「当たり前」は当たり前ではない

私たちの生活で、イライラさせるもの、思い通りにいかないもの、失敗すること、自信をなくすことはいくつかあるかもしれません。

自分に何かがないと感じた時は、必要以上にないものに目が向きすぎていることがあります。今ある沢山のものに目を向けてみましょう。自分がいかに沢山のものを持っているかに気付き、それらは当たり前でないことに気が付くでしょう。

例えばこの文章を見ている人には人権があると思います。人権がない地域も悲しいことに未だにあります。

私たちが水道の蛇口をひねればすぐ出てくる綺麗な水を、生涯、一度も見ることもなく亡くなっていく子供がいます。明日住む場所があり、明日の食料がない心配をしなくて済むのは、とても幸せなことです。

私たちは自分の意思で結婚相手を選ぶことができます。しかしそれができない人は世界に沢山います。

家族や友達がいるのも当たり前ではありません。災害や事故などで突然かけがえのない人を失うことだってあるし、空爆やテロで失う人々もいます。

美しい景色を見られる目があり、心躍る音楽を聴くことができる耳があり、素敵な場所へ行くことのできる足があり、生き物を慈しむことができる腕があり、明日をよりよくするための頭があります。

ある人が生まれ持っている至極当たり前のものを、命や生涯をかけてやっと手にする人もいます。

もし今自分が当たり前だと思っているものがあるとすれば、それは当たり前ではありません。

人は「ある」ものより「ない」ものに目を向けがちです。「ない」ものを見出すと止まりません。いくら全てを手にしているように見える人でも、その立場の上でまだ欲しいものがあるはずです。

人権があり、美味しい水が飲め、日常生活を送ることができるのは、とても幸運なことだと思うのです。


自分が幸運だと思うのであれば、感謝し、それを無駄にしないようにしたいものです。毎日がつまらない、こんな生活送っていてもしょうがないなんて思いながら生きるのは、非常に勿体無いことです。

また、恵まれない人々に多大な寄付をしたり、現地へ赴いたり、実際に行動することはとても素晴らしいですし、尊敬に値します。ですが、すべての人が大きなアクションを取ることが出来ずに、自分には何も出来ないと無力感を覚えることがあるかもしれません。しかし、そう思ったところで現実は何も変わらないでしょう。今後誰かの力になれるよう、今に集中することも、立派な「出来ること」ではないでしょうか。

東北・熊本で被災された方は大変な思いを強いられていると思います。自粛したりマイナスな空気になるよりも、可能な範囲で出来ることをし、現地の人々の平穏な日々の回復を祈り、自分の今に集中するほうがよほどプラスな空気を持つと思います。同じ日本という国に住む者として、一刻も早い復興を願っています。


私たちがもし「当たり前」だと感じているものがあれば、本当はそうではないということに目を向けてみましょう。「当たり前」など何もないのだと改めて感じることによって、身近なものに感謝し、今を大切にすることが出来るようになる気がします。