、より多岐にわたる事柄(運動会の準備物の伝達・遠足の案内・先生からの必要物品の連絡、提出etc…)を管理できるようになってくれるのではと思っています。
学校に行っていると提出物を保護者に渡すなど連絡業務が発生します。また、将来義務教育が終わったときに僕は彼の「スポンサー」になると思っていますので、彼の勉強の成果は冷徹に評価するということを伝えています。お金を投資するわけなのでプレゼンもして貰わないと。
おそらく多くの親が「やってあげること」も僕は一切手を出さないように見ています。寒いのにコートを着なかったり、忘れ物をしていたりと小さな失敗を繰り返しているようですが、これは自己管理の成長ステップととらえてイライラしないように割り切ってみています。笑
遠足の案内を出さないならお弁当は作らないよ?位の気持ちです。
これは学校に行っているからこそできる社会勉強かもしれません。
行き始めたことによるデメリット
一方で、全く勉強的なことはしなくなりましたし、なんなら学校の宿題もやっていない始末。当然家で毎日やってきたこともやらなくなりました。
家の仕事なども言うまでやらない。(打ちは業務分担をリストにして張り出していますが、それもスルーするようになりました。)
一言でいえば、怠惰になりました。なぜかというと、
「みんなはやっていないから」
この思考はちょっと注意が必要だなと思っています。
ザ・低きに合わせる思考ってやつですね。公教育めー!(笑)
「僕はみんなよりもやらなきゃいけないことが多くて大変なんだよ、めんどくさいんだよ」ということを言うようになりました。
じゃあ、やめればいいじゃんって感じなのですがそれはそれで今まで積み上げてきたものがあるし、やらなかったら伸びないことは本人も感じているので「やめない」の一点張り。
しかし時間は有限で、その辺の小学生よりはこなしてるタスクが多ければ遊ぶ時間がなくなるんです。
小学生って時間ないんですよね。朝起きて学校に行ったら、帰ってくるのは3時ごろ。そこから習い事に行こうものなら、帰ってきたら夕食、お風呂で、もう自由時間なんてありません。
別観点ですが、「自分の時間を持つためにホームスクールを」というのはすごく理にかなっているということを再確認しました。
学校に行き始めると、友達は多くて楽しいものの、時間が圧迫されてしまい、とにかく「ゆっくり考える」時間がない。
特に今のうちの場合は、集団が楽しすぎるフェーズなので、ずっと興奮状態で話も落ち着いて聞かなくなりました。(よって、「OOをお願いね?」といったお願い事などを頻繁に忘れる。とにかく抜けるように。)
僕も「どうした?今までできてたよ?」と言ってしまいますし、本人も「なんで僕こんなぽっさりしてるんだろう?」と途方に暮れています。
情報量が増えた分、注意散漫になるというのは確かにわかるので、これもなれの問題だと思っています。時間の問題なのかなぁ。
「学校」でも「家庭」でも「しっかり」できるにはどのくらいの時間がかかるのか。不安な気持ちと楽しみが7:3で押し合っています。笑
学習面は非効率になる。
もう一つ、学校に行き始めてマイナスに感じた点は僕の考える意味のある学習、将来性のある学習という観点では非効率になったように感じます。
今までさんざん「自発性の大切さ」を伝えてきて、本人からしたら耳タコ状態のはずなのですが、それが「考えなくても大丈夫(指示待ち)」になったわけで、楽なんだろうと思います。
宿題も 「これ意味あるの?」っていうくらい簡単ですし、僕も素直に「うわぁーすごいね頑張ったね」とか言えない難易度なので、本人のモチベーションも低い。簡単だからさぼる。みたいなよくわからないサイクルが生まれています。
家にいるとほとんどルールはないです。なので、自分で決めないといけない。アンスクーリングの思想と同じですが、「暇が人を考えさせる」んです。
つまらない。暇だから考える。
一方で、時間もやることも決まっている環境、すでに計画がぎっちぎちに設定されている中では、人はあまり考えません。
うちの場合、今は学校➡ならいごと➡宿題と続くので、体力的にもつらいし、自由な発想の時間は無くなりました。
今まで時間がたくさんあった分、いろいろなことができていました。考えるという作業に時間がさけた。
今日は工作やる、とか絵を描く、とか外に行って写真撮ってくるとか。
しかし学校に行き始めると、とても忙しい。とても忙しい分、考える時間をなくしていかに「早く」終わらせるか「こなすか」を考えるようになった。
遊びたい気持ちはありますよね。うちの場合はゲームで遊びたいみたいなのですが、そのために宿題をやる。それで時間がいっぱいいっぱいになってしまう。
たくさん時間があったときは余裕がありますから、勉強も考えてやりますし、遊びもゲームだけではなかったです。だって時間、ありますから。何でもできちゃうんですよね。
時間がないととにかく、「ゲームのために」「終わらせる」「邪魔なもの」という構図ができてしまい、、、
うん、悩ましいです。
今後どうする?
