ホームスクールに「強制」は必要か

「やらなきゃいけないこと」の存在価値


「教育的自由をモットーにするホームスクールで、*やらなくてはいけない*宿題(タスク)や掟は必要か?」

結論から言いましょう!多かれ少なかれ僕は必要であると考えます。

意外でしょ?

「自由が売りじゃないんですか?」と言いたくなりますよね。

なぜか。

教育的自由というのは子どもにまなびを一任することではないからです。

私たち親は、子どもたちの想像の向こう側まで行き、目標設定のサポートをすることが求められます。これが「やらなければいけないこと」だろうが「子どもが嫌がること」であろうがです。

具体的には;


  • 算数プリントは毎日5枚は絶対にやる。 とか
  • 毎月一冊は本を読んで感想文を書く。 とかです。

子どもにとっては多少なり日々の重荷になります。

「それって学校と同じじゃない?」

違います。

ホームスクールでの目標はその子どもの能力に合わせて設定をします。

たとえば5枚に何十分もかかるようなら、4枚にしてみるとか、レベルを落として8枚にしてみるとかですね。

達成のアプローチもその子が理解しやすいように変えてOKです。

感想文の手書きが厳しいのであればタイプを許すとか。まずは対話形式で感想を聞いて一緒に作文に起こしていくとか、そういうことへの変更は積極的にやっていくべきです。

しかし、大切なのはやること自体は大人がリードして決める必要があると言うことです。子どもが小さければ小さいほど当然ながらその必要性は増します。

「親が決めたこと」は子どもや第3者からしてみれば「強制」かもしれません。しかし、これは子どもの将来を(おそらく本人よりも)想像している親が、取らなければいけない手段のように僕は思います。

ホームスクーリングにおいて、子どもにとっての「やらなくてはいけないこと」は親の愛情がいっぱい詰まったギフトなんです。

子どもにはこんなところがあります。

家族旅行で、車、もしくは電車で移動しているところを想像してみてください。

目的地は伝えてあるはずなのに、子どもは旅の途中で嫌になります。
「ねぇ、まだぁ~?」とうんざりした声で何度も呼びかけてきます。

目的地にはいきたいはずなのに、それまでのつまらないプロセスはストレスに感じる。これは想像力が未発達だからで、仕方のないことです。

そんな時「じゃあ帰ろうか?」とは言ってみても無意味ですし、「そんなにいうなら、自分の好きなように行ってみていいよ。」とも言いませんよね。(言ったとしても子どもはきっとキョトンとするかムッとするだけでしょうし、ことさら目的地に自力でたどり着けるなんてことは絶対にありません。)

そんなシチュエーションで、皆さんはどうしていますか?

おそらく多くの人が、「そうだね、嫌だよね。でももうちょっと我慢しようね。目的地には絶対につくから。」と諭すのではないでしょうか?

つまり「我慢して座っていてね」という「強制」をするわけです。これは目的地に着くためには必要なことですよね。

そして目的地に着いた時、子どもたちは今までの我慢に見合うよろこびを手にすることを私たちは知っています。(車内の子どもたちの知る余地はありません。)

この対応と全く同じことをホームスクールではやり続ける必要があるんです。

やらなくてはいけないことは必要です。

想像力を働かせ、子どもたちが今何をすると幸せになれるかを考え、実行する。このスタンスは絶対に無くしてはいけないところだと思います。

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