ジュンさんへ 2017年7月14日
朝弘佳央理
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佳央理さんへ 2017年7月26日

返信が遅くなってしまった。
42歳の誕生日を無事に迎えることができたよ。祝いのメッセージありがとう。

なんというか、今年の誕生日は僕にとってちょっと特別でこれまでになく嬉しい。父を亡くして40年がたち、そして父より10歳も年上になった。立派にはなってないけどとりあえず生きのびた。めでたい。

早くに父を亡くしたことは残念だけど、当時2歳だった僕には記憶がない。だから僕にとって父の不在は喪失ではなく、人生の前提条件。おかげで物心ついた頃から「死」を身近に感じることができた。

一緒に過ごした記憶もない人の人生をおもう意味はなんだろうね。僕にとっての「父」は記憶や感情を伴わないただの概念でしかなく、それゆえに「死」について終わりのない思索の根っこであり続けた。

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ちゅんのこと、佳央理さんがよく話をしてくれたし写真も見せてもらってたから、ぼくの心の中にもちゅんの居場所があるよ。会うことはなかったけど、もうむこうに行っているのだね。佳央理さんにとって特別な存在だったから、ちゅんの「死」が佳央理さんに与えた影響を思うと胸が痛む。

ちゅんの幼名は「からあげ」だったんだね。なんちゅう名前をつけるんだ、とつっこみたくなるけど、そういえば僕も昔飼っていたウサギに「テリーヌ」って名前をつけてたんだった。ウサギのテリーヌ。いたずらしたら食っちゃうぞ、という感じでつけた名前。

中学の時に瀕死の子猫を拾って飼ったことがあるんだけど、あまりにも体が弱いから長寿を祈って「じゅげむ」って名付けたことがあるのね。でもすぐ死んじゃった。

名前に意味をこめすぎると縁起が悪い気がして、それからはできるだけ雑な名前をつけることにしている。動物好きの家族だったから常にいろんな動物がいたんだけど、アヒルに「太郎」、リスザルにも「太郎」って名前をつけた。チワワには小さいから「しょう」とか、目がでかいから「ミル」とか、できるだけ意味がない名前にしてた。

今いるチロリとちょこは、漢字で書くと「銚釐」と「猪口」。お酒を温める酒燗器のチロリと、温まった酒を口に運んでくれる酒器のちょこ。ちょっと意味をこめてしまった。ジンクスを破って長生きしてくれるといいんだけど。

フェレットはちゅんと逆で、もう野生で生きることができない動物なんだよ。繁殖力がとてもつよくて生態系に悪影響を及ぼしかねないってことで、日本にいるフェレットは基本的に避妊・去勢されている。国によっては飼うことも禁止されてたりもする。

フェレットは狩猟や実験用や毛皮用としての歴史が長いんだけど、日本ではほぼペットとしてのみ存在している。愛されるためだけに生まれて、生きて、死ぬだけ。人間のエゴのために存在させられている。愛のグロテスクさを感じてしまうよ。僕の「愛の的」として死ぬまで閉じ込めてしまっているこのこたちに、申し訳ない気持ちになることがある。

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東京では7月にお盆を行うところが多いみたいだね。全国的には珍しい。だいたい7月でも8月でも15日あたりがお盆ってことなんだけど、農業などの関係で十日くらい前後する地域もあるらしい。そもそも7月でも8月でも、仏教の行事をキリスト由来の暦で行うのは変な気がする。死んだ人が帰ってくるタイミングを、生きている人間の仕事の都合とかで変えちゃっていいんだろうか。時代とともに変化していいこととダメなことがあるんじゃないかな。

お盆はインドで生まれた仏教が元々だけど、中国を経由して日本の風習と混ざるうちに、いろんなバリエーションが生まれた。僕の出身の広島では、お墓に供える盆灯籠がとてもカラフルなんだよ。お祭りの飾りみたい。

死後の世界に対する考え方の違いなんだろうか。

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お葬式って僕の解釈だと、のこされた人が死んだ人が本当に死んでるかを確認する集いなんだと思う。

式の前に棺の窓を開けて、縁あった人たちが死に顔をみるのね。その顔を見て、「眠ってるみたい」とか「こんな姿になっちゃって」とか、好き勝手なことを言う。

それから読経やら儀式やらがあって棺のフタを閉める。地域によってはそのフタを釘で打ち付けて二度と甦らないようにするんだよ(逆にふたをずらしていつでも帰ってこられるようにすることもある)。

