「毎日ウィークリー」休刊によせて
毎日新聞社発行の週刊英語学習紙「毎日ウィークリー」が、12月末で休刊するとのこと。
正直言って、ものすごく寂しい。
私が編集者・記者として紙面制作に携わっていた3年間は、今までの社会人生活でもっとも忙しかった3年間で、アトピーやら顎関節症やらストレートネックやら自己免疫疾患やら次々にいろいろな病気にかかって、毎月の病院代がえぐいことになっていたけれども。
常に締め切りに追われていて、家族との旅行中も深夜ホテルの部屋でひとりゲラと向き合っているような、そんな日々だったけれども。
それでも辞めたいとは思わなかった。それだけ毎日いろんなことを吸収できて、それを読者に向けて発信して、とにかく刺激的で楽しくて。
最終的には、経済的、体調的な理由で辞めざるを得なくなったけれども、今でもあの日々のことは(それこそ使っていたDTPソフトのショーットカットキーまで)鮮明に思い出せるし、仮に「戻っておいで」と言われたら喜んでそうするだろうな(もちろん、子育てとの両立はどうするかという問題はあるのだけれども)という気持ちだった。
でも、休刊ということは、その願いはもうかなわないんだ、と。
あの頃の続きは、もう無いんだ、と。もう終わりなんだ、と。
休刊のニュースを聞いたときから、心がぽっかり空いたような、自分の一部を失ったような、「寂しい」という言葉では到底表現しきれない思いを抱えている。
そんな折に、今も連絡を取り続けている元同僚(先輩編集者)から、私の名前が紙面に登場した、というメッセージをもらった。
私がコンタクトを取り、連載を始めてもらったシンガポール在住のライターが、自身の最終コラムで、「Ayaという編集者から連絡をもらった」ことがきっかけで寄稿するようになった、と記してくれた、と。
それから気づけば5年が経っており、寄稿した原稿は50本近くにもなっていて、もっとも長く連載を続けているコラムニストのひとりになっていた、と記事には書かれていた。
実はそのライターからは、「いま、毎日ウィークリーの最終コラムを書いているんだけど」と11月初旬にメッセージをもらっていて。
「長く連載を続けたけれども、読者は私のコラムを楽しんでくれたようだ」、「私にとっても楽しい経験だった」と書いてあって、思わず目頭が熱くなった。
有り体に言うと、編集者冥利に尽きる、というか。
書き手が書いていて楽しい一方で、読者も読んでいて楽しいという、どちらにとってもウィンウィンな関係を築けた、双方の橋渡しができたのは本当に良かったと感じた。
編集者として過ごしたのはほんの3年間だったけれども、「毎日ウィークリー」の長い歴史(1972年創刊なので、今年で48年!)に短い期間ながらも貢献できたという誇りは一生持ち続けるだろうし、あのときに培ったさまざまな経験はこれからも生き続ける(事実、編集者として培ったスキルはいろんなシーンで役に立つと、身にしみて感じている。特に締め切りに追われるなかで自然と身についた、何が起こっても動じず、即座に状況を把握・分析して解決策を導き出そうとする冷静さ、とか。校了直前の書き直しとか、わりと普通にあったからなあ……)。
「休刊」ということだけれども、「終わり」ではなくて、媒体になんらかの形で携わった人の内部には、なんらかの形でその存在が残っていく。
そう信じている。
「毎日ウィークリー」、お世話になりました。
長い間、お疲れさまでした。