教育の選択肢:「誰のため」に作る?
「不登校のため」から一歩引くと見えてくる、居場所が必要な本当のグループ。
目次
- 「不登校のため」から一歩引くと見えてくる、居場所が必要な本当のグループ。
- 当初考えていた、「不登校、ホームスクールの居場所」
- 割合を見る
- 不登校支援は本当に足りていないのか
- 不登校において足りないのは「居場所」ではなくて「情報へのアクセス」。
- 居場所が必要な本当のグループとは?
- 「学校に行っているから大丈夫」という過信が次のニーズ
- 「居場所」を実現するために
僕の目標は「日本に教育の選択肢を増やすこと。」
これについて毎日考えています。
日進月歩というのか、毎日止めずに、一歩一歩。
でも、教育の「選択肢を増やす」と一概に言っても、増やす選択肢は誰のためであるべきなのでしょうか?
ちょっと躓いています。
そこで、皆さんに聞いてしまうのですが、
誰のために教育の選択肢を増やすべきでしょうか?
不登校の子ども?
それとも、ベルカーブの上位、下位それぞれ2%?
具体的には障がいを持っている子?
ギフテッドのための居場所?
学校外の居場所づくり、と一概に言ってもそこにはたくさんの「学校外に居場所が必要なその他大勢」がいるわけです。
当然、属性もニーズも異なります。
当初考えていた、「不登校、ホームスクールの居場所」
僕は今まで、「教育の新たな選択肢を」という話をするとき半ば無意識に「学校に行きにくい子たち」の居場所を考えていました。
自分の子もホームスクールをしていたし、半ば自然に。
でも、この「不登校児のための居場所」なんだけど、考えるほどに「ん?なんか違うな。」と 思えてきたんです。
今は、「学校に居場所がないから新しく居場所を作る」というのは実はソーシャルインパクトがそんなに高くないのではないかと思っています。
つまり、今社会に必要とされている居場所は不登校のための居場所に限定すべきではない、とそう思うんですね。
おいおい、どうした?ホームスクール推進派がそんなこと言っちゃっていいのか?
となりそうなので、ちょっと説明させてください。
割合を見る
最初に数字の話をします。
2018年10月公表の2017年度統計によると小~高等学校の不登校児童生徒数は19万3674人いるとされています。
不登校生の割合は小学生だと大体200人に1人(3万5032人)。
中学生だと大体30人に1人(10万8999人)。
高校では70人に1人(4万9643人)います。
もちろんホームスクール生はここに含まれます。
これらの数字を見るととてつもない人数が不登校なんだと感じます。
また、年間250人の若い命が自殺により失われているという事実は決してないがしろにできない問題だと思います。
一方で、冷静に物事を見つめ、環境を整えていくために「何が一番効果的なのか?」を考えなくてはいけないのも大人の仕事です。
これからの「居場所」を考えるうえで、僕らは一体どこにアプローチをしたらいいのかということをもう少し考えていきたいです。
今現在全国の小学校から高校までの生徒数は約1,300万人です(特別支援校を除く)。
それに対し、不登校は14万4,000人
つまり、割合で言うと全体の約1%なんです。
確かにここ数年「増加傾向にある」とは言うものの、ここ10年以上ずっと12–13万人を推移しています。
この1%に対して居場所を提供し、ニーズを満たすことはかなりニッチであることが伺えます。
メディアで取り上げられることが多くなった分、不登校ニーズが高まっている!という印象を受けがちですが、不登校の総数は長期的な比較に基づいて言えばそこまで大幅には増えていません。
むしろ学校も柔軟思考に変わることが求められつつある中で、なお不登校が増えているという事実は、むしろこういった学校外教育の認知が広がったといったほうが自然、というのが個人的な解釈です。
つまり、ホームスクール界隈はじめ不登校業界の声はきちんと社会に届いている、と考えるべきだと思います。
不登校支援は本当に足りていないのか
念のため書いておきますが、1%しかいないのだから支援は不要といいたいわけではありません。
当然14万人もいる不登校に対しては、何らかのサポート、居場所は必要だと思います。
僕は個人的にも不登校(ホームスクール)対応のアフタースクールをやらせてもらっていますし、NPOホームスクール協会で理事もやらせていただいています。
そんな中で、このいわゆる「不登校サポート」が全国的に量質共に乏しいと言うのはよく聞くのも事実です。
一方で、この1%を補う居場所は本当に足りていないのでしょうか?
