早稲田大学の水泳部、1910(明治43)

なぜ、僕らは文武両道を守るべきか?

日本に留学したときに日本人のホストマザーとの喧嘩の原因の一つは運動でした。明確に言えば、文武両道を守っていなかったことに対して怒られました。

当時、僕は合気道をやっていました。中学時代からフランスで始めた武道で、日本に在留した間にも続けていました。しかし、あまりも真剣ではなくて、「とりあえず週に一回行けばいいや」と思って、所属していた合気道のクラブによって定期的に実施されていた特別な練習をいつも欠席していました。ある日、日本語の試験に向けて合気道の練習に行かないと決めたため、ホストマザーに怒られてしまいました。

外国人だからこの問題に対しての感覚が違うし、試験に向けて勉強するために別に1回だけ練習を休んでもいいのでは?と思いました。

大変間違えました。

文武両道とは?由来の意味と現代における文武両道

文武両道という四字熟語の意味は次のようです(大修館 四字熟語辞典より):

【意味】学問と武術の両方の道で、すぐれた能力を持っていること。

ご存知だと思いますが、念のために漢字の意味を書きます:

  • 「文」(ぶん)は学問のこと
  • 「武」(ぶ)は武芸
  • 「両道」(りょうどう)は、二つの道

『大辞泉』によって、「文」という字は主に意味4つがあるそうです:

  • 文字で書かれたまとまった文連の言葉。文章、詩文
  • 文法上の言語単位の文
  • 学芸。学問。文事
  • 外見を美しくするための飾り。あや。もよう(← 模様は「文」という字の由来だそうです)

そして、対義語は「武」と書かれてあります。

「武」の意味を見てみましょう(『大辞泉』から引用):

  • 戦いに関するわざ・力。武芸。兵法。戦力。兵力
  • 勇ましいこと。武勇

辞典は語の本義と現代の用法を教えてくれましたが、いっそう深くその意味を調べたいと思います。

「武芸の直接の目的は、戦場の使、日常の使にあるが、究極の目的は、武徳の涵養(かんよう)にある。すなわち武芸により、心身を統治することである」〈貝原益軒〉

7年間合気道をやってきた僕は武術における「武」の意味をとらえたいのですが、その前に「武」という漢字を分解すれば由来がわかるのではないかと考えました。

藤堂明保の『漢字語源辞典』(学灯社)によって、「武」という漢字は部首の「止」+「戈」からできています。「戈」(ほこ)という字は両刃の剣に柄をつけた武器を意味しています。日本で、和訓の「矛」という字が与えられているそうです。

そして部首字の「止」は足跡の象形を表しているそうです。意外ではありますが、本来は現代の意味と正反対であり、「歩く」または「進む」という意味を持っていたそうです。

ですから、「武」は「矛を持って進む」(攻撃)と「矛を止める」(防衛)という二つの説があると思われます。

但し、「止」の本来の意味がいつの間に反対の意味になったのか分かりませんので、当時上記の両方の説が存在したとは、はっきり言えません。詳しい人がいらっしゃったら是非教えていただきたいです。

語源解釈にこだわるのは個人的な話ですが、合気道の先生方は武道の本質が争いを止める役割である(合気道には試合というものが存在しないのです)と教えて下さりました。

その理由は『春秋左氏伝(宣公十ニ年)』にあるそうです。楚の荘王が敵の死体を積み上げて、「戈を止めるのが『武』ではないか」という話があります。更に、「すなわち干や戈を収め、弓や矢を袋に入れて用いず、美しい徳を求めて王者として天下を保つこと」は武士の役割であるといいます。

漢字は面白いですね。しかし、本題に戻りましょう。

文武両道という四字熟語は学問の道と武芸との2つの道を両方に秀でることをさしますが、別の言い方はないのでしょうか。その答えはPHP研究所で見つけました。松下幸之助の『日本の伝統精神 日本と日本人について』には次のような解説があります:

文武両道が本来の姿 〔文武両道〕を政治の面でいえば、いわゆる文官と武官との二つの姿をあらわすものとも考えられます。さらには、文は徳行であり、武は武力だともいえましょう。ですから、文武両道ということは基本的にはつねに徳行政治を行っていくが、その徳行政治が妨げられる場合には、それを守るために武力が用いられるという姿でしょう。
この文武両道ということばをみてみますと、“文武” であって “武文” ではありません。つまり主となるのは文であって、武はそれを守るものだといえましょう。そのように、文を主におき、武を従とするというところに日本の伝統があり、それが文武ということばにあらわれているのだと考えられます。
現に奈良時代や平安時代においては、政治は、天皇を中心とする朝廷において、文官である公家によって行われました。そして武官である武士たちは昇殿を許されていなかったわけです。つまり武士は政治の場から遠ざけられ、もっぱら警護することのみに専念させられていたのです。いいかえれば “文武” であり、“武文” ではないわけです。
このように、文官だけによって政治が行なわれ、武官、軍人が政治に近づくのを許さなかったことは、日本の一つの好ましい伝統であり、そしてその根底には和を貴ぶ平和愛好の精神があるのだと思うのです。[…]
そして江戸時代には、武士である徳川家が天下をとり、政治の中心になりました。ところが、それでは、そういう武家政治の時代だから文武ということばはやめてしまって “武文” にしたかというとそうではありません。やはり従来どおり文武両道といっていたわけです。そして徳川幕府の政治は武力による政治というより、むしろ反対に学問をきわめ、人問哲学ともいうべきものに立って政治を進めなければならないと考えられていたようです。
つまり、力によって天下をとったにしても、その後の政治は文をもって行なったわけです。すなわち、文を主においた文武両道という、和を貴ぶ本来の伝統にのっとった姿だとも考えられましょう。」
誰でも知っている可愛いおじいちゃん、松下幸之助

