インビジブル・マザー
母の愛はいつも気づかれない
By Kayt Molina
新学期に向けた日用品セールが行われた晩でした。新たな学期を迎えるにあたって、私は1人の教師として緊張と興奮が綯交(ないま)ぜになった気分でいました。
しばらくして、ちょうど4歳になる新しい生徒たちとその家族で部屋が埋まり始めた頃です。1人の少年とその母親が笑顔で私の方にやってきて自己紹介を始めました。
「はじめまして先生。この子はジョナサンです。」
「あら、はじめまして、ジョナサン。あなたと一緒にいるのはどなたかしら?」母親に目線を移しながら私は尋ねました。
するとジョナサンは怪訝そうな顔で答えました。
「ただの『お母さん』だよ。」
その晩遅く娘を寝かしつけた後になっても、ジョナサンの言葉は私の耳の奥で繰り返し囁き続けていました。「ただの『お母さん』だよ。」「ただの『お母さん』だよ。」と。
私が担当した1年の間に、私はジョナサンと彼のクラスメイトの事をよく知り、クラスのみんなを愛するようになりました。ほとんどの子には専業主婦のお母さんがいて、いつも彼らを愛し、気遣い、学校行事にも積極的に関わってくれていたのです。
そこで、母の日が近くなっていたこともあり、我が子を盲目的に愛するお母さんたちのためにちょっとしたお土産を子どもたちに作って貰いました。かわいらしい質問ばかりのアンケートで、生徒を座らせて私が1人1人話を聞いて回ったのです。
「お母さんのお名前は?」
「うーん、分からない。」
「それじゃ、お父さんはお母さんのことを何て呼んでるの?」
「知らないよ。」
「お母さんは何処で働いてるの?」
「働いてないよ。」
「それじゃ、あなたが学校にいる間、お母さんは何をしてるの?」
「ぼくが汚した後片付けさ。」と1人の生徒が答えました。
「オモチャを買いに行ってくれてる。」「わたしを待ってくれてるの。」と別の子たち。
「あなたを待ってくれてるの?それはどういう意味?」と私は尋ねました。
「学校でわたしを降ろした後、家に帰って学校が終わるまでずっと待ってくれていて、それからわたしを家に連れ帰ってくれるの。」
「1日中ずっとそんな感じなの?」と私が確認すると「そう、ずっと」と彼女はハッキリ答えました。
「ママが何やってるかなんて分かんないよ。」ある子が言いました。
「いい、みんな。お母さんはやる事がたくさんあるはずよ。例えばちょうど今、ここに座ってみんなが私に話しかけているこの瞬間、お母さんは何をしているのかしら?」
「うーん、分かんない。」
仕方がないので、「みんなのお母さんは空いた時間に何をするのが好きなの?」と半ばヤケになりかけながら聞いてみました。
「ママが何をするのが好きかなんて知らないよ。」
こんな調子の会話が繰り返し繰り返し続きました。結局クラスの3〜4人だけが私の質問にまともに答えてくれ、そのおかげで彼らのお母さんが自分の考えや感情、欲求を持った本物の人間だと分かったのです。
家では私も母親です。そして、教室では17人の子どもたちのために母親の代わりになっています。でも、たまに自分は彼らの手の代わりでもあるのかと思ったりもします。
「これを開けてくれる?」
「靴紐を結んでくれない?」
「もうちょっと水が飲みたいの。」
こんな調子なので、私は子どもたちにとってただ「私の先生」以上の存在に、すなわち1人の人間として「目に見える存在」になれないかと奮闘しているところです。
例えば、「みんなの時間」には私のオススメの個人的な体験やストーリーを喜んで子どもたちとシェアするようにしています。私に学校以外の生活があると知って驚いた時のあの子たちの顔と言ったら!
ほとんどの人は、子どもが自己中心的だと知っても別に驚きません。しかも、教師になろうとする人は例外なくピアジェの「認知発達理論」を学びます。そうすると、子どもという存在は学ぶ過程にあるのであり、非難や評価の対象にはならないことが分かるのです。
ですが、教室にいて子どもたち何人かの声に耳を傾けていると、わたしを含む世の母親が日々奮闘しているその苦しみを深く感じます。何かしてあげても子どもたちが感謝してくれることはあまりありませんし、ほとんどの場合、気付かれもしません。
ひょっとすると「母親は自分たちの望みを叶えてくれるためだけにいる」と子供たちは考えているのかもしれません。もちろん感謝を直接口に出していないだけかもしれませんが、彼らの行動を見る限りどうもそうでもなさそうです。
子どものために気を利かせれば利かせるほど、子どもたちは母親の存在をどこにでも感じてしまい、やってもらうことが当たり前と思ってしまいます。それが母親を名無しの存在にしてしまうのです。
母親が子どもためを思ってする事や1人の人間としてどんな存在なのかは子どもたちにとって見えてこないものです。母親であることは本当に大変なのに、いつも気付いてもらえないのです。
それでも、私たち母親は子どものわがままを聞いてしまいます。自分のやりたいことやエゴを脇に置いて。愛とはすなわち自己犠牲なのです。
お子さんはあなたのことを愛しています。
だからこそ、あなたを見て、よく知る必要があります。
あなたにはそれだけの価値があるのです。
だから、時間を作って子どもたちと一緒に、あなたが1人の人間としてどんな人物なのか話してみて下さい。興味がなさそうにしていても気にしないで。
だって、あなたは大切な人なのだから。
あなたは自分が「インビジブル・マザー」だと感じているのかも。
でも、私にはあなたのことがしっかり見えていますよ。