昨今ではオルタナティブ教育の広がりが目を見張る勢いで伸びていますし、教育機会均等法や不登校生徒に対するアプローチの抜本的見直しが文科省の通達などをはじめ社会的になされているのは事実です。
不登校に関する相談窓口は多岐にわたっていますし、各種団体がインターネットで活発にコミュニケーションをとっているところを見ると、居場所が全くない、ということはないのでは?というのが僕の仮説です。
不登校において足りないのは「居場所」ではなくて「情報へのアクセス」。
初めに断っておきますが、不登校の理由は様々です。僕はよく便宜上、積極的不登校(オプトアウト)と消極的不登校(ドロップアウト)という言葉を使いますが、これらのカテゴライズのなかでもグラデーション(濃淡)はあります。
つまり、早い話「うちの子にピッタリの居場所」というものに出会える可能性は本当に稀で、個人単位のニーズに合わせた居場所を配備すべきor配備しよう、というのは現実的ではないのですね。
なので、ここで言う「居場所」はあくまでも、相談窓口としての居場所であって、解決はホームスクーリングなど各家庭単位でアプローチを決めて応用していく必要があります。
不登校に関する情報、さらに言えばどうやったら不登校の子どもが不登校であるがゆえにより良くなるのか、という観点は自らが学ばないといけません。
そのための窓口、勉強会はごまんとあります。したがって、「提供されていない」というよりは「情報を取りに行っていない」という家庭のほうがやはり多いと思うのです。
つまり足りていないのは情報へのアクセス。
全体の1%の14万人の不登校に対して、僕らがやるべきもっとも効率の高いアクションは「物理的な居場所を作ること」ではなく、情報を整理し、また情報への導線を顕在化させることだと思うのです。
まとめると、以下のようなことが言えます。
今まで(今も?)不登校業界が躍起になっていた物理的な「居場所づくり」は各家庭のニーズがニッチになりすぎていることから「不幸な不登校」という社会問題を解決するうえでは現実的でも効果的でもない。むしろ、いろいろなケーススタディや各分野に強いコミュニティの情報を整理し、利用者による応用が利く、いわば情報のプラットフォームを構築するべきである。
居場所が必要な本当のグループとは?
ここでやっと本題。
1%のさらに濃淡の激しいニッチな不登校に対しては「居場所」ではなくて「情報」が必要であるということは上で述べたとおりです。
では、居場所を必要としているグループはどこなのでしょうか?
ここまでで、大体答えが出ていますね。
「教育の選択肢」の多様性を必要としているグループは不登校ではなく、残りの99%である公教育を受けている人たちなのではないでしょうか。
文字で書くと当然のように聞こえますが、実際、社会はこの1%の不登校に目を取られがちです。本当に社会が変わるニーズについては見落としています。
1%のグループが求めている変化は99%の潜在ニーズに対応していくことで解消できるはずです。
「学校に行っているから大丈夫」という過信が次のニーズ
学校に行っている99%の人たちは、ほぼすべてが学校外教育の選択肢については考えていないように思います。
それは、「学校に行っているのだから大丈夫」「学校以外の選択肢はない(不登校になるのみ)」など、と思いがちだからです。
しかし、学校だけが教育の選択肢ではないことはみんながうすうす気づき始めています。例えば「とりあえず大学に行く」が正解ではないことがトピックに上がるなども最近は一般的な教育観念に対する疑問も各所で噴出しています。
つまり、教育通念への疑問を持つ人の増加しかり、学校以外の教育の選択肢を大衆は求め始めています。(だから不登校も増加しているのでしょうね。)
教育は学校で定義される「教育」にとどまらず、もっと広い意味の「ライフワーク」に変化しつつあります。学び自体が人間としての楽しみになりつつある時代はすぐそこまで来ているんです。
これからは教えてもらうのではなくて、自分で哲学する時代。
これからの教育の居場所は「不登校」に対象を絞るべきではなく、99%をカバーできる学校外の選択肢です。哲学できる(していい)場所を増やしましょうよ。
じゃあそれは何なのでしょうか。
考えましょう?
僕にはやんわりと見えています。
「居場所」を実現するために
動き出しています。
教育系オンラインサロンのThePartyを中心に情報の整理を進めていきます。
今、能動的に一緒に動いてくれる人を探しています。
是非、興味のある方はTwitterかフェイスブックからDMをください。
仲間、待ってます。
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