約物(やくもの)から見える作家の個性

Ray Yamazaki
6 min readMar 2, 2016

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作家によって句読点や疑問符の数はこんなに違う

By Adam J Calhoun

コーマック・マッカーシーの『ブラッド・メリディアン』の約物(左)とウィリアム・フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』の約物(右)

私たちが小説や新聞そしてブログを読むとき、意識は大抵「言葉」に向けられます。言葉と言葉の間にさりげなく挟み込まれた小さな存在、すなわち「約物」(句読点・疑問符・ 括弧・アクセントなど言語の記述に使用する記述記号類の総称)のことはほとんど気にも留められません。でも、約物は文章を書くに当たって大切な要素なのですから、そんなに冷淡にならず見つめ直してみましょう。

このポスターのシリーズに触発されたことがきっかけで、私は自分の大好きな本から言葉が消えて約物だけになったらどんな風に見えるのか興味を持ちました。あなたは上の2つを見分けることができますか?それとも両方とも同じに見えますか?実を言うとこの2つはかなり異なっています。右側にある私の生涯における伴侶とも言うべきウィリアム・フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』を見てください。かなり「かっこ」が多いのが分かりますね。シンプルなコーマック・マッカーシーの『ブラッド・メリディアン』の隣に並べてみると、この2つがまるっきり異なるのが分かるはずです。

ええ、この2作品のコントラストは強烈ですね。でも同時に文章記号が大胆に散りばめられている様子は美しくもあります。整然と並んだピリオドやダッシュを見てください。まるでモールス信号のような並びは意味がないようでいて、実はそこに様々な意味が散りばめられていることが分かります。例えば、こんな風です。短い文、描写、さらに短い描写、アクション、アクション、アクション。

もっと見たいですか?私のブログには何冊かの本を元にしたポスターを載せていますし、こちらからも無料で利用できます。『高慢と偏見』の約物を全てプリントアウトして壁に飾るのなんてどうですか?

前述したようにこの2つの小説の違いは明確で分かりやすいですので、次にそれぞれの記号がどの程度頻繁に使われているのかを見てみましょう。

『ブラッド・メリディアン』は複数の短い文から成り立っています。疑問文はおそらく1つか2つでしょう。文に次ぐ文といった印象ですね。でも『アブサロム、アブサロム!』はもっと楽しませてくれます。登場人物の語り、その中の語り、そしてその中の語りといった調子で。誰もがこのような展開を好きなはずです。

次にお見せするのは他の何冊かの比較です。『武器よさらば』が過去の諸作品とどれほど異なっているのか気づきましたか?ほとんどカンマは見当たりません。文と会話だけです。当時どれほど文調が新鮮だったことでしょう。また、『ブラッド・メリディアン』は他と比べても質実剛健で緩さがない様子が分かりますね。注意して見るとセミコロンが文章から消え去っているようです。

約物は次の言葉への場所をどんどん作って言葉を繋いでいく役割があるだけではありません。言葉と言葉を切り離していく役割もあります。作家の中には明らかに長ったらしい文を好む人もいます。例えば、ウィリアム・フォークナーがあなたの1文の短さを見れば「どうしようもなく酷い文章だ」とこき下ろすでしょう。

でも、こういった作家たちの文は、短めの「節」を巧く活用しています。だからフォークナーの作品は実際他の作家の作品と比較してもそれ程全体構造を意識しているとは言えないかもしれません。

では今度は視点を変えて、ヘミングウェイとマッカーシーの違いを見てみましょう。上のグラフを見ると2人の違いは引用符を使うか否かにあるようです。温かみのある丸みを帯びた引用符が文から消えれば、読者は言葉と言葉の間がより広くなったように感じるでしょう。

「小説は作家が選ぶ『言葉』によって輝く」と言えますが、見方を変えれば「小説は作家が選ぶ『約物』によって輝く」とも言えそうです。

アップデート:ブライアンB.の提案で、私は各作品の約物の分布をヒートマップにしてみました。ピリオドと疑問符、感嘆符は赤色でカンマと引用符は緑色です。セミコロンとコロンは青色です。特にこれ以上のコメントは挟まずに下に資料だけを載せて終わりたいと思います。

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