教育の選択肢。選ぶのは家庭。

情報弱者にならないために

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9月1日は学生の自殺者が多いとのことで手記

教育には選択肢があることを知ろう

ホームスクールしてるので胸はって言うけど、学校って本当に1つの選択肢でしかないんですよね。

「学校しかない」と思いこむのは本当に危ないと思うし、ジョージ・オーウェルで言うところの「羊」。何も考えず、行動をする。周りが右を向けば理由もなく右を向く。そういう事なんだと思うんです。

ピア・プレッシャーや周りの空気で自分の運命を決める。これは戦時中の天皇陛下万歳でみんなで崖から飛び降りるのと同じコンセプトだと思うんですよね。

そんなのは今の時代まったくもって無意味ですし、それで命を落とすのはあまりにもったいない。

情報は取りに行けばいくらでもあります。目の前にある情報に目を向けず、雰囲気に流されるような生き方はもう時代遅れなんです。

子どもが『自分にとって何がいいのか。』を考え、

親が『目の前のこの子にはどんなサポートが必要か』を考える

シンプルにこの2つを親子が実現すればいいだけなんですよね。

それは塾かもしれないし、スポーツかも知れないし、ただそっとしておくことかもしれないし、ゲームかもしれない。学校じゃなくて図書館に足を運ぶことかもしれないし、旅行をすることかもしれない。

いずれにしても、「周りがやっていないからやっちゃダメ」というのは何も考えていないのと同義なんだと僕は思います。

行動倫理が無い状態です。

話を戻すと…、やっぱり ♯不登校 という考えはもう古いんですよね。不登校だからダメなやつというのは、上記のような「何も考えてないやつ」が生み出した言葉です。

根も葉もない決めつけで、都市伝説とおなじ。

その概念自体、「教育=学校」という社会的勘違いが生み出した無意味なものです。

日本だけですよ。不登校なんて言葉を作り出して社会問題にまで祭り上げているのは。

日本の外に目を向けるとその概念がいかに排他主義の狭量な考えかがわかります。

『行けないのではなくて、行かない。』

この意識の転換ができる人が増えてほしい。

周りが「気づけなかった」で死ぬ子がいたなら、僕はそれって環境から見直したほうがいいと思います。

いじめがあって責任がどこか。

そんなことは付け焼き刃でなんの解決策にもなっていない。

ミッキーが好きじゃないからドナルドかどうか、じゃなくて、ディズニーランドから出てみたら?とそういう話です。

(もちろんディズニーランドは最高ですが)

「気づけなかった」とか「気づきたかった」ではすまないでしょう。

こういったことで死ぬ子が出たとき、「親も辛いだろう。学校も頑張ってる。結局は社会の構造が悪い。」という結末が多いけど、そんなことをしていても何も変わりませんよね。

行動に移そう。

私たちは選択する権利と義務をもっています。

何をするのも、どんな人生を歩むのも、全部自由じゃないか。

周りがどうとか、比較していることが勝手に限界を決めている。

#ホームスクール #ホームスクーリング

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