どんな時代になっても、”やっぱり、築地で働いていて良かった”

daisuke_yoshinaga
いなせり(公式)
6 min readFeb 20, 2017

仲卸インタビュー第6弾では、先代の父親から、亀谷の看板を受け継ぎ、約30年間仲卸として活動されている「亀谷直秀」さんに、今と昔の築地の移り変わりについて聞きました。

㈱亀谷/亀谷直秀(かめたに・なおひで)

先代の父親から、亀谷(旧:亀谷商店)の2代目としてお店を受け継ぐ。亀谷の2代目として活動する他、鮮魚を取り扱う仲卸同士で結成された鮮魚業会の会長も務めている。亀谷は鮮魚全般をはじめ、貝類、マグロ、シラスなど幅広く水産物を取り扱っており、各業態のお客様から支持されている。

■築地との出会い…

-まず、どんなきっかけで仲卸になろうと思われたのですか?

元々、大叔父さんが、大卸の大都魚類(出荷者から販売を委託された品物を、セリ・入札などによって仲卸業者や売買参加者に販売する業者のこと。)の創業メンバーで、副社長を務めていました。

その縁から大洗で漁師をしていた父親も、豊清(読:とよせ)と呼ばれる仲卸に丁稚(読:でっち)として就職することになり、そこで経験を積んだ後に、昭和32年(約60年前)に亀谷商店(現:亀谷)を創業しました。

当時の私は、仲卸に憧れや興味もなく、ましてや働く気なんてなかったのですが、こういう世界は長男が家業を継ぐという風習が昔からあったので、大学を卒業した後に、自然とこの仕事に就いていました。

今年で働き始めて約30年が経ち、当時を思い出すと、仲卸は氷や水を使う仕事なので、夏は蒸し暑いし、逆に冬はすごく寒い。その環境が嫌で、働き始めた頃はそれがとても辛かったのですが、それも今では良い思い出になっています。

-初めて築地に入ったときの印象は?

私が働き始めた頃はバブルの少し前で、景気が良い頃だったので、水産物が売れに売れていました。

当時はオイルショック等の影響で景気の波はありましたが、築地の中は比較的に安定していたので、当時の私は、毎日食べる食材を取り扱う仲卸業には不況がないものだと思っていました。

今では値段が高騰している魚は見向きもされませんが、当時は入荷が少なく値段が高騰している魚でも売れる時代でした。

■築地は今と昔で、人と魚の「賑わい」が違った。

-当時の築地も今のような環境だったのでしょうか。

今と比べて昔は、人の賑わいが別次元でした。

昔はお客様のほとんどが街の魚屋で、量販店やスーパーは街に数店舗あるかないかという時代で、魚商の世田谷支部のお客様だけでも100店舗を超えていました。

当時は築地に毎日数千・数万人の魚屋の店主が買出しに来ており、通路や道は、今の年末の時期のように人でごった返していて、築地の場内を数メートル進むだけでも、1時間以上待つこともざらにありました。

また、当時のお客様は魚に関する知識が豊富な方が多かったので、私自身せり場を周り学んでおりましたが、毎日行うお客様とのやり取りの中から、魚ごとに旬の時期はいつなのか、どの産地で獲れたものなのか等の知識や目利き力を養うことができました。

今の私があるのも、当時のそういったお客様のおかげだと思っております。

-当時の築地も今のように多種多様な水産物が集まる場所だったのでしょうか。

築地市場が開業された頃は、物流手段の主流は貨物列車でした。

それが私が働き始めた頃には飛行機やトラックに移り変わり、地方で獲れた魚が鮮度を保たれたまま届くようになりました。その影響で様々な魚を刺身で食べられるようになりました。

しかし、鮮度がいいからと言って地方で獲れた魚がすべて受け入れられてきた訳ではなく、中には「白子」など見た目が悪いだけで毛嫌いされる食材もあり、時代によって変遷がありました。

私自身そういった変遷を、実際に食べてみて、その上で、美味いものはお客様にお伝えし、反対に不味いものはお客様には勧めないようにしていました。

今考えると、今では当たり前のように美味しく食べている魚は、そうした仲卸の活動から少しずつ形成されていったのだと思います。

■築地で働いていて本当に良かった。

-仲卸をやっていて良かったこととは?

私の場合、魚を売ることより、毎日美味い魚が食べられることが一番良かったです。

”人って、美味いものを食べると自然と笑顔になるんですよ、

笑顔になるってことは幸せだと思うんですよ。”

そんな想いで、お客様にも自分が食べてみて美味いと思った魚しか提供しないようにしています。

また、お客様には楽しんで食事してほしいと思っていますし、仲卸という仕事を通して、そのお手伝いができることは本当に良かったと思っています。

-亀谷さんから見て、築地とはどんな場所ですか?

やっぱり人がいい。

仲卸が皆、同じ商売をしているライバルなんですが、秩序だったライバルであって、互いに仕事に対して意見交換もします、仕事を一歩離れると、同じ戦場で戦っている非常にいい仲間です。

築地には大きいお店もあれば、小さいお店もあります。

お店によって、取り扱っている食材もお客様の業態も千差万別で、それぞれのお店に買いに来るお客様は、信頼をしている仲卸の元で食材を買います。

“それが築地のカラーであり、人や魚の賑わいは変っても、

お客様と仲卸の関係は今も昔も変わらない、

それが築地という場所だと思います。”

亀谷さん、本日は本当にありがとうございました!

■インタビューを終えて

最後に笑みを浮かべながら、

”人って美味いものを食べると自然に笑顔になるんですよ、笑顔になるってことは幸せだと思うんですよ”

と亀谷さんの口から聞いた時に「仲卸」という仕事の本質を感じた瞬間でした。

亀谷さんのこの言葉には、築地は変われど、想いは昔も今もこれからも変わらないもので、

皆さんが食べる魚と美味しいと感じた時の笑顔は、亀谷さんのような想いをもった仲卸の支えがあるのだと思いました。

◎取材協力:㈱亀谷

聞き手・構成:吉永大祐

撮影:駒ヶ嶺良一

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