親ガチャに外れた人生のリスク管理

機能不全家族と生きるということ

Yuko Tamura
Japonica Publication

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いつから「親ガチャ」という言葉を聞くようになったのだろう。優生思想と聞くとつい拒否反応を起こしてしまうけれど、親ガチャにはどこか軽妙な響きがあって、嫌いになれない言葉だ。

というのも私自身も、親ガチャに外れた方の人だからだ。ただ私の場合は幸運にも、両親2人とも外れというわけではなくて、難ありなのは母だけだった。父もなかなか強烈なキャラクターだったけれど、私は今も大のお父さんっ子だ。

母は田舎の出身で、警察官の娘として生まれたこともあり、周囲から甘やかされて育ったようだった。何かと自己管理のできない人で、金遣いも荒い。私が小学校低学年の頃には、父に隠れてサラ金で借金もした。母は私を何度かそこに連れて行ったので、今もその雑居ビルの一室を覚えている(飴をもらえたから記憶にあるだけかもしれないが)

私を連れて高級ホテルでお昼ご飯を食べたかと思えば、「お父さん絶対浮気してると思うの」と年賀状から浮気相手を推測し電話をかけたりと、母は忙しい人だった。夫婦喧嘩も徐々に激しくなり、週末父は私を連れて、東京近郊から新潟の祖母の家に避難するようにもなった。

あの頃、もし父が私を置いて週末1人で出かけていたらと思うとぞっとする。父が私たちを見捨てていたら、私は今頃ここには存在しないかもしれない。

どうやら母は精神的に健常ではないらしい、と私がようやく理解したのは中学生の頃だろうか。年頃の女の子が父親に「絶対再婚した方が幸せになれるよ。離婚したら私ついていくから」と進言していたのだから、なかなか問題のある家庭だったのは明白だ。父は「俺はいいんだよ」とひっそり笑うだけだった。

両親そろって「女の子は勉強しなくて良い」という教育方針だったので、一人っ子の私は好きな本だけ読んで育った。2人ともろくに勉強は教えてくれなかったけれど、本はいくらでも買い与えてくれたので、それは今でも感謝している。大学受験もほぼ勉強しなかったが、センター試験で合格した大学に進むことができた。

家庭はカオスでも読書のおかげか、私はそれなりに真人間に育った。就職して自立すると、仕事は頑張りたいと思うようになったし、海外へ貧乏旅行にもよく出かけた。沢木耕太郎を読んで育ってしまったら、人は旅に出るしかないのだ。世界には自分より恵まれた人も、もっとずっと貧しい人もいる、そう教えてくれた本たちは宝物だ。

母は相変わらず度々問題を起こして、何年かに1度は入退院を繰り返していた。父も母も私を心配してからか、いつしか早く結婚しろとしか言わなくなっていた。20代の私には彼らの影響力はまだ強く、親の思い描く人生を歩めないことが苦しかった。

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Yuko Tamura
Japonica Publication

Spreading Japanese women's reality as a cultural translator. Writing for CNBC, The Japan Times, YourTango and more. EiC of Japonica.