夏の風物詩はセミ
セミが威張り散らす夏真っ盛りである。セミの鳴き声にはうんざりする人も多くいるだろうが、この時期ぐらいしか彼らが活躍できるチャンスはないのだから大目に見てやろう。
人は古来から儚いものに魅力を見出してきた。桜、花火、流れ星、放射性元素、筆圧が強い人が使う鉛筆、ご高齢者の記憶力などなど。ところがセミはどうだ? 夏の一瞬という儚い命の象徴なのに、セミは桜や花火ほど人々に愛されているだろうか? やはりその見た目や夏の暑さを増長させる鳴き声が邪魔しているように思えてならない。
セミの体長はせいぜい5、6センチほどで人のおよそ30分の1だ。にもかかわらず、その声のボリュームは人を凌駕する。中森明菜さんの数百倍はあるだろう。夏休みの小学生の宿題ペースみたく非常にバランスが悪い。たったあれだけの体の大きさで、あれだけ声を出すことにスタミナを消費しては、長生きできないのもやむを得ないだろう。
セミの命に対して、こんな意見を持つ人もいるかもしれない。「地中にいたころの時間はカウントされないのか?」
地中にいる時間もたしかにセミは生きている。しかし、私は思う。地中にいる時間の記憶は、はたしてセミ自身にあるのだろうか? 母親の胎内にいる赤ん坊と同じで、そのころの記憶はおそらくないに等しい。外の空気に触れて一週間ほどで命を落とす。そう考えると、やはりセミの命は儚いと言えるのではないだろうか。
セミの鳴き声がうるさくてイライラするとか、暑苦しく感じるとか思う人もいるだろう。しかし、このセミの命の儚さを思うと、セミのうるさい鳴き声も受け入れられる穏やかな心を持った人でありたいと思わずにはいられない。
鳴き声を聞いただけで暑さを感じるセミとは対照的に、真夜中に女の人のすすり泣くような声を聞いたときは、どんなに蒸し暑い夜でも寒気を感じる。まだその経験はないが。
では、真夜中にセミの鳴き声と女の人の泣き声を同時に聞くと、われわれの体感温度は上がるのだろうか? それとも下がるのだろうか?

