自分探しは内面に向かう行為ではなく、必死で発信し続けた先にあるもの

Ken Takeshige
Creativity Magazine
5 min readMar 28, 2016

自分探しって、のんびりじっくりやるものだったり、どこかから自然と降りてくるなんて思っている人いませんか? そんなキレイなものじゃないですよ。汗かいて、頭を掻きむしりながらやるもんなんです。

「自分探しの途中です!」なんて楽しそうに言っている人を見ると、靴屋で歯ブラシ探している人ぐらい、滑稽だな、って思います。

自分探しって?!

「自分探し」って言葉を聞いてどう感じますか?

どういう行為を指すように思いますか?

旅に出る? 本を読む?

なんにせよ、「内面を掘り下げる」とか「自分の本当にやりたいことを発見する」みたいないことを「自分探し」と呼んでいると思います。

自分探しという言葉こそ使いませんが、わたしだって「自分が本当にやりたいことってなんだろう?」とか「自分にできることってなんだろう?」みたいないことを考えます。

そういうときになにをするか?

それがこの記事の主題です。

掘り下げることは発信すること

自分の内面を掘り下げるとか、やりたいことを自分で発見することっていう、自分の内面に向かう行為から「自分の発見」って多分無理だと思う。誤解を恐れずに言うなら、不可能、なんじゃないかな。

そこに自分なんてないから。

ウソだと思うなら、試しに自分を掘り下げてみてください。黙って、ジーッと、自分に問い続けてください。

「お前は何がしたい」「なにが使命なんだ?」

……って。たぶん、そう簡単に答えは出ない。

唯一、答えが出るかもしれない人は、本当に “自分” という人に、第三者的に問うことができた人だけ。

「お前はなにがしたいんだ?」
「う〜んと、例えば……」

とまるで他人と喋っているように自問できる人は、もしかしたらできるかもしれない。それはひとつの才能で、その才能ひとつで花開くことができるくらい、力ある才能だと思う。

発信することがキー

ではどうするか?

とにかくがむしゃらにアウトプットすることだと思う。どういう形のアウトプットでもいい。なにも「ブログを書こう」と言っているわけでもないのです。

徹底的に誰かと話し込むのでもいいし、いまやっている仕事に打ち込むんでもいい。アウトプットと言っても芸術家になれと言っているわけじゃない。

なにかをやりこめばいいんです。

時間に追われるくらい、ストレスに感じるくらい、徹底的にやりこむこと。

グラスに水を注ぐように、ジャンジャンと自分に詰め込んでいく。そのうち溢れる。大事な物が溢れないように、いらないものを捨てて、大事な物を残そうとするはず。

自然とグラスの中は『自分』を象徴する何かで満たされる。

それが自分なんです。

たとえばブログ

たとえば、ここがブログだから、ブログで発信するという行為から具体的にイメージしてみます。

ブログの記事を大量に書く。最初の頃は書きたいネタもたくさんあって、気持ちよく発信できるはずです。

とにかくたくさん書く。もっと書く……。そのうちネタが尽きて、苦しくなる。それでも書く。

苦しいながらも発信し続ける。苦し紛れに自分の中からネタを探してみたり、街を歩いてネタを求めるようになる。本を読むかもしれないし、TVを見るかもしれない。

その苦しい中で見つけていく「ネタ」ってのが、たぶん「自分」に繋がっていく。

たとえばわたしであれば、「ネタがないな」と思ったとき、「メディア」とか「創作」系のキーワードにアンテナが向きます。芸能ニュースでもなければ、経済ニュースでもない。

芸能や経済よりもメディアや創作がすきなのが、ひとつの自分です。

たとえば旅

「自分探しの旅」という言葉がありますね。どうして旅をすることが自分探しになるのでしょうか?

先ほどの話では「なにかをやり込め」と言っていましたが、旅は仕事じゃないし……。

短い旅では、たぶんダメです(本当は期間で区切りたいわけではないのですが、あくまで基本的には……)。長い旅をしてみると、疲れてくるし、嫌になることもたくさん出てくる。

見知らぬ宿を泊まり歩くことに疲れるかもしれない。慣れない食べ物に嫌気がさすかもしれない。他人との出会いに消耗するかもしれない。

それでも続く興味が何かあるものです。

「人に会うのはもう嫌だ! でもおもしろいものを食べたい」

とか

「もう観光地は嫌だけど、人には会いたいゾ」

ってな具合に。

自分に旅をさせ続けると、そのうち旅の中から「なにか」を選び取るようになります。その選び取ったなにかが「自分」なんでしょう。

自分探しって超能動的

だから、自分探しって言う行為はすごくすごく能動的な行為なんです。

ギラギラと「やりたいこと」を求め続ける。

のんびりしたモノでもないし、ダラダラしたモノでもない。受け身なんて絶対ダメ。

楽なものでもない。

だって自分を溢れさせて、消耗しきった先に見つかるものだから。

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Ken Takeshige
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小説書いてます。『池内祥三文学奨励賞』受賞。世界旅を終え、作家活動中。 noteやMediumで小説を連載。ブログ『日刊ケネミック』→ http://kenemic.com | Amazon著者ページ→ http://amzn.to/1sh7d1f