教育への投資はムダかもしれない

忘れないでほしい。この百年間、いかなるテクノロジーも教育や学習を根本的に変えることはなかった。

IGNITION Staff
IGNITION 日本版
10 min readAug 21, 2015

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by Tom Liam Lynch

現在の教育界で最注目のトレンドは、教育にまつわるテクノロジーである。投資の流れを見てみると、それは明らかだ。

「2009年から2014年のエドテックの資金調達と取引数」(濃い色が金額、薄い色が取引数。金額単位は1000ドル)

テクノロジー、あるいはEd Techへの投資は昨年、史上最高額を記録し、アメリカ国内で推定13億ドルを上回った。学習者に合わせたカリキュラムで外国語を学ぶDuolingo、教師と生徒の両方を対象にしたEdmodoなどのコミュニティ・プラットフォーム、そして大人が自分のペースで学ぶプログラムを提供するPluralsightなど、その成果はさまざまな形で現れている。

しかし、果たしてそこにこれだけの時間と資金を費やす価値があるのだろうか? 投資の効果に対する楽観的な見方は正しいのだろうか?急増する投資を目の当たりにしながら、この問いが頭から離れない。

一体誰が、何に対して投資をしているか見てみよう。昨年の投資の大部分は、二つの組織によるものだ。シードアクセレレイターTechstarsとベンチャーフィランソロピーNew Schools Venture Fundである。前者は主に、企業向けのソーシャルラーニングを開発するPathgatherなど、スタートアップの株式の一部を保有してシードマネーを提供している。後者はシードマネーだけでなく、教育者向けの学習機会やコーチングを提供するTeachscapeのような組織に、シリーズAやシリーズBの投資を行なっている。

また、その他の組織も、学区や企業にかなりの助成金を投じている。たとえばビル・ゲイツと妻のメリンダによる慈善団体Bill and Melinda Gates Foundationがそうだ。2013年には、生徒たちの専門性をテクノロジーによって伸ばす取り組みを試験的に運用すべく、ニューヨークの学校に総額500万ドルを投じた。また2014年には、学習用ビデオを増やすため、教師へ向けたマルチ・プラットフォーム・サービスTeaching Channelに250万ドルを投じている。

こうした団体だけではなく、政府までもが資金を投じている。教育や学習に対するテクノロジーの力に期待を込めて、教育省は2014年にイノベーティブな企業や地域に対して1億3千万ドル近くの支援を行なった。「学校の多くがイノベーションへの取り組みに腰が重かったが 、ようやくデジタル革命に乗り出し始めている」と教育長官は最近のBRIGHTへの投稿で書いている。

しかし忘れないでほしい。この百年間、いかなる大きなテクノロジーも教育や学習を根本的に変えることはなかった。1910年代の教育映画、20年代のラジオ、50年代のテレビ、80年代のパソコン、そして2000年代のインターネットなどどれもがそうだ。果たして昨今の取り組みは、こうした従来の動きと何か違いがあるのだろうか?

それでは、Ed Techの現状と未来の教育への影響に対する三つの考察を以下に挙げよう。

学校現場では、改革はゆっくりと進めたほうがよい

皮肉なことに学校への投資は鈍っている。しかし、それは望ましいことだと言えるかもしれない。

「テクノロジーによる学校教育改革の提唱者は、規模の拡大を急ぎすぎることが多い」と、UCLAの教育学教授トーマス・M・フィリップは言う。

「学習環境は、生徒や教師、コミュニティの強みと需要、地域との関わり、そして組織としての制限などから成り立ちます。しかし今の改革はその個別性にほとんど気が払われていません。どこにでも当てはまるような解決策ばかりを追い求めれば、大いなる期待は歯がゆい落胆へと変わり、教育におけるテクノロジーが持つ本当のポテンシャルを活かすことはできないでしょう」

大規模なテクノロジー導入の問題を浮き彫りにした例がある。ロサンゼルスでは、60万以上の学生へタブレットを配布する計画が頓挫した。そしてその後、Appleおよびピアソンとの間で泥沼の争いを繰り広げることになる。

ニューヨークのような学区は、テクノロジー一辺倒にならず改革をすることの価値に気づき始めているようだ。大人の能力向上のために、ビル・デブラシオ市長肝いりの二つの政策、「モデル学校」と「学習パートナー」は、教師や学校のリーダーがさまざまな学校を訪問し、成功事例を学ぶもので、徐々に浸透しつつある。ここでは、オンラインは補完的な役割を果たすものだ。

「教師が学びながら共に改善していくシステムでなければ意味がありません。リソースを提案してくれるアルゴリズムや、データを集積したダッシュボードだけでは役に立たないのです」と、コートニー・アリソンはいう。彼女はニューヨークの公立学校におけるノウハウ共有チームのリーダーだ。

「教師は専門家です。彼らに敬意を払うこと、そして専門性や意欲を促進するためにあらゆる手を尽くすことが、何よりも重要なのだと学びました。テクノロジーがその手助けになるのであれば素晴らしいですが、そうではない場合もあります。そんなときは押し付けないようにすべきです」

