ブランドはメディアであり、メディアはブランドである

Kenji Sudo
Internet strategy 2 (tentative)
6 min readJan 13, 2016

この記事を読んでもらって、メディアを拡大解釈していて、ブランドとも置き換えて言えるよねという感想をいただいた。

僕はまさにそう思っていて、実は今までブランドというものが何なのか?

何を有難がっているのか?

僕にはなかなか理解できなかった。

お得意のwikipediaを参照してみると、このように書いている。

ブランド: brand)とは、あるサービスを、他の同カテゴリーの財やサービスと区別するためのあらゆる概念。当該財サービス(それらに関してのあらゆる情報発信点を含む)と消費者の接触点(タッチポイントまたはコンタクトポイント)で接する当該財サービスのあらゆる角度からの情報と、それらを伝達するメディア特性、消費者の経験、意思思想なども加味され、結果として消費者の中で当該財サービスに対して出来上がるイメージ総体。

それが現在のブランドの概念と言える。ブランドを冠して財やサービスを提供する側の意思を端的に表現するものとして、文字図形で具体的に表現された商標を使用することが多い。さらに狭義には、ファッション分野での高級品イメージのついた一部メーカー及び商品群を指す(「ブランド物」)。従来はマーケティングマーケティング・コミュニケーション)の世界の用語であったが、地域自体やその名称をブランドと考える「地域ブランド」も近年提唱されており、その概念は広がりを見せている。

そう、ここにも書いてあるけどいろんなタッチポイントから生まれるイメージの総体だと定義されてる。

僕が、メディアは人格を持っているというところのメディアをブランドに置き換えても通じるのである。

メディアは人格を持っており、キャラクターを持ち、話者として話す時に何らかのコンテキスト(文脈)を想起させる存在だと思っている。

ブランドは人格を持っており、キャラクターを持ち、消費者と接点を持つ時に何らかのコンテキスト(文脈)を想起させる存在

自分がメディアに携わってきたので、これならとても理解しやすい。

ある意味優れたブランドはメディアであり、優れたメディアはブランドであるのと一緒だと思う。

そう考えていくとブランディングというのは、キャラクターを構築していくためのすべての事業活動だと言えるし、タッチポイントから生まれる消費者が持つイメージをどう持って欲しいか?ということを見据えた事業の在り方と言ってもいい気がするんです。

逆を返すと、自分たちが何者であると信じているのか?という信念とか哲学に基づく行動がブランディングになるはずだし、それが企業やサービスのイメージの総体を形づくっていくとおもうんです。

それは、世間一般で言われているような小手先のブランディングではなく経営そのものだと言っても過言ではないんじゃないかなと僕自身は思っているんです。

あるべき姿よりもありたい姿

上記のように考えていくと今後のブランディングに対する姿勢というのが少し変わるかなと考えています。

どうやって見られたいか?どうあるべきか?という計算に基づくブランディングは、ソーシャルメディアですぐに拡散してしまう現代では全ての従業員の行動や発言を管理することが難しいのと同義で、管理することが困難になっています。

それよりも、自分たちがどうありたいか?どういう価値観を大切にしたいか?とありたい姿から発するメッセージ、行動、事業内容、デザイン、採用、育成など全ての事業活動がその価値観を中心にデザインされることがこれからのブランディングじゃないかと思うのです。

ビジョンやミッションや行動規範を明文化するという観念論的なブランディングで現実の事業活動を縛るのではなく、今自分たちが大切にしていること、すでに実行している事業活動からつくりあげていく唯物論的なアプローチでブランディングを考えないと、非常に難しい時代だと思っています。

何故ならば、間違いがあってもいいし、失敗してもいいのですが、嘘や建前を非常に厳しい目で見る世の中になっています。

どれだけ綺麗事を言っても、すぐに綺麗事だとバレてしまい、その時点でキャラクターづけされてしまいます。それを拭っていくことは、とてつもなく大変な覚悟と時間と費用がかかります。VWの事件を見ても、ベッキーの事件を見ても、この先何十年にもわたるイメージを払拭していくためにどれだけの労力がかかるか想像もできません。

今この瞬間に自分たちが大事にしている価値観の延長にブランディングを置かないとその構築は難しいと僕個人は思います。

摩擦こそブランド

そんな中で、創業者の果たす役割というのは非常に大きいと僕自身も創業者なので痛感します。

創業者は、事業の全て、従業員の全て、会社の全てを当たり前のように自分のことと思えます。

まあ、当たり前ですよね。

この執念にも似たこだわりや執着心、生き方とか愛みたいなものがブランドの根源になると思うんです。

しかるに、ブランドマネージャーはそのブランドにおける創業者と同じ役割を果たすものだと思いますし、メディアにおける編集長というのも同じような役割を求められると考えています。

その観点でいえば、ただ普通の価値観ではなく、どこかで世間一般の常識と摩擦を起こす瞬間、一見不謹慎だと思われたり、傍若無人だと思われたり、事件や伝説になっちゃうような世間との摩擦こそがそのブランドをより強固にしていくものじゃないかと思っていまして、それこそジョブズの異常なまでのプロダクトに対する執着心、本田宗一郎のレースにかける思い、シャネルの発言や行動こそがブランドとは何か?を現代の我々に教えてくれてるような気がするんです。

ブランドは摩擦を恐れない、むしろ摩擦の中にこそあると考えた方がいいんじゃないか?というのが僕の中のブランド論であり、それは決して薄っぺらいものではなく、骨太な生き方や哲学みたいなものからしか生まれない、残酷なくらいに本物と偽物を見分ける目が厳しい時代に我々は生きていると捉えた方がいいんじゃないかと思っているわけです。

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