小説技術を伸ばしたいなら渾身の長編よりも、短編を量産すべき
小説を書く上で1番重要な練習は「たくさん書く」ことだと思う。この言葉はより具体的に書くと「よりたくさん書き終える」こと。決して「たくさん書き始める」ことではないし、延々とひとつの小説を書き続けることでもない。
小説を書く技術とは何か?
「小説を書く技術」というのは、目に見えず、自己評価が難しい。
なにしろ文字を書くことはだれでもできるし、小説で使う言葉はみんなが使う言葉と同じ。だから、ある人は小説技術を甘く見て、ある人は過剰に難しく考える。
そもそも「小説を書く技術」とはなんだろうか? わたしは大きく2つに分けて考えている。
- 物語を作る技術
- 物語を文章表現で魅せる技術
ここで重要なことは「物語」には形がない、ということだ。
頭の中で魅力的な物語を考えたとしよう。それを誰かに話して聞かせるとしよう。
あなたの話し方が上手なら、聞いた人は感動するだろう。しかし、話し方が下手なら、たとえ物語が魅力的でも、聞いた人は飽きてしまうだろう。
「物語」には形がなく、目にも見えない。口述、小説、漫画、映画……、なんらかの「表現」に乗っかって、初めて人に伝わる。
小説を書くという行為は、形のない「物語」というものに、小説という形を与える行為に他ならない。
書く前は名作である
よく小説家がいう言葉に
「書く前の小説は常に最高傑作である」
というものがある。自分にも身に覚えがある。ある物語が思い浮かぶ。「これは絶対いい小説になるぞ」と確信を持って書き始める。
書けば書くほどに、物語にも、表現技術にもアラが見える。それでも「ここから名作になる!」と書き進めるが、書き終える頃には凡作になっている。
そこで欠点が浮き彫りになる。キャラクターが弱い。ストーリーに起伏がない。メッセージがぼやけている……。そういう弱点は書き終えて初めて明確になる。
小説技術が伸びるのは「書き終えた瞬間」である
ここまでで書いたように、書く前は誰だって頭の中に名作を描いている。それが書き進めるに従って、本来の物語や表現技術のレベルに落ち着いていく。
そして書き終えた瞬間に「その物語や表現技法のレベルが明らかになる」のだ。
言い換えれば、小説というのは書き終えたとき、初めて自己評価ができ、自己研鑽ができる。
よくビジネスで言われるPDCAサイクルでいう、C(チェック)の機能が働く瞬間が、書き終えた瞬間なのである。
わたしは先輩の作家にこんなことを言われたことがある。
何十作書いたとしても、それを最後まで書いていないなら、もはや小説を書いたことがないのといっしょだよ。
また別の人のこんなことも言われた。
どんなに途中で無理があると思っても、きっちり着地(最後まで書くこと)させるんだ。ウルトラCのワザを使っても、誰かが「無理がある」って言ったとしても、とにかく終わらせないと成長しない。
書き終えることが唯一の成長方法というわけだ。
たくさん「書き終える体験をすること」が重要
だからこれから小説を書こうと思う人は「書き終える体験」をたくさん重ねることが重要だ。
わたしが、自主的に《原稿用紙1枚の物語》という連載を続けている。これは原稿用紙1枚(400字)程度の小さな小説を1日1作公開しているものだ。
毎日1作「よし、ここで終わり」と小説にピリオドを打つという経験はなかなか勉強になる。
小説技術を磨きたいなら、原稿用紙1枚とは言わないから、原稿用紙10〜30枚くらいの長さの短編小説をできるだけ大量に書く練習をするといい。
初心者のうちは、300枚の小説を1回書くよりも、30枚の小説を10回書く方が、得られるものは大きいはずだ。
Originally published at kenemic.com on May 10, 2016.