大人の教育にもテクノロジーが必要

教育ニュースサイトEdSurgeは、年次報告においてEd Techへの投資を5つに分類した。「カリキュラム向け」「教師向け」「学校運営」「中等教育以後」そして「その他」だ。面白いことに最も資金を集めたのは、曖昧な「その他」の分野である。Ed Techへの投資が史上最高額となった年の投資先の多くが「未分類」なのだから、効果に疑問が生じてくる。

左グラフ:投資の数。右グラフ:投資金額 。色が濃い順に「カリキュラム向け」、「教師向け」、「学校運営」、「中等教育以後」、「その他」

「その他」の投資先のトップ3は以下である。「筋金入りの開発者やITトレーニング」を提供するPluralsight(1億3,500万ドル)、同じことに関心を持つ人々をつなげるYik Yak(6200万ドル)、編み物などの技術をオンラインで学ぶCraftsy(5000万ドル)。

これらはすべて大人向けのものであり、より非公式な学習環境である。近年のロサンゼルスやニューヨークでの大失敗を鑑みて、投資家は学生向けのテクノロジーにはリスクが潜在するということを認め始めているのかもしれない。

旧来の教師と学生の関係を打ち崩すことができるのか?

Ed Techの歴史が教えてくれる教訓はこうだ。「テクノロジーは、旧来の教育理論を単にデジタル化するために使うべきではない」。これは学生に向けたテクノロジーに関心を持つ投資家や教育リーダーたちにとって非常に役に立つ。

オンラインの外国語コースであれ、よりインタラクティブな学習を謳うものであれ、たいていのテクノロジーは学習者へ向けてコンテンツやスキルを一方通行に伝え続けている。つまり、学生の学びを、大人が持つ知識の吸収だと捉えているのだ。

しかし、新しいテクノロジーは、学ぶ側がかつてない形でやり取りをし、創造し、共有する方策を提供している。そうしたテクノロジーを使う際のカギは、生徒主導の学習を後押しすることだろう。

生徒主導の学習の定義は曖昧だ。このような学びを、「学ぶ側がいつでもどこでもコンテンツにアクセスできること」と考える人もいる。しかし、顔の見えない大人が作った暗記や選択問題だけのプログラムには、学ぶ側もそこまで突き動かされないだろう。学ぶ側は、世界に対する自分なりの問いを持っている。だからいつも大人たちから問いを与えられる必要はないのだ。

実際の事例を挙げてみよう。カーン・アカデミーは、コンテンツやスキルに基づいたアカデミックな教育ビデオを無料でたくさん提供している。インタラクティブな活動もあるとはいえ、やはり大人の専門家が大衆へ向けて知識を授けるという、旧来型のモデルに根ざしている。つまり、学習とは学ぶ側が情報を吸収し、正しい答えをクリックすることなのだと考えられているのだ。

今度は、MathTrain.tv.を見てみよう。中学の数学教師が作ったサイトで、世界中の生徒が互いに数学を教え合うことを目的としている。私自身も、自分の息子には、どこぞの大人の長ったらしい話を聞くよりも、自分でビデオを作ったり他の学生が作ったビデオで意見を言い合うようになってほしいと思う。大人の長ったらしい話は、教授である父親の私からたくさん聞くだろうから。

本当の意味で生徒主導の試みは、なかなか浸透するものではないし、きっとリスクも高い。質の高い教育法が広まるのは時間がかかるのだ。投資家にとって、こういった政策をサポートするのは冒険だろう。MathTrainで最も視聴されているのは素因数分解の解説映像で、視聴回数は8万2千そこらである。一方、Kahn Academyで最も視聴されている「足し算の基礎」の視聴回数は250万を越えている。

社会への利益というのは、普遍的な解決策からもたらされることが多い。特別な学習環境で成功しても、成果が少数に留まったままであれば、潜在的な利益は見えないのだ。例えば、ある学校で生徒が互いに教えあうプログラムが行われ、全員が参加したとしよう。教育学上では成功ケースと言えるかもしれないが、利益は見えてこない。

上段左から: 1910年代「映像教材の学校への導入」、1920年代「ラジオの導入」、1940年代「テレビの導入」。下段左から:1980年代「パソコンの導入」、1990年代「インターネットの一般普及」、2000年代「教育への投資が史上最高に」

教育とテクノロジーの歴史を振り返ると明らかなように、熱意や資金だけでは、意義のある変革は起こせない。投資家はその教訓を学びつつあるようだ。なぜなら実際に彼らは、数は少なくてもより成熟し、影響力を持った大人の学習者に関心を向け始めている。

しかし、Ed Techが生徒主導の学びをサポートする道を考えることをやめてはならない。どうすればテクノロジーを使って生徒が自分なりの問いをもとにやり取りし、創造し、共有するサポートができるか、を考えるべきなのである。

何ができるのかがはっきりわからないと新しいやり方を想像できないことがあるのが、教育者や研究者というものだ。利益は最小限かもしれないが、生徒主導の学びが私たちの子供や社会にもたらす価値は計り知れない。

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