松下幸之助は日本人が “文武” を守るべきであり、日本人の伝統に反した姿(“武文”)は太平洋戦争のような惨事の原因の一つであると言っています。また、徳行である文を守るために武力である武が必要だと言っています。文事と武事、実は密接な関係がありますね。論拠が異なっても、結論的に松下幸之助は楚の荘王の「美しい徳を求めて天下を保つ」にかないます。

求めて守るべき徳について書きたいと思いますが、この議論のテーマから逸脱してしまうので、また別の記事で詳しく書かせていただきます。


さて、由来の意味をとらえたと思いますので、早速に現代の用法を見てみましょう!

もう一度大修館 四字熟語辞典を引いてみましょう:

【用法】現代では、勉強とスポーツの両方ですぐれていることを表すのに用いられる。

つまり、人間性においてバランスがとれる生活を送ることですね。

ユウェナリス

因みに、現代の意味ならば、西洋文明にも似たような決まり文句があります。それはラテン語の “mens sana in corpore sano”(健全な精神は健全な身体に宿る)です。この言葉も、由来の意味と現代の意味が異なりますが、現代用法が日本の文武両道と一緒の意味であることに気づいて面白いと思いました。

近年の日本、文武両道といえば、中学生ですよね。中学生の頃、勉強と部活動、どちらも忙しいのは確かです。高校、そして大学を目指してスポーツを続けるのは現代でいう文武両道でしょう。どの学業でも、どのスポーツでも、両立させる意は昔から継続しています。在学中に文武両道を目指すことで、より秀でるでしょう。一方、学校における文武両道はスポーツと勉強の要素を突き合わせるだけで、視野が狭いです。前段で述べた通り、「文」と「武」を考察して、自分の成長のために、広い視野を持つように心がけましょう。

文武両道、本来の意味を復活して、それを守るべき

いつの間に文武両道が平凡になったか、僕も分かりませんが、受験戦争に対してのプレッシャーが激しくなったときの影響なのではないかと考えられます。

現在、人生は暮らしやすいし、受験のみを考えれば、勉強がよければよいほどなんとかなると思う方が多いでしょう。社会に立派な成績を収めると期待されることで勉強を優先させることも当然です。

しかし、勉強が完璧なのに社交性がなくて、社会に出ても上手くいかない人には誰でも一回会ったことがあるでしょう。

彼らは文武両道を頑張っていないからこんな人になったということは言い切れませんが、原因の一つなのではないかと思います。

一方で、「文武両道」は「人」を作り上げるともいえましょう。

では、どう作り上げるか、早速見てみましょう。まず、学校でおける文武両道を目指す生徒・学生が何を身につけるか、見てみましょう。そして次に、社会でおける文武両道と社会人が学び得られることを見てみましょう。

就学と文武両道

須崎短縮マラソン(中学生の部)

近年、受験戦争の影響で、自分の子供に対して心配している両親は急増しています。「部活に入ると勉強する時間が減ってしまうので、入らない方がいいでしょう。」

受験・入学のことを考えると、その心配は分かります。しかし、生徒・学生という一時期を一緒に考えてみましょう。

生徒・学生生活は短いです。しかし、人生の重要な時期ではあります。この時期に、色んなことに挑むことを自ら感じてほしいです。やる気で、素直に、誠実に、前向きに。文武両道をもっていたら、不況の中でも、道をひらけるでしょう。勉強でしか学べないことがあって、スポーツでしか学べないこともあります。そして、その二つには密接な関係があるのです。

違うアクティビティーなのに、両道を目指すことでしか求められないスキルもあります:

  • 集中力を鍛える
    どちらかでも優秀な人になるために、集中力が必要です。勉強とスポーツは集中力のアプローチが異なって、両方を支配できるとより良い人になれるでしょう。
  • 志気を高める
    生徒に将来は何になりたい?と聞けば、知らない人がほとんどです。あるいはほっといてもらうために簡単な答えを挙げます(笑)ようは、若い時はどんな道に歩むかは想像もつきませんが、志気を養う人はより高い目標を立てて、達成できるでしょう。
  • モチベーションを高める
    勉強とスポーツは必ずしもどちらかで成績が良いわけではありません。しかし、どちらかで成績が上がると、モチベーションが上がり、片方も刺激されて成績が上がる可能性があるでしょう。
  • 時間を効率的に活用するようになる
    「部活により時間が取れない」という親の悩みは聞いたことがあるでしょう。もしくは言ったことがあります。しかし、1年生や2年生はまだ若くて自己管理が厳しいですが、時間をおいて、自分に合うやり方をだんだん学んでいくでしょう。3年生まで両立した子の方が効率的な勉強をすることができます。
  • 不屈の力を鍛える
    快適な世の中に生きている我々は人生の難関な出来事に弱いです。発想力、ポジティブ感、精神・エネルギの欠如は快適すぎる生活にほかにありません。やりたい身体活動を楽しみ、不可欠な身体活動に耐えることを幼い時から学ぶことが大切です。(これは多分一番大事なスキルだと思います。詳細は下記です。)

