親子というもの

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パパよりかいちゃんへ

最近、未来のかいちゃんにメッセージを残しておこうかと思うようになりました。1年生になってからはほとんど毎日一緒にいるから、たくさんお話することがあるね。でも、かいちゃんはまだ1年生だから、パパのお話とか「パパが本当に伝えたいこと」がわからなかったりする。

まぁ、パパの話は長いしね笑

なので、こうやって、記録に残しておこうと思う。

で、いつか大きくなったとき(多分4年後とか、5年後とかに)読んでもらえたらな~と思います。

今日は一緒に大きな本屋さんに行ったね。

かいちゃんは最近「一人でも大丈夫」というようになったね。留守番くらいだったらいいけど、やっぱり今日みたいに本屋さんに一人でずっといることってどうなのかな?さみしかったり、不安じゃないのかな。

パパは、いつLINEが来るかとかいちゃんの見えないところでずっと携帯を見てました。

結局、何事もなく本が読めたみたいでよかった。混んでいるところが苦手なかいちゃんは最終的には「静かなところに行きたい」って言ってたけどね...。

さて、今日伝えたいのは、「親子」のことです。

親子ってすごく変な感じ。パパはあんまり変わらないけどかいちゃんは毎日どんどん成長して、ぐんぐんパパに追いついてきているような気がします。特に最近はそれが顕著(めだってる)。

親子、というのは親と子ども(そりゃそうだ)なんだけど、ここの所急激に「パパの子ども」というよりも「かいり」という一人の人間として、かいちゃんが生まれ変わってきているように感じる。

ついこの間まで赤ちゃんだった君がもうその辺の2,3年生に負けないくらい大きな1年生になっている。

不思議じゃないんだけど、不思議。不思議だけど、不思議じゃない。

ご飯を食べれば人は大きくなるけど、でもまだ7年しか生きていなくて、つい最近歩くようになったかいちゃんが、自分でお風呂に入り、着替えて、トイレに行って、「おやすみ!」といって布団に入る。

そういう何でもない当たり前のことが、ふとした瞬間に不思議に感じるんですね。意味わからないでしょ?笑

食べるスピードは相変わらず遅いし、毎日本を読んでいるのはずっと全く変わらない。でも確実に毎日成長しているんだね。パパにはそれがビリビリわかるんだよね。

パパはどうだろう?成長してるかな?

多分、「できるようになった」ことより「できなくなった」ことのほうが多いかもな...。

早起きは絶対できなくなったし、ご飯もあんまり食べなくなった。走ったり運動するのも面倒くさくてやらないし、旅行とかもそんなに好きじゃなくなったね。

そう考えると、かいちゃんは「進んで」パパは「戻ってる」のかもしれないね。

いつか入れ替わったりするのかな。いや、きっとするんだと思うなぁ。

かいちゃんが今みたいに色々なものに触れつづけて成長すればいつか「あ、パパをこえたな」って瞬間が来ると思う。

パパは、それが早く起こってくれればいいなぁと思う。そのために毎日色々な話を一生懸命するようにしよう。

でも、入れ替わった時はかいちゃんがパパのことをめんどうみてくれな。

入れ替わるまではパパがかいちゃんのことをめんどうみるから。

かいちゃんは「にわとりとたまご」の話って知ってる?

卵がなければにわとりは生まれない。でもね、にわとりがいないと卵は生まれないんだよ。

「問題は、どっちが先か」

...

少し考えれば、「どちらも先ではない」ってことに気づくよね。つまり、卵もにわとりもお互いがいないと存在できない。

パパとかいちゃんもそう。

パパは、かいちゃんがいなければパパではないし、かいちゃんもパパがいなければ生まれてなかった。

親子は(あたりまえだけど)親と子で1つ。だから絶対にどちらかが親をやめたり、子をやめたりしたらいけないんだよね。

世の中には、自分の子どもをいじめたり、無視したり、時には殺す人もいる。子どもにしても、自分の親を殴ったり、無視したり、殺すことがある。

こうするのはきっと、親と子どちらかが親か子をやめてしまったからなんじゃないかな。

世の中には「親みたいな人」「子みたいな人」「一応、親」とか「たぶん子」のように、ある意味では演劇の「役割」のように毎日の親子関係を過ごしている人たちがいる。

こういう人たちにとって、「親らしく」とか「子らしく」ふるまうというのは、演技で、本当の心からの行動じゃあない。

パパはもちろん大人として生きているけど、よく「親として~しないといけない」ということをよく聞く。きっとかいちゃんも「子どもなんだから~すべき」みたいに言われることあるよね。

これは、社会が「こういう演技をしなさい」と言っているんだ。

「親子を演じなさい」と。

今日伝えたかったのは、パパとかいちゃんはこういう関係性にはなりたくないなぁということ。

あくまでも、お互いを必要とする「にわとりと卵」の関係でいたいなぁと。そう思う。

そのためにどうしたらよいのか、というのは話が長くなりそうだからやめておこう。笑

その代わり、一つ最後に「親子」ということについての別のポイントを書いておきます。

親子の難しいところは、にわとりと卵の関係でありながら、「パパはパパ」で、「かいはかい」であるということ。

つまり、存在のためにお互いが必要であるけど、それぞれは独立して動いていいんだということ。

二人三脚と一心同体の違いと言ったらもうわかるかな?

パパが言ったことはすべてではなくて、かいちゃんは自分で判断して動いていい。

今みたいに「~をしてもいいの?」ときかれても、パパはパパの価値観でしか答えられない。だけど、それは「正解」とは限らない。

パパのことは頼ってもらって結構。でもね、「自分がどう思うか」とか「どの選択が正しいか」と考えることはとても大事で、これができるようになるとハイレベルな親子になれると思うよ。

にわとりは卵を大切にします。でも、一生持っては歩かないんだよね。

そのことを覚えておいてほしい。

親子の話はこの辺にしておきます。じゃ、また。思いついたときに。

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