ジュンさんへ 2017年8月13日
朝弘佳央理
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佳央理さんへ 2017年8月30日

今年の東京はなんだか変なんだよ。
8月に入ってずっと雨がふってた。

お盆明けくらいからようやく夏らしさが戻ってきたけど、今日はまた雨。ちょっと肌寒いくらい。

暑いのは苦手だけど、やっぱり夏は夏らしいのがいい。
野菜が高くて困る。もやしばかり食べている。

農家さんは大変だろう。
友達が酒造りの仕事をしてるけど、きっとこの冬の造りは苦労することになりそう。

*

『アパートメント』のことを書いていたんだけど、気がついたら6000文字を超えてた。

ライターさんのこと、サイトの見づらさのこと、コンセプトのこと。
書き始めたら言いたいことがありすぎて、収拾がつかなくなった。
長すぎるし、なにより内容が適切ではないと気がついて、結局ボツにすることにした。

考えたら、ぼくは偉そうに口をはさむ立場じゃないんだよね。

『アパートメント』は前身である『いとでんわ』を佳央理さんとぼくが二人で立ち上げた、ということがあるから、なんだか『アパートメント』もどこかで関係者であるかのように勘違いしていたのかもしれない。よけいなおせっかいだった。

ぼくが言いたいようなことは佳央理さんがとっくに考えていることだろうから、わざわざ念押しすることはないね。

『アパートメント』は老朽化してあちこちガタがでているようにみえる。メンテナンスをするのか、移築するのか、いっそ取り壊して新しい形で再スタートを切るのか。いずれにせよ見守っている。

*

さて、なにを書こう。
ずいぶん返信が遅くなってしまっている。

そうだな、2011年に『いとでんわ』プロジェクトを立ち上げたときのことでも思い出してみる。

ぼくは『いとでんわ』という名前が気に入ってた。
『いとでんわ』という言葉からは、親密であたたかいイメージを感じる。

紙コップと糸でつくったリアル”糸電話”で会話するためには、常に一定の距離を保たなければいけない。
遠ざかると糸が切れちゃうし、近づきすぎても声は届かない。
ピンと張った糸を伝って相手の声が耳元でささやく。

相手が話すときは静かに耳をかたむけ、自分が話すとき相手は聞いてくれる。互いを尊重したダイアローグの理想を表す、素敵なネーミングだよね。

だから、『いとでんわ』を継いで再スタートをきったウェブマガジンのタイトルが『アパートメント』だと知ったとき、正直ちょっとがっかりしてしまったんだよ。

そこに住んでいる住人たちは親密なのかもしれない。
壁のむこうから楽しそうな声がする。
その声は外の世界にも漏れ聞こえてくるけど、輪に入ることができるのは住人だけ。
住人になれるのは管理人のお眼鏡にかなった人たち。

アパートメントという言葉からは、そんな内側に閉じた印象を受ける。
おっと、やっぱりアパートメントのことをかきそうになった。

*

ここ数年、世界はほんとに変わってしまった。
ひとことで言うと、空気がよどんでいる。

内と外のあいだに壁を築き、内側にまぎれこんでいる外側人を追い出そうとやっきになっている人が増えた。
内側人のあいだでも、より純粋な内側性を持っていることを証明できない人は非内側人として糾弾・排除される。
歴史をねじ曲げ、『自分たち』の利益をすべてに優先させる人たち。
その口は『自分たち』のあいだでしか通用しない言説をふりまくか、敵を攻撃することに使われる。
良識ある人もだんだんと疲弊し、口をつぐむか、『自分たち』で小さなコミューンをつくる。

いま必要なのは、糸電話的コミュニケーションの場だと思う。

「もう、表現者が表現のための表現をやるような牧歌的な時代ではなくなった」。
311の後、佳央理さんとの会話の中でぼくがたびたび口にした言葉。
今もその考えには変わりがない。

世界は混乱期に入っている。
この時代になにを表現しなければいけないのか。

*

これは日本特有の現象かもしれないけど、いつの頃からか、内省的で自己愛撫的な表現や、ナルシスティックな『自分探し私小説』的な表現が続いている。
もはやひとつの『ジャンル』だ。