正直、親としてもまだ焦燥感というか、急に暇になったというか、よくわからないでいます。今後継続的にどうしたいのかもわからないので、とりあえず様子見。いろいろ買いそろえないといけないものとか、給食費がどうとか手続きも出てきて内心「うわーめんどー…」という感じですがまぁ必要なものは少しずつそろえていけばいいかなと思ってゆるーく考えています。
PTA案内も来てしまったし。。。うぅ。
もとは学校に「行けない」のではなく「行かない」という選択をした我が家だったので、子どもが興味を持ったことは一つの成長として受け止めています。
ただ「学校には絶対に行かないといけないもの」という価値観からはオプトアウトはしきった感じではあるので、その点での強迫観念みたいなものは本人も感じていないと思います。
あくまでも「行きたいなら行けば~(逆もしかり)」って感じですね。この部分は伝わっていると思います。いまだになぜか月曜はホームスクーリング、だそうです。
今は、ホームスクールを超えて、シェアスクーリングといった発想へ。
つまり「教育の選択肢を知り、見極め、ちゃんと選ぶこと」を意識していく段階に来ています。
ホームスクールもやった。じゃあ学校はどうか?じゃあ、旅育はどうか?といった感じですね。こういったスクーリングチョイスの実験は今後楽しみな部分でもあります。
一方で、マスの中でちゃんとアイデンティティを保ちながら流されずにやっていけるのかな、という一抹の不安もあります。学校は癌ではないとは思っているものの、出会う人、子ども、によって大きく人生に影響を与えます。そして子どもたちに人を見極める力はありません。
特に僕が心配なのは学力面。学力の向上は確実に家にいたほうが早いと確信していますので、このあたりのペースダウンはちょっと心配かも。
また、正直ホームスクーリング100%だったころよりもよく子どもを見れていない、と感じています。学校に行ってる我が子は勝手に育っていっている感じで、「何をやっているのか」などの「成長」は見えづらくなりました。
やっぱり、「今までできていたこと」はできていてほしいので学校に行っている分、習い事を減らすなどして体力のバランスを調整したほうがよさそうだと感じています。
なんか方針がまとまってないですが。これがリアルです。笑
まとめ
まとめます。
学校に行き始めたことで、今は友達を爆発的に増やしています。これでコミュニティを増やして、家では教えられない友達関係だったり年長者に対する口の利き方、さらに言えば世の中の理不尽さ、無駄を学んできてくれればいいと思います。
月曜日だけは「学校だけだとだらけちゃうから」という理由で家で集中して勉強するそうです。なので、親もややアカデミックにプッシュしていこうと思います。家にいる日は英才教育じゃーーー!って感じで。
家庭では、勉強面での負担を軽減(学校でしっかりやる前提)し、その分プロジェクト学習などを家の宿題としてしっかり進める構図を作っていきます。興味関心に関しては、自由に、リソースのみ提供すればOKと思っていますが、時間がとにかくないのでまずは時間の確保から。
習い事は少しライトに。具体的には、水泳を週2から週1に変更。
塾も週2から週1へ。
その分家でゆっくりする時間を確保します。(と考えると小学生って全然時間ないんですよね。学校で何してるんだろう…と不思議な気持ち。)
今後はホームスクールにこだわらず、教育の選択肢を掘り広げていくような「シェアスクーリング」へのシフトをすすめていけたらと思います。
社会全体をリソースとして見る生き方を提示して行きたい。
そして子ども自身が「教育は自己責任」「自分で選べる」というマインドセットをもってもらえるような声かけも、その選択をしたことでできるようになったこと、逆にできなくなったことの客観的考察を伝えることもしないとなぁ。
というわけで、まとめきれないでいる父ですが、今後新たに学校という教育の選択肢も踏まえ、ベストな教育を探していきたいと思います!
どうなることやら…