「閉じた」オープンデータ
あるいはその生い立ち
オープンでないオープンデータなどに対し、Openwashing(オープンウォッシング)と呼ぶことがあります。ここではそのOpenwashingの背景や語源についてまとめてみました。シビックテックやオープンデータにかかわるあなたの活動にちょっとしたスパイスになればうれしいです。
(英語表記はOpen-washingもOpen washingなどもあるのですが、本文中ではOpenwashingに統一しています)
先日わたしは新潟で開かれたCode for Japan summit 2018のセッション「バットオープンデータ供養寺」にて、位置情報に関する怪談をお話しました。参加してくださった皆さん、サミットをオーガナイズしてくださったみなさん誠にありがとうございました。
さて、ディスカッションパートで、トラフィックブレインの太田さんより深刻な御供養依頼(いわゆる「これってどうよ」相談)がありました。わたしは参考としてOpenwashing(オープンウォッシング)というキーワードを2014年のOKFJ翻訳記事 などから紹介したのですが、その最初に聞いてみたところセッション参加者のほとんどの方がこの言葉をご存じありませんでした。
Openwashingとは、OKFJの翻訳記事によると
オープンではなく、単に制限条項の下でのみ利用可能な場合ですら自分たちのデータがオープンであると主張しているデータ公開者を意味します。
と定義されています。
また、今年9月にブエノスアイレスで開かれたIODC18(International Open Data Conference )でも、Openwashingに関するセッションが持たれるなど、Openwashingに関する議論や関心が世界的にいまもなお続いています。
そんなOpenwashingですが、新潟の参加者の方がこんな感想をくださいました
なんで"Washing"なんでしょう? データを綺麗にするようなイメージがあるので、
クレンジング(cleansing)をすることかと思っていましたー
なるほど、たしかに。
わたしも最初にこのことばを聞いた時、washingにポジティブなイメージを持っていて、関連情報を読み始めるとネガティブな実情にぶちあたり、頭の中が軽く混乱したものでした。
openwashing.orgによる定義では
”Greenwashing”からの派生語
という一文があります。じゃあGreenwashingとはなんですか?ということになるので、調べてみるとwikipedia日本版にこのような記事があります
環境配慮をしているように装いごまかすこと、上辺だけの欺瞞(ぎまん)的な環境訴求を表す。
欺瞞、つよい言葉ですね。このほかにも、
特に環境NGOが企業の環境対応を批判する際に使用することが多く、上辺だけで環境に取り組んでいる企業などをグリーンウォッシュ企業などと呼ぶ場合もある。
とも解説されています。
ためしにGreenwashingで画像検索をすると、まあメッセージ性がうんと強い画像がたくさん…例えばこんなのとかがあります
さらに、wikipediaの記事中をみると、Greenwashingの語源に関する箇所があり、
安価な”漆喰・上辺を取り繕う”という意味の英語「ホワイトウォッシング」とグリーン(環境に配慮した)とを合わせた造語である。
つまりOpenの母はGreenであり、さらにGreenの母はWhiteという関係性があるようです。
では、Whitewashingを調べるとややこしい展開となりまして
アメリカ合衆国の映画業界で白人以外の役柄に白人俳優が配役されること。
とあります。あら、漆喰はどこに…
すぐピンとこないかたは、画像検索でイメージがつかめるとおもいますし、このあいだの実写版攻殻機動隊でも批判があったようです。
なお、動詞としてのWhitewashの意味では
しっくい、のろ、(過失・欠点などを隠すための)体裁のいいごまかし、(競技で)零敗
とされ、漆喰もでてきます。でも、あまりポジティブな言い回しではなさそうですね。
ここまで述べたOpenwashingまでの出生の経緯をまとめると、こうなるようです。(もちろんわたしは英語の先生でもないので、いい情報があればおしえてくださいね)
Whitewash([漆喰][ごまかす]の動詞)
⬇
Whitewashing(人種差別的な問題)
⬇
Greenwashing(環境活動的な問題)
⬇
Openwashing(オープンデータ的問題)
その他-washをたどるとBlackwashing、Pinkwashing、Gaywashingなどなどが掲載されているOxford dictionariesの解説がでてきますが、くらくらしちゃうので、このへんでやめておきます。
今のところ、日本の行政機関でのOpenwashing事例はまだ少ないかもしれません。これは各担当の方のさまざまな努力や官民データ活用推進基本法なども影響しているように思います。
日本以外ですと、様々な問題が起きているようです。たとえば、去年台北で開催されたCivicTechFest(TICTec@Taipei)では、Struggling Democracy: How Can Civic Tech Fight Against Openwashing?(低迷する民主化:Openwashingに対してどのようにシビックテックコミュニティは戦うか?)としてアジア諸国の政府によって起きているOpenwashingの事例や、是正活動に参加しているシビックテックコミュニティのメンバーが投獄された話などが報告されていました。
しかし日本でも「オープンデータっぽいなにか」を「オープンデータやで!」として誇示する組織や運動はこれから出現するかもしれません。たとえば、オープンと銘打っていても、組織独自のライセンス問題・高額な提供費用請求・データ品質の課題などもありますし、政治や気象や位置に関するオープンデータはまだまだ未発達です。
だからといって、あなたが「それ、Openwashingやんけ!」という言葉を乱射してマウンティングを試みることは、当事者を萎縮させ、彼らを独自の考えという洞窟に押し込めてしまうリスクもあると思います(科学技術コミュニケーションにおける「欠如モデルvs対話モデル」なども参考になるかもしれません)。
課題に対峙したときは「オープンの定義」とOpenwashingの言葉をそっとふところにしまいつつ。より良い方向に伴走できるようにしていきたいものですね。
そういえば、新潟のセッションで、翻訳などの情報共有がほしい(やりませんか)とお話したところ、そのとき会場にいらっしゃった@yamachan360さんが、QiitaにOpenwshingの翻訳などのまとめをすぐUPしてくださいました。冒頭でも引用させていただきました。
ありがとうございます。