もし、貴方が生徒・学生、または生徒・学生の親でいたら、ぜひ以上の点を覚えてほしいです。視野を広く、目の前にある目的だけではなくて、その次の目的と、その次の次を考えてほしいです。

「文武両道、何やら彼やらに達した人は、幼時青年時に於いても」〈幸田露伴『武田信玄』〉

学校に通うということは大雑把に幅広いスキルを身につけて社会を貢献するための“研修”と思えば、上述の点は覚えておきたいです。

しかし、社会にでたら文武両道は上述のことだけではなくなります。大人にとって、社会人も文武両道に従うべきです。その理由を知りたい生徒、学生、社会人、ぜひ下記を読んでほしいです。

就職と文武両道

社会人でいれば、文は仕事の面で、武はよく脱落されている体を丈夫にしたり、スポーツなどで健康を鍛えることと思う人が多いでしょう。これは決して勘違いではありませんが、贅沢な暮らしを送ってきた影響です。昔、体を丈夫にすることはどうしても避けられないことであったから。もちろん、健康のためにこの概念は現在でも正しいです。

前段で、松下幸之助と楚の荘王の言葉をもとにして、文武両道の本質と結論しました。その結論を実践しようとする人にどんなアドバイスすればいいか、答えてみたいです。

これからは主に僕の意見です。共感しない人もいると思いますが、ぜひコメントでなぜ納得いかないを教えていただければと思います。

「文武両道もっていたら、鬼に金棒ということになるんです。」〈松下幸之助〉

松本幸之助が書いた通り、文が先で、武が下です。文を守るために武が存在しています。反対ではありません。日本史を見ていると、その長き間で、日本人はこれを意識しながら日本を支えました。

文武両道は人生という旅に対して誠の勇気を出すことである。

  • 人の助けになるため、自分の身を危険にさらす勇気。
  • 事例のない新たなアイディアを生み出して、周りからの酷評に耐える勇気。
  • 自分の損害の原因となっても、自分の道徳と信念を守るために冷笑を乗り越え、不正に立ち向かう勇気。
  • 最後に、何ものにも失敗を恐れない勇気。
「昭和の剣聖」高野佐三郎

僕は人生の目標は遺産を残すことだと思います。霊魂の不滅はそこにあるからです。人生は小さい喜びで構成されていますが、幸福な一生を送る方法は汗をかき死後の遺産を自分の手で作り上げることです。

「遺産」とはなんでも。財産、製品、芸術、技術、子孫、知識、知恵・・・・なんでも。

殆どみんなは作り上げたいことや、残したいことや、全般的に達成したいことがあるのに、傷ついたり恥をかいたりするリスクを冒すとモチベーションが低下します。

文武両道をその面でいえば、文は遺産であり、武は動機付けである。

アイディアを生み出すことは誰でもできることですが、安全地帯から外に出ていく人は少ないです。傷つく恐れがあるかもしれません。無視されたり、笑われたりする恥ずかしい思いをするかもしれません。

以上の恐怖を克服する意気地がある男だけは最大限に生きています。

安全地帯から外に出るために、必要となる勇気は文武両道の教訓から得られるのではないかと思います。

男よ、勇気を出そう

勇気を出すことは一夜のうちにできることではありません。簡単な決定を始めに、だんだんに重要な決定へ。自分で決めた人生の目標や自分の幸福を妨害する恐怖を特定して、なくす方法を探しましょう。「嫌なことだからやらない!」と自分を納得させたけれども、実はやることが怖いから毎日翌日延ばしにすると覚えていてください。とにかくやれ!恐怖を次々に乗り越えて、勇気を持って踏み出せば踏み出す程、自信と勇気が増やします。 文武両道に励み充実した人生を歩んでいきましょう。

文武両道は決して安楽に暮らすものでありませんが、その金棒をもっていたら、不屈の精神をもつと同じことです。

「文武両道」これは惹かれるものではなく、目指すものである。


文武両道の重要さを理解するまで、数年間もかかりましたが、教えてくれたホストマザーに大変感謝しています。

今、日本への留学経験をやりなおす機会があったら、ホストマザーが教えてくれた文武両道の大切さを守って頑張りたいと思います。

そして、自分の子供にもその重要さを教えてあげたいです。

あなたの文武はいかがでしょうか?

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【原注】この記事は萌子様に親切に訂正して頂きました。
間違いから学ぶので、僕の日本語が間違っていたら指摘していただければ嬉しいです。