教育はだれのため?

「教育費のために働く」は危ない

都市部の子育てでは今、本末転倒な事態が起きている

パパもママも一生懸命働いている。

これは特に悪いことではないのですが、子育て世帯に限っては、少し立ち止まってみてもいいかもしれません。

僕が感じる子育て世帯にありがちな矛盾。それは、「教育費」のために「働き」、これによって「本質的な教育ができない」というもの。


時間は有限ですから、働けば働くほど子どもとの時間は減ります。

「いやいや、教育費のために働いているんですよ!」という声も聞こえてきそうですが、冷静になってみてください。

教育費とは、教育を買うための費用、であって「教育費=教育」ではありません。


どうゆうこと?

つまり、「お金かけたから→良い教育を与えた」にはならないということです。

特にもうこれからの時代ではかけるべきはお金ではありません…。


「平均的な教育費」ってなに?

人々が翻弄されているのはここです。

オール公立で大学まで行くと子ども一人当たり1,000万円。オール私立なら2,500万円という数字が歩き回っています。どの家庭も、この数字を信じひたすらにお金を貯めるのです。

そのために、「働かないといけない」と言っています。「教育費だから」。

しかし、考えてみてください。教育費とはいったい誰に払っているものなのでしょうか?

私たちホームスクーラーが教育にお金を投資する場合、その払う先は、学校ではなく子ども本人なので圧倒的に費用対効果は高くなります。そのため、子ども一人に1,000万円も必要ないことは明らかです。概算ですが、年20万~30万円もあれば十二分な教育が可能ですし、これが12年間続いても多めに見積もって400万円程度です。大学以降は、好きなこと、やりたいことがあるなら働きながらだっていけますし、無返還の奨学金制度はいくらでもあります。

ですので「平均1000万」との差は600万円。

ざっくり言えば、これは家庭が子どもではなく、教育産業に払っているお金なんですね。

自炊よりも外食のほうが高いのは、サービス料や店側の利益が含まれるから、それと同じです。

我が家のホームスクール費用は0円。

しいて言えば通常の家庭より書籍の購入や、子どもにもスマホを持たせていることなどから月額数千円の出費はありますが、どの家庭でも服を買ったり、おもちゃを買い与えていることを考えるとそこまで大きな差はないと考えています。

その他、教材を購入したり、家にいることが多いことから光熱費は一般家庭よりもかかっているかもしれませんが、所詮光熱費レベル。膨大な違いはありません。


教育のベースは家庭にある

「お金ではなくて、時間をかける」

これが子ども達にとってどれほど大切なものなのか今一度確認する必要があります。

ホームスクーラーの発想はまさにここ。

お金という量的なサポートではなく、時間という質的なサポートを行う手段

考えてみてください。

何になるかも、なりたいかも、したいことも、自分にはどんな得意なことがあるのかも、なにもわかっていない子がたくさんいます。

こういった子たちは、学部も決めずに、とにかく「偏差値」という指標に基づいて一番評判のいい学校を目指して、日々「勉強」という名の「インプット」をしています(そしてその知識のほとんどすべては10年以内に消えてなくなります。)。

さらに、そういった集団に属するにはお金がかかります。その費用を稼ぐために最も身近なメンターであるはずの肉親とは普段あまり会話をすることもなく、口を開いたとしても大抵が成績のことです。ともに喜びを共有する機会はお互いに意識しないと作ることができません。

「お金」という親の精神と肉体を削って築いた大事な資源を無駄にしないよう、なんとか一矢報いるために今日も「教育」されに子どもたちは出かけていきます。そしてこれが、20年後に同じサイクルでまだ見ぬ子どもたちに戻ってくるのです。

子どもは親のために、勉強をしている。もしくは、親は自分のために子供を勉強させている、という錯覚すら覚えます。

錯覚ではないかもしれません。いずれにしても怖いです。

どうでしょう?案外大げさとも言えない、社会構造のリアルではないでしょうか?

もし、みんながこれに気づいたら?

両親がいつでもそばにいて、今やろうとしていること、悩みを全力でサポートしてくれる。お金は、思考の現実化のために使ってくれる。

得意も不得意も理解し、わからないことややったことがないことへの挑戦には積極的に背中を押してくれ、趣味を共有し、食事を一緒に食べ、夜遅くまで本の内容や、さっき見た映画について語り合う…。

何より、自然に笑いあえる家族。

そんな家族がたくさん増え、人々は個性を取り戻したとき、そこには「幸せ」があるように思います。

これは、「作られた」「べき論」の世界のなかでは絶対にできないことです。


「お金で買ったもの」は教育ではない

「塾には行くべき」「学校には行くべき」 というのは、お金を儲けるために教育産業が作り出したセールス話術です。

そういったものは決して、「子どもたちの成長」に目が向けられていない。

「教育費のために働かないと」はこのセールスにはまっている危険な状態、かもしれません。


教育はだれのため?

「塾に行ったから何なのか?」

「教育とは何なのか?」

「このお金は何に使うか?」

「この時間はだれに使うか?」

そういったことを常日頃批判的に考えて見てください。

「教育費のために!」よりも、「今日何食べたい?」といえる親に僕はなりたい。

純粋に、そう思うのです。

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