で、火葬して骨を骨壺にいれる。骨壺に入った骨はしばらくの間は熱を保っていて、骨壺とそれをおさめた木箱を伝ってほんのり温かい。これがちょうど人の体温くらいなの。骨壷を抱いていると、ふと生き返った錯覚におちいりそうになる。そして徐々に冷えていくのを感じることでまた死を実感する。

四十九日を過ぎたら骨壺を穴の中に入れて甦らないように石でフタをする、これがお墓。

あの手この手でその人が死んだことを何度も体感することで、少しずつ死を受け入れていくんだと思う。そのためになんども死と生を繰り返させる。

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イラストレイターの寄藤文平(よりふじぶんぺい)さんってわかるかな。「大人たばこ養成講座」とか「家でやろう」シリーズの人。寄藤さんの著作に「死にカタログ」というのがあるのね。寄藤さんが子供の頃から考えてきた死についてのことが書かれている。とても興味深い。

この本で紹介されているいろんな時代や地域の「死のとらえ方」を引用してみる。

+ 霊になる・魂がぬける [全世界]
+ 地底世界に行く [古代日本・五行思想]
+ パラレルワールドへいく [日本・アイヌ民族]
+ ほどける(四大分離) [仏教]
+ 戦場へ行く [古代北欧・バイキング]
+ 近所の島に行く [パプアニューギニア・トロブリアント諸島]
+ 死者の国で待つ [古代エジプト]
+ いなかったことになる [ジプシー]
+ 輪廻する [インドほか各国]
+ 鳥に乗って天国に行く [チベット密教]
+ 太陽に行く [オセアニア]
+ 一瞬、お別れをする [イスラム教]
+ 死に神に魂を吸いとられる [各地宗教]
+ 変わらない [フィリピン・マノボー族]
+ コオロギになる [フィリピン・スーロッド族]
+ ハエになる [フランス・ブルターニュ民間信仰]
+ チョウになる [アイルランド民間信仰]
+ 鳥になる [スラブ民間信仰]
+ 悪霊になる [ヒンズー教・仏教など]
+ 生けにえになる [古代各地]
+ キョンシーになる [中国道教]
+ 地獄に堕ちる[日本]
+ 栄養になる [自然科学]
+ 肥料になる [スウェーデン]
+ アクセサリーやダイヤモンドになる [日本・スイス]
+ 流れ星になる [アメリカ・宇宙葬]
+ 未来へいく [アメリカ]
+ 人の体になる [現代医学]
+ 乗り換える [現代生物学]

「キョンシーになる」で笑ってしまう。
個人的には「いなかったことになる」と「変わらない」が興味をそそられる。

解説抜きで列挙したからこれだけじゃわかりにくいね。とにかく、死のとらえ方がこんなにも多様であることがなんだか楽しい。

でもこれは、「死」そのものよりも「死後の世界」についてだよね。

死んで戻ってきた人はあんまりいない。だからほんとのところはわからない。生きている人が自由に想像力を働かせてこしらえたものでしかない。

死後の世界のバリエーションがこれほどまでに多様なのは、のこされた人の祈りと怖れ・畏れが関係しているんだとおもう。

とても大切な人やあまりに早く死んでしまった人が、せめて死んだあとは安楽で過ごせますように、という祈り。死んだ人に後ろめたいことをした人が復讐されることを心配するおそれ。
どっちにしても残された人の都合なんだよね。

自分が死んだらふわふわとそのへんをただよって知り合いにイタズラしたい。それができないならまったくの無になるのも悪くない。

家族や大切な存在は、死後の世界でご機嫌に暮らしていてほしい。

死んだあとの世界のことを考えるのは答えを確かめられないところがいい。宝くじが当たったらどうする?、みたいに夢がある。

死後の世界がどういうものであるにせよ、死に伴う苦痛はできるだけ少ないのがいい。僕はそればかりを祈っている。

そうそう、酒を解禁したんだよ。おととしの年末にやった検査以来ずっと節酒してたんだけど、けっきょくγ-GTPの値が改善されなかった。だからもう気にしないことにした。長生きはしたいけど酒のない人生も味気ないからね。といっても前のようにたくさんは飲まない(たぶん)。誰かと飲むときと楽しいことがあったときだけにする。

佳央理さんがワインをおごってくれるのか。それは楽しみだ。最近話題のイタリアンレストランでおごってもらおうかな。ミラノ風ドリアが名物の店。生ハムもおいしいんだよ。

チロリの調子は良くなったり悪くなったり。こうやって心の準備をさせてくれているのかもしれない。このごろは、ちょっとした表情の変化でなにを欲しているのかがわかるようになってきた。この時間を愛おしくおもう。

またね。
おたがい死ぬまではすこやかにすごそう。

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