こういう流れが起こったのは、バブル崩壊後もそこそこ景気がよく平和で、かつ国家的な新しい目標を見いだせてないからなんだと感じている。

震災があったあの頃、世界にはまだ希望があった。

" 頼りないけど新しい政権与党に期待してみよう。「コンクリートから人へ」『国民の生活が第一』。官僚主導の政治が終わる。対米従属から卒業できるかもしれない。
アメリカ初の黒人大統領は多様性とフェアネスを重んじる人。核兵器を減らし、イラクからは撤退すると宣言した。We can change!
中東やアフリカでは名もなき人たちの連帯によって民主化が平和的に進んでいるようだ。
SNSによって誰もがつながることができ、全く新しいイノベーションが起き始めている。 "

こんなことがメディアで言われていたし、ぼくもそれを鵜呑みにしていた。いま、どんな希望が残っているだろう。

たとえばマスメディアが空騒ぎしているオリンピック、どれくらいの人が今でも待ち望んでいるのか。

裏金や利益供与、コネ、くり返される政治家の嘘、ドーピング、国威発揚、ブラック労働、環境破壊、ホームレス排除、置き去りにされる被災地、首相のあからさまな政治利用、都知事はポピュリストでレイシスト…。

東京に決まらなければよかったのに、と頭をよぎるけど、開催地の最終選考に残ったのは東京のほかにトルコとスペインだった。どっちもオリンピックを安心して開催できる状況ではなくなった。

結局、どこに決まっていたとしても、開催は危ぶまれることになっただろうね。商業オリンピックはその役目を終えたことがはっきりしてきたのかもしれない。

平和の祭典の『平和』ってなんだろう。平和は祝えばいいのか、願えばいいのか、それとも懐かしめばいいのか。

*

自分の内側を外側の人に理解してもらおうと、もじもじつぶやくような表現は、この混乱した時代にピントがあっていない気がする。

いつまでも受け身でいていいわけがない。
マスコミや政府の言うことを鵜呑みにする人、小さな瑕疵をみつけては鬼の首を取ったようにあげつらう人、どちらも世界に対して受け身の姿勢であることには変わりない。

なにができるか。なにをすべきか。

*

そういえば、ぼくと佳央理さんが仲良くなったきっかけは、2010年1月にやった『あわせ鏡』展だったね。

『あわせ鏡』は、ぼくが企画して佳央理さんをふくむ3人の人にツイッターで声をかけて開催した、写真作品の四人展。

約一年かけてなんどもなんどもミーティングを重ねて、コンセプトを練り上げていった。その過程で新作を見せ合って、その刺激を持ち帰って次の作品に反映させる。

それをくり返してゆっくりと作品の質を高めていった。
いい時間だった。

あの写真展のDMに使った文章を引っ張り出してみる。

自分は他者の鏡であり
他者は自分の鏡である
誰かに光をぶつければ
相手は即座に反射する
反射しあうことによって増幅される
表と裏の自己イメージ 過去の記憶
鏡の前に立ち自分の姿を映す勇気があれば
新たな自分を見つけることができるだろう
4人というあわせ鏡
向きあう限り続く果ての無い反射は
終りの見えないらせん階段のようだ

なつかしい。
いま読むと恥ずかしいような気もするけど、コンセプトとしてそんなに悪くない。

相手の存在によって自分が変化することを歓迎する関係性。自分と他者は不可分で、他者の存在によって自分の輪郭が立ち上がる。

『あわせ鏡』的関係性と『いとでんわ』的コミュニケーション。
まどろっこしいけど、丁寧な対話の場をつくらなければいけないと感じている。

*

また嫌なニュースがあった。
マスコミやSNSでは、不安や怒り・冷笑が飛び交い、マウンティングをし合っている。いつもの光景。

嫌な出来事が増えたのか、ぼくがそういうニュースを選んでいるのか。
たのしくなるような話もしたい。

いま、机の上には人工知能の本が何冊が並んでいる。注文していたのが届いたばかりでまだ読み始めていない。
こんど人工知能についてナママスで詳しい人に教えてもらうんだけど、にわかな勉強を始めたところ。

人工知能は思考実験のネタとしておもしろいよ。
これから人工知能が発達することによって、なにが変わるのか。
仕事や生活だけじゃなくて、政治システムや貨幣経済のかたちも変わるかもしれない。ぼくたちの思想にも大きく影響があるはず。きっとコミュニケーションのあり方も変わる。そんなことを考えていると、怖いような気もするし、ワクワクもする。
勉強して、腹に落ちたら今度書く。

朝晩は秋の風を感じるようになった。
季節の変わり目、体調をくずさないようにね。

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