【冒頭は2度書く】よい小説の “冒頭” は、1度全体を書き上げないとわからない
小説において “冒頭” というのは超を何個つけてもいいくらい重要だ。その冒頭は結果として2度書かなくてはならないものである。その理由を書いていこう。
冒頭が重要
小説というのは冒頭が死ぬほど重要だ。
最初のどれくらいの部分を冒頭と呼ぶかは、人それぞれだが、ここでは原稿用紙1〜2枚分くらい(つまり文庫本の半ページくらい?)を冒頭と呼ぶ。
冒頭の役割は4つに分けられる。
- おもしろそう、と読者に思ってもらう
- 主人公のキャラクターを知ってもらう
- 舞台設定を理解してもらう
- 文体や作品のトーンを理解してもらう
例えば「風の谷のナウシカ(映画)」での冒頭は、これらをすべて満たしていると思う。ざっくり書くと、
ナウシカがメーヴェという羽の乗り物に乗って、腐海に飛んでいき、王蟲の抜け殻を見つける。眼の部分を手際よく火薬で爆破し、取り外す。銃声を聞いて、ユパ様を助けに行き、王蟲を鎮める。
ここまでだけで、ナウシカが戦う力を持っていること(銃機器に慣れている)、腐海が好きであること、腐海の虫を鎮める力に長けていること、“腐海” という世界観、王蟲の存在や特徴……など、たった数分で凄い情報量なのだ。
情報量が多ければいいというわけではないのだが、『風の谷のナウシカ』は非常に込み入った世界観を持っているので、早く視聴者に理解してもらい、映画の世界に入り込んで欲しかったのだろう、と想像する。
さらに、このあとで “風の谷” に戻ると、王女扱いを受けているというギャップがおもしろい。
冒頭はかなり戦略的
小説でも映画でも漫画でも、冒頭はかなり戦略的に書き上げる部分だ。
最初から馬鹿正直に書く必要はない。途中から書いても良いし、サイドストーリーから入ったって構わない。そのうえで「1番面白い冒頭」を書き足せばいいのだ。
だいたい『風の谷のナウシカ』だって、冒頭のエピソードはなくたってメインストーリーに何の影響もないのにお気付きだろうか?
いきなりユパ様が “風の谷” に来てもちゃんとストーリーは進む。しかし退屈だ。
冒頭にはキャラクター・舞台・文体(映画なら絵や色など)を理解してもらいつつ、おもしろいと思ってもらえるエピソードが必要なのがわかってもらえると思う。
そこで、冒頭にはかなり頭を使い、あれこれ苦心するのだ。
冒頭はいきなり書けない
特に小説の場合は、いくら事前にストーリーができていても、キャラクター設定ができていても、どうしても細かい部分は「書きながら考える」ことになる。人によってはストーリーもキャラ設定さえも書きながら考える。
そうなると、冒頭で伝えたい要素が、書き始めには作者にさえ定まっていないことがある。
ある程度定まっていたとしても、書きながらストーリーが変わったり、重要な登場人物が増えたりすることもある。
そうなると、やはり冒頭が書けない。というか、書いても「どうせ書き換えることになる」のだ。
冒頭は最低2度書く
そこで、どうするか?
簡単だ。冒頭は2度書けばいい。まずは普通に書き、最後まで書き上がったあと(あるいはその見通しがついた頃)に、2度目を書く。そのときはもうストーリーもキャラもトーンも決まっているはずだから、ちゃんとした冒頭が書けるだろう。
わたしの場合、2度書くとはいえ、1度目は手を抜くということもしない。ちゃんと考えて、1度目なりに本気で書く。なぜならそのときの書き手としてのテンションや、想いというものは、あとあとまで引き摺るし、よい冒頭に支えられていると、後半を書くときの気持ちがラクになるのだ。
しかし最後まで書き、最初に戻って読み直すと「もっとこうした方がいいな」と反省することが多く、結果ボツになる。
ブログでも同じことをしている
気付けばブログでも同じことをしている。
冒頭から書き始めるが、最後まで書ききったあとで、また冒頭を書き直す。
この手順がどうも自分には良いらしい。
本当によい冒頭がかければ、それだけで作品の質がかなり上がるだろう。よい冒頭の書き方は……、わたしも知りたい。
Originally published at kenemic.com on May 19, 2016.