努力を怠れぬくにの五十年
50 案じる制度化と次代への希望
U.S.A.であったコケージャンが少数へ転じているこの廿年のなかに、ヒスパニック、アジアン、インディアン、アラビアン、ルシアン……数多の移民の後裔が登壇してきました。
それら新世代の智慧は、要らぬ人種と民族間の諍いを努めて避けるという契約関係を、日常のコミュニティ、そしてソサエティからネイションに到るまで彼等の登壇に寄り添うかたちで、それは自然な要求と解決として制度化させてきていることに明瞭です。民族別コミュニティ間を敢て交わらさせず、その間に、USA Corpの社員である契約を結ぶ。その契約上において私たちはシチズンという名の社員であるということをです。それは慥かに要らぬ諍いを除去できるかも察れません。しかし不断の努力を怠るならば、USA Corpというコングロマリットが試練に陥ったとき、制度化によって取り払われた(消去されたように観得る)努力の結果としての憎悪はこれまでにないものになる予感がしてなりません。次代の実験と努力が不断であるよう祈るものです。
U.S.A.は努力せざるを得ないくにです。私が案じて已まないのは、制度化されることなのです。U.S.A.という我らが祖国は制度化されてはその躍動感を喪失してしまう。 35の語りかけのなかに私は、わが国の岐路を感じてなりません。